画像サイズ: 600×399 (38kB) | (4)秘蔵の穴場に案内されて
4月17日、今日はシモン夫婦と一緒にシュローダー(Schreuders)に会うことになっている。 彼はまだ現役、工場長でいるらしい。ドイツの会社に買収されみんな悲哀を味わった中で存在感を示したのはかれだけかのようだ。青年団の団長さんのような人柄でが慕われているのか。
工場へ寄ったら事務所のテーブルの上に小生の写真があり応接室には日本の国旗が飾ってあった。嬉しいことをしてくれる。シモンがその写真を手にして「Wanted!」の張り紙だ、と冗談をいう。何年も会ってないのでまごつかぬよう俺の写真をメールで送ったのだろう。
やがてシュローダーの奥さんが来て、みんなで干拓地のチューリップ畑を見に行った。広大な干拓地が一面に赤や黄色に染まっている。観光客で賑わっているチューリップ畑はアムス近くにあるが、この光景をシモンは俺に見せたかったのだろう。
近くにシモンの息子の家があるので立ち寄った。連絡がしてあったらしく家族5人全員が待っていた。腕白盛りの子が3人、拗ねたり喚いたり健康な家族だ。新興住宅地の中の一戸建てで裏庭は運河いや水路でボートが直接降ろせるようになっていた。
夕刻、近くのホテルでシュローダー夫妻と落ち合い会食することになった。ディナー会場は高層タワーの最上階で回転フローアー。ワインを飲みながらどこまでも続く牧場と畑を眺めていると俺はいまどうしてここにいるんだろうと思う。
奥方2人は聖歌を趣味でやっており話が合うようだ。時折メロディーを口ずさむがその声がすばらしい。綺麗な声ですね、と言ったらポッと顔を赤らめた。
ホテルを出たのは9時過ぎ。家に着くのは11時過ぎになろう。糖尿病でインシュリンを打つ必要があるシモンをかみさんは心配しているだろうが無事帰り着くことができた。
翌4月18日はデ・フロートがハーグへ案内してくれた。車は渋滞で時間がかかるので電車で行こうということになった。
彼は建築家で会社を辞めてからベルギーの事務所に勤めていたという。会社では仕事を知りすぎていたので敬遠されたといっていたがドイツ人の上役とあわなかったか。いまは大学で学生を指導しているが教師じゃないがといっていた。
ハーグの新市庁舎、国際司法裁判所、宮殿…その美術館、スフェベニンゲンの海等案内された。なにせ長身の彼が歩く後を追うのはくたびれた。
圧巻は‘PANORAMA MESDAG’だった。海の画家メスダーグの作品を集めた美術館にあるパノラマ館だ。エレベーターを降りて息をのんだ。360度中世のスフェベニンゲンの風景に出会った。感動の極致といえば言い過ぎか。満足の極みだった。デ・フロートよ、有り難う! |