悠々世代 
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[No.101] 旧友を訪ねて オランダへの旅 6 投稿者:   投稿日:2007/05/13(Sun) 16:57
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旧友を訪ねて オランダへの旅 6
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(6)古いものを大切にすオランダ

今日はブルンズ(Bruns)に連れられてゴーダ方面の古い建築物を見て回る予定だ。
ブルンズは化学技術者で建築に関しては詳しくないので友人の建築家フォン・ダム(von Dam)を呼んだという。先ずはフォン・ダムの家に向かい、Waal河をフェリーで渡った。農家が点在するだけの小さな村に住んでいた。居間に通されると上品な奥さんがようこそとケーキを持ってきた。80歳できちんとした身なりできれいな英語で異邦人の小生にあれこれ話しかけてくる。旦那のダム氏はとっくにリタイアし馬を飼って悠々の日々のようだ。

居間の家具・調度品は古いものばかり。壁際には箪笥?がでんと構えていた。訊けば300年前の食器棚とか。普通の世代交代ならば12代前の先祖から受け継いでいるとは! 有形な遺産もさることながら無形な精神的遺産も脈々と受け継がれているに違いない。

まずはアウデワーター(Oudewater)へ行って‘魔女の計量館’へ入った。突然、女性アナからインタビューを受けて面食らった。ユトレヒト放送局の取材につかまって英語での質問にどう答えたか覚えがない。TVでなくて良かった。魔女の審判を受けて無罪が証明された証明書を授与された。この証明を受けるには1482年製の天秤に乗って審判を受けるのだ。古い建物を魔女博物館にして村おこしを図ったのだろう。

ゴーダ(Gouda)へ行った。チーズ、蝋燭、焼き物で有名で中世の街がそっくりそのまま残っていた。マルクト広場にある旧市役所は1448年建設というから日本では室町幕府時代! いまは市の結婚式場になっていた。新郎新婦の後を大勢の子供が着飾って繰り出してきた。フォン・ダム氏は小学校の先生の結婚式だという。なんとも微笑ましい光景だった。こういう先生だったらイジメなんてないだろう。

聖ヤンス教会に案内された。ステンドグラス、パイプオルガンには目を瞠った。教会の床に字が彫ってあり富豪を埋葬した墓地だとフォン・ダム氏が教えてくれた。大航海時代、栄光の波が運河で運ばれてきたのだろう。

帰りの車の中でブルンズの奥さんはガンで闘病中であることを知った。彼は北の州に住んでいるのにわざわざ駆けつけてくれた。胸が熱くなった。こんどはあんたが日本へ来る番だ、と言ったら「ワイフと相談してみる」と答えた。泣かせる。


翌4月21日は土曜で娘婿のタイースも休日なので10時から一緒に風車で有名なキデルダイク(Kiderdijk)に行く日だ。朝ゆっくりしていると、隣の主人がやってきてクラシックカーで近隣の景色のいいところをドライブに誘ってくれた。シモンが言うには2年かけて整備した彼の自慢の1930年製フォードワンだという。

近隣の奥方に見送られオードに乗り込み快音を放って出発するのはいい気分だ。天気良し、車良し、仲間また良し最高だ。なんとのどかな田園風景であろう。絵のようだ、としか言いようがない。レーベシュタイン城(Loevestein)が望めるところで車を止めてもらい写真をパチリ。すかさず隣の主人(Verhoeven氏)が車の紋章?を入れて撮ってくれと指さした。まったくだ。おれはやっぱり気が利かない田舎かっぺだ。

キンデルダイクはオランダ観光の定番だが近くに住んでいるタイースが初めて来た、と言ったのには驚いた。そんなものか。いつもは日本人観光客で賑わっていると聞いたが今日は何故か一人もいなかった。内部構造をじっくり見ることができた。


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