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戦争ってこんな物

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/11/23 10:00
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 
 下記は昨年末に七年忌を済ませた亡妻が生前に書き残した小文ですが、三八銃《明治38年式小銃》を一発撃った丈《だけ》で太って生還した変な出征兵が帰国後に戦争の様子を銃後《じゅうご=戦場でない内地》の女子に教えて貰《もら》うと言う変な立場で聞いたのに応えた情況の一部であります。

投稿者 変蝠林(1917-)

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 戦争はんた~い! 何と白々しい!! 戦争賛成の方がなんぼかナウイ!
 あれは昭和20年夏、6月19日静岡大空襲、東京大空襲《=1945年3月10日、死者約10万人、東京都の半分近くが焦土と化した》に比べたら子供みたいな物だが爆弾の下を潜る思いは全然同じ、旦那《だんな》は蒙古《もうこ=モンゴル》に出征中、2才の長女を背負い乳母車《=ベビーカー》に有り合わせのオムツ布団などを積み込んで郊外のたんぼの中を逃げ回った真っ暗な夜のではない無数の焼夷弾《しょういだん=さく薬と油などを入れた爆弾》で真っ赤な空の下の魂の抜ける恐怖、忘れられるものではない。

 翌朝母を探して救護所を尋ね歩いた末漸く見付けだした焼け残りの知人宅での惨状も今に生々しい。母は膝《ひざ》に焼夷弾の直撃を受けて肉は裂け出血で血まみれな姿。良かったネと言ったのは一杯に重傷者が集まった日赤病院に運び込んでからの話、と言うのは軽症だとの事で診ても貰《もら》えない有様を直視しての言葉。
 死んだ赤子を抱いて放心状態で其《そ》の子に乳を含ませて居る母親とか、お巡りさんに背負われて来た防空頭巾《ぼうくうずきん=綿入れの被り物》の中に火が入って顔の焼けただれた娘さんとか、廊下にゴロゴロ転がった人々に吐き気を催した覚えは有るが不思議に何十と言う死んだ人の死体には感慨の無いのは何故だったか今でも分からない。 
 極限状態の心理は体験者でないと察せられないものだろう。 兎に角《とにかく》数時間の思い出だけでも此《こ》の通りだから、話し出せば切りが無い。 戦争反対コールが無性に腹立たしくなる所以である。 こんな話しは此《こ》の部屋に相応しいかどうか迷ったがセンソーを他人事に語る平和論者の美辞麗句に居た堪れ無くなったOL(オールドレディー)の独り言としてお許し願いたい。
許されれば又続けます。

Y-CAT.
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