子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
役に立つ本でもいいです。
電子図書のことでもいいです。
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[No.474]
わたしたちに必要な33のセーフティーネットのつくりかた
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/07(Wed) 10:55
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あとがきで著者の一人の竹信三恵子が書いている。
東日本大震災と福島原発事故で、被災者は苦しんでいる。
何とか立ち直ろう、次に踏み出そう、それを可能にする社会の支えが必要である。
その必要性を、この大震災は私たちに教えてくれた。
この本は、そんな安全ネットをどのようにしてつくっていくかを考えるために
作ったものである。
「失われた20年」と言われるこの年月、私たちの社会では
人が人間らしく暮らせる基盤がつぎつぎと突き崩されてきた。
安定して働ける正規雇用の仕事が大幅に減っていき
これを後押しする労働の規制緩和が猛烈な勢いで進んだ。
「正規雇用」とされている働き方も不安定さを増し、労働から滑り落ちた人びとを
支えるはずの失業手当や生活保護などのしくみも
財政削減の大波の中で削り取られてきた。
自殺者は毎年3万人を越え続けている。
2008年暮れ、不安定な派遣労働者として働いてきた人びとが
リーマンブラザーズの破たんをきっかけとした世界的な不況の中で
仕事を打ち切られ行き場をなくし、NGOや労働組合が設けた相談所や公園に
続々と集まる姿が、世界各地のメディアで報道されている。
第1章 安全・安心な生活を保障するセーフティネット
第2章 安心して働くことを保障するセーフティネット
第3章 いのちと健康を守るセーフティネット
第4章 老後を保障するセーフティネット
第5章 未来をたくす次世代を育てるセーフティネット
[No.473]
Re: 神様の伴走者
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/07(Wed) 08:07
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> 手塚治虫は原稿の上がりが遅いことで有名。
> さんざん待たされたあげく、結局締め切りに間に合わず
> 渡された原稿を引きちぎり、「もう間に合わないんだよ!」と
> ひと声吠えて、そのまま会社をやめた手塚番がいたという噂も
> この世界では流れている。
>
> この本は13人の手塚番とわきで見ていた二人(松谷孝征マネージャーと藤子不二雄)に
> インタビョーしてできた本である。
藤子不二雄は藤本が亡くなったので、インタビューでは我孫子素雄が一人で回想している。
トキワ荘に手塚治虫を訪ねていった時、外出する手塚は
あとを寺田に頼んだから、我孫子はそのまま寺田の部屋に泊まってしまった(手塚治虫は待てど暮らせど戻ってこない)。
その次にトキワ荘に行ったとき、編集者が手塚の原稿のべた塗りをしているのを見て
代わりにすることを申し出たら手塚が喜んだ我孫子に頼んだ。
それから何度も手塚のアシスタントをしているうちに
編集者との葛藤の場面を見た。
上に紹介したのは壁村編集者のことで
のばしのばしして12時になんとかできると手塚が言ったが
やはりできず12時にかかってきた電話に
手塚は「いや、ちょっと悪いけど、2時にはなんとか」と言った。
原稿は1時半にはできていたのだが
2時になって壁村が部屋に入ってきて
手塚が両手で差し出した原稿を壁村は受けとると
しばらく見てから「もう間に合わない!」って叫んで
パァーッと原稿を部屋中に巻き散らかした。
壁村は帰り、残された手塚は呆然としていた。
原稿が部屋中に舞っている。我孫子もベッドから起きていいものか
薄目をあけて見ていたら、手塚は原稿を拾い集めて何か唸っていた。
しかし
その後も壁村は手塚番として手塚作品を起用し続けた。
腹が立ったらハサミを投げつけることもあったとか。
要するに愛憎が深かった。
[No.472]
神様の伴走者
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/07(Wed) 07:31
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神様の伴走者 手塚番13+2
漫画の神様手塚治虫にも
編集者という陰の伴走者がいた。
手塚治虫は原稿の上がりが遅いことで有名。
さんざん待たされたあげく、結局締め切りに間に合わず
渡された原稿を引きちぎり、「もう間に合わないんだよ!」と
ひと声吠えて、そのまま会社をやめた手塚番がいたという噂も
この世界では流れている。
この本は13人の手塚番とわきで見ていた二人(松谷孝征マネージャーと藤子不二雄)に
インタビョーしてできた本である。
「ビッグコミック スペシャル増刊」と「ビッグコミック1」
に掲載したものを手直ししてまとめた。
[No.471]
江戸東京さんぽまっぷ
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/07(Wed) 05:55
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> 池波正太郎 「江戸古地図散歩」、平凡社(2011)
「江戸東京さんぽまっぷ」、平凡社 (1995)
5000分の1 江戸・明治・現在図・航空写真
シリーズ本で1〜6巻
似たような本だと思ったら
どちらも同じ出版社だった。
「江戸東京さんぽまっぷ」に載っている大江戸線の地下鉄は
点線で表記されていた。
池波正太郎のほうは新版だから今年発行だけど。
[No.470]
Re: 「目で見るグリム童話」
投稿者:
投稿日:2011/12/06(Tue) 22:02
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画像サイズ: 360×490 (64kB)男爵さん、みなさん、
> こんなのがありました。
> http://www.khnbk.jp/gyouji/index.htm
神戸の『一枚絵による』のポスターに使われている「いばら姫」の絵は、ハインリッヒ・レフラー(1897年)によるもので、あっしの添付写真は野村さんの前掲書にでている絵(1869)で、ウィルヘルム・ジムラーによるものです。
ご覧のように、ジムラーの方が、チョット早いようです。ところで、あっしもたしかに、以前展覧会の事を書きましたが、ま、ここは基本的には、本の紹介の部屋ですから、事後はなるべく『本』を主体に書きこむつもりです。
ところで一枚絵というのは、あちらではBilderbogenというのだそうですね。(*^_^*)
[No.469]
こうすればうつから抜け出せる
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/06(Tue) 21:05
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最上悠:こうすればうつから抜け出せる
精神科医がうつから抜け出す具体的なノウハウを説明している。
もしかしたら著者もうつ的な状態におちいって
体験的にのりこえたのかもしれない。
少なくとも、うつ状態の苦しさは知っていると思われる。
世の中を黒か白かの二分法で見る人はうつになりやすい。
より中はグレーの場合が多い。
かくあるべしという理想や観念にとらわれていると、うつになりやすい。
思い込みの人はうつになりやすい。
客観的にものごとを見ることができたら、うつになりにくい。
素直な気持ちを見つめよう。
自分のなかの悪い感情も認めてあげよう。
自分の心の中の不道徳な思いがあってもその存在は認めて、行為に結びつかなければいい。
(某女流作家が子どもの時、怒った相手に心の中でコロシテヤルと思った)
[No.468]
深田祐介:新西洋事情
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/06(Tue) 19:55
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1976年の著書で、第7回大宅壮一ノンフィクション賞受賞した。
その後 「炎熱商人」で1982年に第87回直木賞を受賞。
海外駐在員の苦労話はリアル感がある。
メイドには厳しくしないとだめ。甘やかすとどこまでも手抜きろをし
女主人の留守に冷蔵庫のものを持ち出すということを
(言われても自分のメイドはそうではないと思ったのだが)
具体的にそういう体験をしてみて
やはり厳しい態度でのぞむように変わった某駐在員夫人の話。
日本人男性と結婚した外国人妻はケナゲ。彼女たちは大人である。
それに対して外国人男性と結婚した日本人女性はどうか?
人にもよるが、この本に書かれている某女性は
なんとなく外国人に憧れて結婚してみたものの
後悔半分、日本人と結婚したほうがよかったと考えることもある。
著者は彼女を、夫「個人」と結婚したのだろうか、実はイギリスなりフランスなり
夫が居住者である「西欧国家」の「西欧的雰囲気」と結婚したのではならろうかと思うのだった。
彼女の日々の思いが絶えず後悔と現状肯定の間を揺れうごき、あんまり「ケナゲ」に生きているように見えない。
国際化の時代、少しでも外国人との交流体験をしてきた私としては
この本の内容はなかなかあたっていると思いました。
はずれていることもあるけど、人さまざま、個人は違うから。
[No.467]
名作マンガの間取り
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/06(Tue) 17:01
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影山明仁:名作マンガの間取り
長谷川町子美術館に行くと
磯野波平邸の模型が置いてある。
この本は
マンガの主人公たちの住んでいる家の間取り
を集めたもの。
実は
この本を借りてきたのは
「ちびまる子ちゃん」の家が見たかったのではなく
祖母の名前が書いてあったからである。(色々読んだ中では祖母の名前は見つからなかったから)
友蔵の妻はこたけと書いてあった。
ちなみに母はさくらすみれ、姉はさくらさきこである。
「フランダースの犬」のジェハン・ダース邸は
物置小屋と一間だけ。
「母をたずねて三千里」のジェノヴァにあるピウトロ・ロッシ邸
の間取りもある。 本当かな?
[No.465]
Re: ベニスの商人
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/06(Tue) 16:31
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画像サイズ: 719×923 (85kB)> ヴェネツィアはドイツのニュルンベルクとも
> 商業に関して友好関係があった。
>
> ニュルンベルクの肉屋橋は、ヴェネツィアのリアルト橋を手本としてつくられた。
肉屋橋のいわれは、橋のたもとに肉屋があったから。
こちらはリアルト橋の方です。
今見るとリアルト橋には屋根がついていた。
さすがイタリアの橋。
[No.464]
Re: 雪国
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/06(Tue) 12:08
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さんらく亭さん みなさん
> 以前メロウフォーラムのころに
> 「国境」を「こっきょう」と読むか「くにざかい」と読むかで
> 大論争があったのを思い出しました
なるほど
「こっきょう」とみんな読んでいると思っていましたが
そこは外国ではないから
歴史的なことを考えると「くにざかい」のほうが正しいんでしょうね。
>「国境」を「くにざかい」と読むことを主張する人々は、この「国境」とは、
>かつての令制国である上野国(群馬県)と越後国(新潟県)の境という意味である。
>日本国内における旧令制国の境界の読み方は一般に「くにざかい」である、と主張する。
>一方、上越国境とか信越国境と「国境」「こっきょう」と読まれることが一般的で、
>川端自身も「こっきょう」と読むことを認める発言をしているというのが
>「こっきょう」と読む、あるいはどちらでもよいという人々の主張である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%9B%BD_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
川端康成のことを
「かわばたやすなり」と言わず「かわばたこうせい」と言う人もいます。
土井晩翠はほんとうは
「つちいばんすい」というのだが
みんなが「どいばんすい」というので
それに従ったそうです。
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