悠々世代 
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[No.96] 旧友を訪ねて オランダへの旅 5 投稿者:   投稿日:2007/05/11(Fri) 20:44
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旧友を訪ねて オランダへの旅 5
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(5)シモン夫婦に連れられてアムスへ

今日はシモン夫妻の案内でアムステルダム行きだ。
カミさんのマチェも半年振りのアムスとあってウキウキしていた。近頃は道路がEU諸国からのコンテナートラックが増え、道路が混雑してアムスとかロッテルダムへ車で行くのは大変だということで電車で行くことになった。

最寄りの駅に、といっても30分以上かかったが、車を置いて電車に乗って1時間半ほどだった。アムステルダム駅前は地下鉄の建設工事でごちゃごちゃしていた。海面より低いこの辺り地下何十メートル掘って防水工事が大変だろう。

駅から南に歩いて‘飾り窓’を横目で眺めて通り過ぎ、‘隠れ教会’に案内された。運河沿いにあるごく普通の4階建ての家だった。外から見ては想像つかない正教会だった。いつの時代も宗教に権力争いはつきものだったか。ユダヤ人市場、ユダヤ歴史博物館、シナゴグ(ユダヤ教の会堂)を見てまわった。

裏庭にはごつい労働者が両拳を握ってなにか叫んでいるモニュメントがあった。シモンの説明では、ユダヤ人が大戦中毎日貨車でポーランドへ送られ行った‥あるもと機関士が列車の前に立ちはだかって「送るならおれを乗せて行け!」と叫んで列車を止めた実話があったと。

その周りで中学生だろうか、7,8名がノートを持ってうろうろしていた。シモンが近づくと1人が何か訊ねた。やがてみながシモンを囲みノートに録りだした。宿題だったに違いない。カミさんが横で頬笑んでいた。夫婦は戦時中まだ小学生初学年だったろうが悲しい歴史は確実に語り継がれているのを目にした。

花市場を見て遊覧船に乗り、賑やかな通りのカフェで休んだ。「この人波の中にオランダ人は何人いると思うか?」とシモンが訊ねた。「さあ、半分くらいかな」と答えたら「みんな外国人観光客! 言葉でわかる。こんな時間にオランダ人は出歩かない」 そういわれればこの店で働いている者もイタリア系、アジア系、いろんな色がある。オランダは外国人に寛容だ。

混雑している通りを歩くとき、シモンが先頭で小生が後に従いマチェが後ろで守る隊列になっていたようだ。家で決めていたんだろう。

アムスからの列車はユトレヒトで乗換えになる。寄ってみるかとなって下車した。駅は大きく街はきれいで賑やかだ。運河沿いに歩いて古い教会を見た。その近くに娘が学んでいたユ大学があって、ここの運河にヨットで来たことがあると言った。ある夜ヨットで寝ていたら雨の音がした。マチェが今夜は雨が降らないはずなのに、といったのでカーテンを開けてみたら学生たちが小便の飛ばしっこをしていたと。どこの國の青年も同じらしい。

家に着いたのは10時だった。ワインを飲みしばし歓談、シャワーに入って寝るのは12時になった。いい一日だった。

帰国後,シナゴグで買ったここでの音楽会を収録したDVDを視聴して感動した。3大テノールの向うを張る素晴らしい歌唱の数々には大満足し た。森繁さんの唄った「Sun rize sun set」もよかったが、ユダヤ教会でユダヤ人テナー3人組で歌ったものを聴くとまた更に一段とよかった。


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