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    [No.2876] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:えー  投稿日:2006/09/25(Mon) 23:38
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    ぷわらさん

    こんばんはです
    アフマディネジャド大統領のことは日本ではあまり話題になりません
    たぶん
    おそらく名前を覚えるのがやっとだと思います。

                           えー


    [No.2875] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:ぷわら  投稿日:2006/09/25(Mon) 22:27
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    紋次郎さん、こちらでも、こんにちは。

    >  本厄なら分かりますが、翻訳は専門じゃないので…。(-_-;)

    毎年が本厄のぷわらです。^0^

    >  エクスキューズについては、こういうことを読んだことがあります。欧米人はなかなか謝らない。これは事実だ。しかし、(ニッポン人は謝るのは上手だが、)サンキューはあまり云わない。

    これねえ、よく言われてますよね。
    ヨーロッパのことでしょうか?(私、ヨーロッパは知らないので)
    アメリカ人は、よくアイムソーリーって言います。
    口だけじゃなくて、ほんとに謝ります。
    ただ、ユダヤ人は謝りませんね。

    日本人は、どうなんでしょうね。
    こちらに来る前に、「ヘンに謝ったら自分のせいにされるから、謝っちゃいけない」みたいなことをきいたことがあります。
    たぶん、それってけっこう知られていることだと思いますが、実際とはちがうようです。
    普通に日本とおなじようにしていれば大丈夫だと思います。

    >  また、両者は言葉のニュアンスも違い、ニッポン語の「ごめんなさい」ということばには、謝罪の意味があるけれど、「アイムソリー」にはそれがないということで、欧米人がちゃんと謝っているのに、あまり評価してもらえない、と言う意見もどこかで読んだ記憶があります。

    apologize とも言いますね。
    I apologize to you, I'm sorry. みたいに。
    謝ります、ごめんなさい。とでも訳しましょうか。
    これはほんとに謝ってます。

    >  つまり、お互いに相手ばかし見て、自分をあまりよく見ていないというわけですが、どんな紋でしょうかね?

    そうですね。

    今回のローマ法王のことで、友達のアメリカ人が、「こんなに謝ってるのに、それには耳をかさずに怒ってるんだもんなー」って言ってました。
    そこで、ふと、こんなことを思いました。
    日本だって、さんざん謝ってるのに、いまだに謝罪を要求されてるなー、って。
    どこの国でも、様々な思惑が絡むので、どんな言葉で謝っても、無駄になることもあるのかもしれませんねえ。


    [No.2874] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:ぷわら  投稿日:2006/09/25(Mon) 22:14
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    35斉さん、こんにちは。

    > 問題発言の切り抜きでなく全文を読めば、『宗教は暴力を勧めない』という主題に
    > 帰着するとかで、イスラム教世界にも教皇の反省を素直に受け入れているとか?
    > 無論、過激派は「棚からぼた餅」発言に、勇気百倍気勢を挙げているようですね。

    いいこと言ったんですけどね、誤解をまねく言い方でしたよね。
    もっというと、つい、本音が出ちゃったんでしょうね。
    どこの宗教でも、しっかりと教義を理解している人と、盲信者がいるのだと思います。
    宗教は、物心ともに貧しいものを救うものでしょうから、盲信者がいるのはしょうがないことですが、これを悪用するやつがいるので困るんですね。
    こういう人をそそのかすと、なんでもしますから、おそろしいです。
    私は、イラクで日本の青年が首を斬られて殺されたのを忘れられません。
    なんと無残な。
    ただしく宗教を信じていれば、あんなことできるはずがありません。

    > 随筆『ものの見方に付いて』の中で、イギリス人は歩きながら考える、
    > フランス人は考えた後で走り出す、そしてスペイン人は走ってしまった後で考える・・
    > そしてドイツ人は『考えた後で歩き出す』とありました。

    日本人は?
    まわりを見て、みんなが走ってたら走りだす、のかしら?

    > さればドイツの文化満身のベディクト16世にとって、「宗教と暴力」の
    > 神学的論評をするには、たとえ600年前のピザンチン皇帝の発言であっても、
    > 「ムハマンドが新たに何をもたらしたのかを教えてほしい。自らの説く信仰を剣で、
    > 布教しろという命令など、邪悪で残酷なものしかない」を引用するのが順当。

    じゃあ十字軍はなんなの?って質問されたら、なんというお答えが返ってくるのでしょう?

    > 何とか早く収めて、ゆめゆめ過激派に利用されぬように願うばかりです。

    きょうのイスラムとの対談に注目ですね。


    [No.2873] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:ぷわら  投稿日:2006/09/25(Mon) 22:04
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    紋次郎さん、こんにちは。
    ほんと、ご無沙汰してます。

    >  いろいろ難しいことは、普通人より毛が三本足りないモン次郎のことゆえ、分かりませぬが、あちらの政治漫画を見る限りでは、やはり新教皇にも若干の紋題があったのでは、と考えています。

    そうですね、どうしてあんなこと言っちゃったんでしょうね。
    仲間内だから大丈夫とでも思ったのかしら?
    それでも、公の場で、ほんとのこと言っちゃまずかったです。ははは。

    あの発言のあと、ソマリアで子供の病院で働く尼さんが後ろから撃たれて殺されましたよね。
    あれは、まさに法王の発言を裏付けました。
    やっぱり暴力なんだな、って証明しちゃいました。
    ばかですよねー。
    なんであんなことするんだろ。

    >  月曜日(九月二十五日)、教皇がローマ近郊20KMほどのところにあるカステル・ガンドルフオ(教皇の夏の離宮)で、イスラム関係者と会合を持つということなので、そこでどんな話し合いがおこなわれるのか、また拗れた関係が修復できるのか、あっしは小さいまなこで注目しています。     

    きょうですね。
    私もニュース、興味津々です。


    [No.2872] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:ぷわら  投稿日:2006/09/25(Mon) 21:57
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    変蝠林おとうさま、こんにちは。

    >  終戦時の subject 問題は有名ですが 

    すみません、これ、どんな問題なんですか?


    [No.2871] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:ぷわら  投稿日:2006/09/25(Mon) 21:56
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    えーさん、こんにちは。

    > 面白いのはイランのアフマディネジャド大統領が
    > 「彼の言うこともわかる」とかえらく理解をされていて
    > まあ あまり政治問題にはしたくないみたいですが

    あの方は、頭のよさそうな方ですね。
    ちょっと見た感じ、あんまりえらそうに見えないのが、おもしろいですね。
    国連の総会でNYにいらしてたとき、さかんにメディアにも出て
    かなりまともなことを言ってたので、こちらのイランの印象が
    よくなったのではないかと思います。

    日本では、あの大統領の評判はどうですか?


    [No.2870] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:   投稿日:2006/09/25(Mon) 21:18
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    >
    > 辞書を引きましたら、たしかにsorry というのは、「残念」とか、「遺憾」とか、書いてあるので、そう訳しているのでしょうが、あの時のローマ法王の謝罪をニュースで見たら、とてもそんなふうな言い方ではなく、もっと口語っぽく、「ほんっとに、ごめんなさい。すっごく悪かった。」みたいな感じでした。

     本厄なら分かりますが、翻訳は専門じゃないので…。(-_-;)

     エクスキューズについては、こういうことを読んだことがあります。欧米人はなかなか謝らない。これは事実だ。しかし、(ニッポン人は謝るのは上手だが、)サンキューはあまり云わない。

     そういえば、あっしも海外へ行ったとき、エクスキューズミーやパードンは云ったかも知れませんが、サンキューについてはあまり口にしたことがないような気がします。

     もしこの書き手の言い分が正しければ、悪いのはお互い様となるわけですが…。(^_-)

     また、両者は言葉のニュアンスも違い、ニッポン語の「ごめんなさい」ということばには、謝罪の意味があるけれど、「アイムソリー」にはそれがないということで、欧米人がちゃんと謝っているのに、あまり評価してもらえない、と言う意見もどこかで読んだ記憶があります。

     つまり、お互いに相手ばかし見て、自分をあまりよく見ていないというわけですが、どんな紋でしょうかね?


    [No.2869] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:35斉  投稿日:2006/09/24(Sun) 20:53
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    ぷわらさん 今晩は お珍しい事で! お変わりなく?

    英語の文字読みはパス、全く能力も関心もないので。
    一方ローマ教皇の発言問題は大変関心があります。
    第一、コンクララーベで甲種合格された教皇です、今更何をと!驚きました。

    前の教皇ヨハネ・パウロ二世が、ずば抜けて『他宗教との対話』を大切にされた、
    ので余計に今回のベディクト16世の発言が目立ったのでは?先の教皇は、
    本来、『ユダヤ』、『キリスト』、『イスラム』全く異なる啓典(トーラ・ゴスペル・
    コーラン)を持ちどんなに対話し様と融合する事はありえない関係にあるのを、
    対話によりやっと『頼りなくても支え棒』し様と努力されていたと思います。

    問題発言の切り抜きでなく全文を読めば、『宗教は暴力を勧めない』という主題に
    帰着するとかで、イスラム教世界にも教皇の反省を素直に受け入れているとか?
    無論、過激派は「棚からぼた餅」発言に、勇気百倍気勢を挙げているようですね。

    と此処まではニュースの受け売りです。
    此処でハタと思い出しました。16世はドイツ出身です。昔読んだ笠信太郎の、
    随筆『ものの見方に付いて』の中で、イギリス人は歩きながら考える、
    フランス人は考えた後で走り出す、そしてスペイン人は走ってしまった後で考える・・
    そしてドイツ人は『考えた後で歩き出す』とありました。

    彼等は何か問題解決や提起する場合、どうしてもその拠り所を求めます。
    その拠り所は「das Wesen 本質」でなければいけません。英語のesenceの
    ような曖昧なものでなく、「此れであるから、斯くなる」と言う明解国語。

    さればドイツの文化満身のベディクト16世にとって、「宗教と暴力」の
    神学的論評をするには、たとえ600年前のピザンチン皇帝の発言であっても、
    「ムハマンドが新たに何をもたらしたのかを教えてほしい。自らの説く信仰を剣で、
    布教しろという命令など、邪悪で残酷なものしかない」を引用するのが順当。

    されば此れはドイツ文化の瑕疵、ベディクト16世も被害者とはならないでしょうか?
    何とか早く収めて、ゆめゆめ過激派に利用されぬように願うばかりです。

    35斉


    [No.2868] Re: 国旗国歌は風呂敷・流行歌か 投稿者:小机  投稿日:2006/09/24(Sun) 18:12
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    35斉さん 皆さん 今日は

    > >  都のやっていることは、ロッシーニの歌劇ウイリアム・テルの安っぽいパロディーですね。
    > >
    > なるほど、ならば日教組のやっていることは、セルバンテスのドン・キホーテの日本版ですね。
    > 組織率90%を誇ったのは今は昔、やせ衰えたサンチョパンサ(20%)をつれて・・・

     しかも愛馬は天駆ける汗血馬ならぬ痩せ驢馬ロシナンテ。その痩せ驢馬に打ち跨り、栄養不良のサンチョ・パンサを従えて、悪代官に従うお雇いガンマンの面々を打ち懲らし罰金まで課したのですから大したものです。

     世が世なら紙吹雪の舞う中を歓呼の声に迎えられ、銀の鎧、白馬に跨り悠々とパレードの筈なんですがね。惜しいかなマグナカルタの時代と違い、思想信教の自由は水道栓を捻れば水、コンビニの海苔巻き弁当よりも当たり前、殉教者?何それ?の有難い時代ですから、勝利会見もあまり気勢が上がらないし、なんとなくオタクっぽい風采もあって陰気臭かったですね。やはり、「憂い顔の騎士」の名に恥じぬ? ご様子でした。

     歴史は繰り返す、最初は悲劇として、次はパロディとして
     
    > こんな事は大人がわいわい議論すればよいが、其れより早く『読み書きソロバン』とくに、
    > 読解力を子供たちに叩き込んで欲しい。 間違ってもゆとり教育なんかすべきではないと、
    > 思います。

     昔は高師出の先生の教育プロフェッショナルとしての能力は非常に高かったと思いますし、柔剣道の猛者なんて先生がいれば生徒が小ざかしい態度など取れるものではなかったです。ただ進学率が高くなかったのですから先生も能力を発揮しやすい環境だったと思います。

     高度成長期後半、中卒新入社員の採用を打ち切ったのですが、高校卒でも小数点付きの掛け算が難しい人が入って来る。事は小数点の計算だけでなく、基準を厳しくすると人員計画が成り立たず、緩めると現場が悲鳴を上げる、人事担当者は困っていました。どこに問題があったのか、誰でも教育・訓練で機械とか化学のような産業での働き手にすることが可能かどうか。人それぞれ向き不向きがあり、進学率が上がったから労働力プールが大きくなるとは限らないのかも知れません。


    [No.2867] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:   投稿日:2006/09/24(Sun) 16:40
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       ぷわら さん、こんにちは。おひさしぶりです。

    > 先日、ローマ法王がイスラム教のことで失言しました。
    > そのあと、すぐに、そして何度も謝罪しています。
    > I'm so sorry とか deeply sorry とか。
    > それを、日本の新聞は「深い遺憾」とか「大変残念に思う」と報道していました。
    > (産経だけは、「大変申し訳ない」と訳していました。)
    >
    > それで、日本の掲示板に、「エライ人は、失言しても、ひとごとのように遺憾、ですむんだからいいよな」みたいなことが書いてありました。
    > それも、何件もおなじような感想が。

     いろいろ難しいことは、普通人より毛が三本足りないモン次郎のことゆえ、分かりませぬが、あちらの政治漫画を見る限りでは、やはり新教皇にも若干の紋題があったのでは、と考えています。

     最初の漫画では、教皇らしき人物が教皇庁らしき建物の窓から、群集に呼びかけています。通常は「親愛なる信徒たちよ、」となるところが「親愛なる不信心者たちよ、」となっています。それから一週間ほど経った二回目のでは、定例のアンジェラスの祈りの日の説教で、窓から呼びかける教皇の言葉が、文字化けしたように、言語明瞭意味不鮮明なのを憂慮した、側近の枢機卿達が脇で「誤解を招かないようにやるには、やっぱアラビア語でやるしかないんじゃないかね」などと囁きあっている図柄になっています。

     これは、先代のヨハネパウロ二世の、驚嘆すべきマルチリンがル振りを思い出させます。ま、あの方は特別なんでしょうが、ベネデット新教皇が、演説中にイスラームの開祖、ムハンマドの名を出したのは、チョッと迂闊だったのではないでしょうかね。また、自身ですぐ対応せず、教皇庁を通じ間接的に謝罪したのもまずい対応だと思います。

     月曜日(九月二十五日)、教皇がローマ近郊20KMほどのところにあるカステル・ガンドルフオ(教皇の夏の離宮)で、イスラム関係者と会合を持つということなので、そこでどんな話し合いがおこなわれるのか、また拗れた関係が修復できるのか、あっしは小さいまなこで注目しています。     でわでわ。


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