画像サイズ: 525×700 (65kB) | 旭岳さん こんにちは
> 自分の職務に殉じてお亡くなりになった方々、そして後の残された方々には > 本当に何と言うべきか言葉も無く、だた幸多くあって欲しいと願うだけです。 > > 助かる時間的余裕があったと思われるのに、小学生の子供を亡くした親の方。 > 残された親御さんの何故そうなったのかを知りたいと思う気持ちは当然と思い > ます。
ほんのわずかの判断や偶然で 永遠の別れとなってしまった人はいつまでも心に痛みが残るでしょう。 今回の大震災で、そういう残された方々の悲しみは、私にとっても忘れることができません。
> 公立の小学校なのですから、各関係機関及び各関係者は法的な追求を逃れよう > 等とは思うのはもって他、ありのままを伝える義務があると思います。 > > 法的責任以外に道義的責任もあります。
大川小学校の校長はたまたま休暇を取っていたので 津波の時にはいなかったから助かったのですが かえって一人だけ残され、辛い毎日だったと思います。 このあと退職してしまい何も語らないようです。
ひとり生き残った先生も教育委員会などから口止めされているようで いつか語る日が来るかもしれませんが、この先生のストレスも相当なものだと思います。
あのビデオなど見ると 先生方に誘導されて小学生たちが一列になって向かった 新北上大橋のたもとの高台も、実はすっかり津波の飲み込まれたので 後から考えると、わざわざ危険な場所に向かっていったことになりますが 当時としてはわからなかったことなのでしょう。
直感的に裏山に登ったら助かったのは結果論で、山崩れも心配して 山に登らせなかったのでしょう。
この北上川は改修され新しくできたので堤防なども新しいものです。 明治の時の津波とは状況も変わっていたから 過去の例を参考にしながら、新しい予測というものが必要だった気がします。 過去と現在の状況を総合的に判断した防災マップが用意されるべきでした。
なんだか 仙台の大学の先生も地震が来るとは予測していましたが 女川原発とか仙台の都市防災の方に目が奪われて 宮城県の海岸部のことまで手が回らなかったのでしょうか。
写真は新北上大橋です。 |