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[No.2863] 翻訳のむずかしさ 投稿者:ぷわら  投稿日:2006/09/23(Sat) 23:18
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こんにちは。

先日、ローマ法王がイスラム教のことで失言しました。
そのあと、すぐに、そして何度も謝罪しています。
I'm so sorry とか deeply sorry とか。
それを、日本の新聞は「深い遺憾」とか「大変残念に思う」と報道していました。
(産経だけは、「大変申し訳ない」と訳していました。)

それで、日本の掲示板に、「エライ人は、失言しても、ひとごとのように遺憾、ですむんだからいいよな」みたいなことが書いてありました。
それも、何件もおなじような感想が。

辞書を引きましたら、たしかにsorry というのは、「残念」とか、「遺憾」とか、書いてあるので、そう訳しているのでしょうが、あの時のローマ法王の謝罪をニュースで見たら、とてもそんなふうな言い方ではなく、もっと口語っぽく、「ほんっとに、ごめんなさい。すっごく悪かった。」みたいな感じでした。

なんかしくじったあとで、「遺憾です」とか「残念に思います」なんて言ったら、「なんだこのやろ、生意気だ。反省の色が見えない」って思うのではないでしょうか。
でも、「ほんとにごめんなさい。」って言われたら、「ああ、反省してあやまってるな」って思いますよね。

また、以前、(何に対してだったか忘れましたが)小泉さんが、アメリカの好意を「高く評価する」と言ってた、と報道されてました。
その時も、日本の掲示板には「エラそうに」って書かれてました。
その時の英語はappreciate で、たしかに辞書には「高く評価する」って書かれていますので、間違いではありませんが、実際のところは、サンキューよりもっと深くお礼を言う時に使う言葉で、言ってみれば「ほんとうにどうもありがとうございました。ものすごく感謝しています」みたいな意味で、生意気だなんて、逆なんです。

訳した人は、英語に堪能な人なのでしょうから、いくらなんでも、その辺の違いはわかるはずなのに、どうしてあんなふうな報道になるのでしょう。
それとも、自称、英語に堪能、なのかしら?ひひひ。

そういえば、NY日本領事館からくるメールに、「ウェッブサイト」って書いてあるんですけど、英語で読んでも「ウェブサイト」なのに、どうして「ウェッブ」ってちっちゃい「ツ」が入るのかな?って、疑問に思ってます。
こちらにいる日本人で、「英語が堪能」な方は、なぜかこういうヘンな日本語を使いたがります。
それがかっこいいと思っているかのように。

まあ、正直なところ、日系人会に行くと、20年、30年とこちらにお住まいでも、いまだに英語はよくできない、という方が、たくさんいらっしゃいますから、そんなもんかもしれませんね。

でも、仮にもプロの翻訳家とか通訳とか言うからには、しっかりしてもらわないといけないと思います。

ちなみに、ぷわらはこちらに5年住んでいますが、未だに英語なんてできませーん。ははは。


[No.2864] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:   投稿日:2006/09/24(Sun) 01:00
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 ぷわらさん

こんばんは
たしかに西洋ではえらい問題になっているそうですね
ああいう偉い方が失言しちゃうとなんともなりませんね

法王さまの失言は誰もフォローが出来ないそうです
それでもブッシュ大統領やブレア首相なんかは懸命にフォロー
されているようですが

面白いのはイランのアフマディネジャド大統領が
「彼の言うこともわかる」とかえらく理解をされていて
まあ あまり政治問題にはしたくないみたいですが

怖いのは民衆の暴発でしょうね

                    えー


[No.2871] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:ぷわら  投稿日:2006/09/25(Mon) 21:56
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えーさん、こんにちは。

> 面白いのはイランのアフマディネジャド大統領が
> 「彼の言うこともわかる」とかえらく理解をされていて
> まあ あまり政治問題にはしたくないみたいですが

あの方は、頭のよさそうな方ですね。
ちょっと見た感じ、あんまりえらそうに見えないのが、おもしろいですね。
国連の総会でNYにいらしてたとき、さかんにメディアにも出て
かなりまともなことを言ってたので、こちらのイランの印象が
よくなったのではないかと思います。

日本では、あの大統領の評判はどうですか?


[No.2876] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:えー  投稿日:2006/09/25(Mon) 23:38
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ぷわらさん

こんばんはです
アフマディネジャド大統領のことは日本ではあまり話題になりません
たぶん
おそらく名前を覚えるのがやっとだと思います。

                       えー


[No.2865] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:   投稿日:2006/09/24(Sun) 11:35
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ぷわらさん こんにちは。

> そういえば、NY日本領事館からくるメールに、「ウェッブサイト」って書いてあるんですけど、英語で読んでも「ウェブサイト」なのに、どうして「ウェッブ」ってちっちゃい「ツ」が入るのかな?って、疑問に思ってます。

> こちらにいる日本人で、「英語が堪能」な方は、なぜかこういうヘンな日本語を使いたがります。
> それがかっこいいと思っているかのように。

 終戦時の subject 問題は有名ですが 外務省と言う大事な役所に
 oxford 丸暗記位の官僚が居ないと言うのは不思議で済まされません。

                             変蝠林(1917-)。


[No.2872] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:ぷわら  投稿日:2006/09/25(Mon) 21:57
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変蝠林おとうさま、こんにちは。

>  終戦時の subject 問題は有名ですが 

すみません、これ、どんな問題なんですか?


[No.2877] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:   投稿日:2006/09/26(Tue) 14:32
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ぷわらさん

>> 終戦時の subject 問題は有名ですが 
>
> すみません、これ、どんな問題なんですか?


 話せば長くなりますので、先ずは


    「subject to と 降伏問題」


 のタイトルで google を検索して見て下さいませんか。

 上手く行くと詳細な解答が出て来るかも知れません。

                            変蝠林(1917-)


[No.2881] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:小机  投稿日:2006/09/26(Tue) 21:03
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変蝠林(1917-)さん、 ぷわらさん
>
> >> 終戦時の subject 問題は有名ですが 
> >
> > すみません、これ、どんな問題なんですか?
>
>  話せば長くなりますので、先ずは
>
>     「subject to と 降伏問題」
>
>  のタイトルで google を検索して見て下さいませんか。
>  上手く行くと詳細な解答が出て来るかも知れません。

「subject to と 降伏」のように問題の無いほうがいくらか良い結果が得られるようです。

問題があると、降伏がyieldと解釈され、材料力学のほうのsubjectsまで拾う場合が増えてノイズが増えるようです。
                            


[No.2867] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:   投稿日:2006/09/24(Sun) 16:40
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   ぷわら さん、こんにちは。おひさしぶりです。

> 先日、ローマ法王がイスラム教のことで失言しました。
> そのあと、すぐに、そして何度も謝罪しています。
> I'm so sorry とか deeply sorry とか。
> それを、日本の新聞は「深い遺憾」とか「大変残念に思う」と報道していました。
> (産経だけは、「大変申し訳ない」と訳していました。)
>
> それで、日本の掲示板に、「エライ人は、失言しても、ひとごとのように遺憾、ですむんだからいいよな」みたいなことが書いてありました。
> それも、何件もおなじような感想が。

 いろいろ難しいことは、普通人より毛が三本足りないモン次郎のことゆえ、分かりませぬが、あちらの政治漫画を見る限りでは、やはり新教皇にも若干の紋題があったのでは、と考えています。

 最初の漫画では、教皇らしき人物が教皇庁らしき建物の窓から、群集に呼びかけています。通常は「親愛なる信徒たちよ、」となるところが「親愛なる不信心者たちよ、」となっています。それから一週間ほど経った二回目のでは、定例のアンジェラスの祈りの日の説教で、窓から呼びかける教皇の言葉が、文字化けしたように、言語明瞭意味不鮮明なのを憂慮した、側近の枢機卿達が脇で「誤解を招かないようにやるには、やっぱアラビア語でやるしかないんじゃないかね」などと囁きあっている図柄になっています。

 これは、先代のヨハネパウロ二世の、驚嘆すべきマルチリンがル振りを思い出させます。ま、あの方は特別なんでしょうが、ベネデット新教皇が、演説中にイスラームの開祖、ムハンマドの名を出したのは、チョッと迂闊だったのではないでしょうかね。また、自身ですぐ対応せず、教皇庁を通じ間接的に謝罪したのもまずい対応だと思います。

 月曜日(九月二十五日)、教皇がローマ近郊20KMほどのところにあるカステル・ガンドルフオ(教皇の夏の離宮)で、イスラム関係者と会合を持つということなので、そこでどんな話し合いがおこなわれるのか、また拗れた関係が修復できるのか、あっしは小さいまなこで注目しています。     でわでわ。


[No.2873] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:ぷわら  投稿日:2006/09/25(Mon) 22:04
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紋次郎さん、こんにちは。
ほんと、ご無沙汰してます。

>  いろいろ難しいことは、普通人より毛が三本足りないモン次郎のことゆえ、分かりませぬが、あちらの政治漫画を見る限りでは、やはり新教皇にも若干の紋題があったのでは、と考えています。

そうですね、どうしてあんなこと言っちゃったんでしょうね。
仲間内だから大丈夫とでも思ったのかしら?
それでも、公の場で、ほんとのこと言っちゃまずかったです。ははは。

あの発言のあと、ソマリアで子供の病院で働く尼さんが後ろから撃たれて殺されましたよね。
あれは、まさに法王の発言を裏付けました。
やっぱり暴力なんだな、って証明しちゃいました。
ばかですよねー。
なんであんなことするんだろ。

>  月曜日(九月二十五日)、教皇がローマ近郊20KMほどのところにあるカステル・ガンドルフオ(教皇の夏の離宮)で、イスラム関係者と会合を持つということなので、そこでどんな話し合いがおこなわれるのか、また拗れた関係が修復できるのか、あっしは小さいまなこで注目しています。     

きょうですね。
私もニュース、興味津々です。


[No.2869] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:35斉  投稿日:2006/09/24(Sun) 20:53
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ぷわらさん 今晩は お珍しい事で! お変わりなく?

英語の文字読みはパス、全く能力も関心もないので。
一方ローマ教皇の発言問題は大変関心があります。
第一、コンクララーベで甲種合格された教皇です、今更何をと!驚きました。

前の教皇ヨハネ・パウロ二世が、ずば抜けて『他宗教との対話』を大切にされた、
ので余計に今回のベディクト16世の発言が目立ったのでは?先の教皇は、
本来、『ユダヤ』、『キリスト』、『イスラム』全く異なる啓典(トーラ・ゴスペル・
コーラン)を持ちどんなに対話し様と融合する事はありえない関係にあるのを、
対話によりやっと『頼りなくても支え棒』し様と努力されていたと思います。

問題発言の切り抜きでなく全文を読めば、『宗教は暴力を勧めない』という主題に
帰着するとかで、イスラム教世界にも教皇の反省を素直に受け入れているとか?
無論、過激派は「棚からぼた餅」発言に、勇気百倍気勢を挙げているようですね。

と此処まではニュースの受け売りです。
此処でハタと思い出しました。16世はドイツ出身です。昔読んだ笠信太郎の、
随筆『ものの見方に付いて』の中で、イギリス人は歩きながら考える、
フランス人は考えた後で走り出す、そしてスペイン人は走ってしまった後で考える・・
そしてドイツ人は『考えた後で歩き出す』とありました。

彼等は何か問題解決や提起する場合、どうしてもその拠り所を求めます。
その拠り所は「das Wesen 本質」でなければいけません。英語のesenceの
ような曖昧なものでなく、「此れであるから、斯くなる」と言う明解国語。

さればドイツの文化満身のベディクト16世にとって、「宗教と暴力」の
神学的論評をするには、たとえ600年前のピザンチン皇帝の発言であっても、
「ムハマンドが新たに何をもたらしたのかを教えてほしい。自らの説く信仰を剣で、
布教しろという命令など、邪悪で残酷なものしかない」を引用するのが順当。

されば此れはドイツ文化の瑕疵、ベディクト16世も被害者とはならないでしょうか?
何とか早く収めて、ゆめゆめ過激派に利用されぬように願うばかりです。

35斉


[No.2874] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:ぷわら  投稿日:2006/09/25(Mon) 22:14
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35斉さん、こんにちは。

> 問題発言の切り抜きでなく全文を読めば、『宗教は暴力を勧めない』という主題に
> 帰着するとかで、イスラム教世界にも教皇の反省を素直に受け入れているとか?
> 無論、過激派は「棚からぼた餅」発言に、勇気百倍気勢を挙げているようですね。

いいこと言ったんですけどね、誤解をまねく言い方でしたよね。
もっというと、つい、本音が出ちゃったんでしょうね。
どこの宗教でも、しっかりと教義を理解している人と、盲信者がいるのだと思います。
宗教は、物心ともに貧しいものを救うものでしょうから、盲信者がいるのはしょうがないことですが、これを悪用するやつがいるので困るんですね。
こういう人をそそのかすと、なんでもしますから、おそろしいです。
私は、イラクで日本の青年が首を斬られて殺されたのを忘れられません。
なんと無残な。
ただしく宗教を信じていれば、あんなことできるはずがありません。

> 随筆『ものの見方に付いて』の中で、イギリス人は歩きながら考える、
> フランス人は考えた後で走り出す、そしてスペイン人は走ってしまった後で考える・・
> そしてドイツ人は『考えた後で歩き出す』とありました。

日本人は?
まわりを見て、みんなが走ってたら走りだす、のかしら?

> さればドイツの文化満身のベディクト16世にとって、「宗教と暴力」の
> 神学的論評をするには、たとえ600年前のピザンチン皇帝の発言であっても、
> 「ムハマンドが新たに何をもたらしたのかを教えてほしい。自らの説く信仰を剣で、
> 布教しろという命令など、邪悪で残酷なものしかない」を引用するのが順当。

じゃあ十字軍はなんなの?って質問されたら、なんというお答えが返ってくるのでしょう?

> 何とか早く収めて、ゆめゆめ過激派に利用されぬように願うばかりです。

きょうのイスラムとの対談に注目ですね。


[No.2879] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:35斉  投稿日:2006/09/26(Tue) 16:40
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ぷわらさん 今日は

もう直ぐ安倍内閣閣僚が決まります。35斉の最大の関心事は「憲法改正担当大臣?」と、
「財務大臣」、「文部大臣」です。

> > 随筆『ものの見方に付いて』の中で、イギリス人は歩きながら考える、・・・・
> 日本人は?
> まわりを見て、みんなが走ってたら走りだす、のかしら?

本の中では「日本人のタイプ」はこうだとは書いていませんが、「ある面では、
イギリス的でもあるしドイツ・フラン流でもある、いやいやスペイン風の性格もある。
どちらにしても深く掘り下げると、どの民族とも違うし似て非なる性格である」
として、だからとてこれからの日本人の生き方を述べています。
初版が昭和25年ですから半世紀たった今でも通じる思想には恐れ入ります。

> じゃあ十字軍はなんなの?って質問されたら、なんというお答えが返ってくるのでしょう?
>
「布教を邪魔する異教徒を掃除する為であり、其れはイスラムについても同じでしょう」と
お答えなるのでは無いでしょうか?
基本的に双方とも神は一人です。此れは「二つの宗教毎に神を持つ」事を許さない以上、
永遠に妥協は無いでしょう。
だからこれからも事ある毎に紛争は避けられません。もし其れを避けられたら、
其れはもう宗教の場でなく、生臭い政治の世界ではないでしょうか?

> きょうのイスラムとの対談に注目ですね。
イスラム宗教指導者とバチカンとの対談は最早教義等の宗教会議でなく、
異教徒との政治的和解が議題ですから、大人の対談でことなく済む事でしょう。

                        35斉


[No.2870] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:   投稿日:2006/09/25(Mon) 21:18
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>
> 辞書を引きましたら、たしかにsorry というのは、「残念」とか、「遺憾」とか、書いてあるので、そう訳しているのでしょうが、あの時のローマ法王の謝罪をニュースで見たら、とてもそんなふうな言い方ではなく、もっと口語っぽく、「ほんっとに、ごめんなさい。すっごく悪かった。」みたいな感じでした。

 本厄なら分かりますが、翻訳は専門じゃないので…。(-_-;)

 エクスキューズについては、こういうことを読んだことがあります。欧米人はなかなか謝らない。これは事実だ。しかし、(ニッポン人は謝るのは上手だが、)サンキューはあまり云わない。

 そういえば、あっしも海外へ行ったとき、エクスキューズミーやパードンは云ったかも知れませんが、サンキューについてはあまり口にしたことがないような気がします。

 もしこの書き手の言い分が正しければ、悪いのはお互い様となるわけですが…。(^_-)

 また、両者は言葉のニュアンスも違い、ニッポン語の「ごめんなさい」ということばには、謝罪の意味があるけれど、「アイムソリー」にはそれがないということで、欧米人がちゃんと謝っているのに、あまり評価してもらえない、と言う意見もどこかで読んだ記憶があります。

 つまり、お互いに相手ばかし見て、自分をあまりよく見ていないというわけですが、どんな紋でしょうかね?


[No.2875] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:ぷわら  投稿日:2006/09/25(Mon) 22:27
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紋次郎さん、こちらでも、こんにちは。

>  本厄なら分かりますが、翻訳は専門じゃないので…。(-_-;)

毎年が本厄のぷわらです。^0^

>  エクスキューズについては、こういうことを読んだことがあります。欧米人はなかなか謝らない。これは事実だ。しかし、(ニッポン人は謝るのは上手だが、)サンキューはあまり云わない。

これねえ、よく言われてますよね。
ヨーロッパのことでしょうか?(私、ヨーロッパは知らないので)
アメリカ人は、よくアイムソーリーって言います。
口だけじゃなくて、ほんとに謝ります。
ただ、ユダヤ人は謝りませんね。

日本人は、どうなんでしょうね。
こちらに来る前に、「ヘンに謝ったら自分のせいにされるから、謝っちゃいけない」みたいなことをきいたことがあります。
たぶん、それってけっこう知られていることだと思いますが、実際とはちがうようです。
普通に日本とおなじようにしていれば大丈夫だと思います。

>  また、両者は言葉のニュアンスも違い、ニッポン語の「ごめんなさい」ということばには、謝罪の意味があるけれど、「アイムソリー」にはそれがないということで、欧米人がちゃんと謝っているのに、あまり評価してもらえない、と言う意見もどこかで読んだ記憶があります。

apologize とも言いますね。
I apologize to you, I'm sorry. みたいに。
謝ります、ごめんなさい。とでも訳しましょうか。
これはほんとに謝ってます。

>  つまり、お互いに相手ばかし見て、自分をあまりよく見ていないというわけですが、どんな紋でしょうかね?

そうですね。

今回のローマ法王のことで、友達のアメリカ人が、「こんなに謝ってるのに、それには耳をかさずに怒ってるんだもんなー」って言ってました。
そこで、ふと、こんなことを思いました。
日本だって、さんざん謝ってるのに、いまだに謝罪を要求されてるなー、って。
どこの国でも、様々な思惑が絡むので、どんな言葉で謝っても、無駄になることもあるのかもしれませんねえ。


[No.2878] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:   投稿日:2006/09/26(Tue) 14:33
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 ぷわら さん、みなさん、こんにちは

 エクスキューズ(動詞)を安物の古い辞書(長男のお下がり(-_-;))で引くとこうある。第一義は確かに(人や行為を)許す、勘弁する、だが第二義になると[普通は否定文で](事情が)の弁解になる、言いわけとして通る、第三義にいたっては、…の言いわけをする、弁解する、とあり、こんな例文が載っている。

 He is always excusing what he has done.She excused her own mistake by blaming others.つまり、この言葉自体に、言いわけというか、誤魔化しというか、言いつくろうと言うか、そういった意味が最初から含まれているようだ。

 そこで、さらに上を見ると、ラテン語で「非難を取り除く」の意。とある。してみると、どんな方法を使っても、非難を取り除けさえすればいいのではなかろうか。

 しかし、この紋題は、言葉の紋題というより、別の面から捉えるべきではないのか、と思う。どんな紋題でも『前号までの粗筋』というものがある。キリスト教側から見れば、なぜ普通の発言に彼らは過剰反応をするのかと、思うかもしれない。しかし、例の「ムハンマドの諷刺画」事件だってイスラム側が納得するような形で収束したとは思えない。

 今回もまるでムハンマドが暴力を奨励しているかのような発言になっている。これには不満の国も多いと思う。また、ブッシュら(キリスト教国)のやり口を見ていると、イスラム国を一視同仁するような発言が見られるが、これも著しく公平を欠く。

 視野をひろげる意味では、「アルジャジーラEnglish version」を見るのも一法だ。「アルジャジーラ」の時事問題を扱う欄には、こんなマンガが出ていた。最初に前教皇ヨハネパウロ二世があらわれ、平和のハトを何羽も飛ばし、宗教間の調和をはかる努力をつづけると、その後に銃を構えたベネディクト新教皇がやって来て、そのハトを片っ端から打ち落としてしまう。血まみれのハトの死骸の側で、頭を抱えこみ、しゃがみ込んでしまった前教皇の脇に、銃を手に立ち尽くす新教皇。

 別にアルジャジーラから貰っているわけではないが、いろいろ手を広げれば話題も広がるのではないか、と思い付け加えたまでです。 ではまた。


[No.2882] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:   投稿日:2006/09/26(Tue) 22:24
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   ぷわら さん、みなさん、こんばんは。

 誰でも知っているように、ヴァチカンはイタリアではない。しかし、イタリアの首都ローマにあるのも事実である。そこで、そのイタリアの、政界の反応はどうかと見るに(チョッと旧聞に属するが)、ほとんどが教皇発言(9/12故郷ドイツのでの講演)容認派で、異議を唱えたのはディ・ピエトロ大臣ただひとりである。

 かれは教皇はイスラム世界に対し、しかるべき謝罪をすべきだとするが、現首相ロマノ・プロディさえ、議論するまでもなく教皇は、ご自身のご意見を述べられたのだし、宗教間対話と、それぞれの宗教への尊敬が必須であり、そもそも宗教は暴力を正当化すべきでない。従って、全ての宗教は世界中で、対話、共存、平和を推進して行かなければならない、と語った、という。

 一方、インフラストラクチャー担当大臣の、アントニオ・ディ・ピエトロ氏は、こうした場合には、誰であろうと、教皇であろうと、バクハツ寸前の状態を助長するような意見は避けるべきである、としている。教皇の言葉は火に油を注ぐのと変わらず、自身で謝罪し、しかるべき説明をすべきだと言うのだ。「主イエス・キリストは、福音書によれば、右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出せと教えているし、大体スポークス・マンに丸投げはよくない、」とも。

 副首相のダレーマ氏は、教皇庁の説明は、イスラム世界およびジハッドについての教皇の言葉を、余すところなく、正確に伝えている、としている。

 北部同盟のカルデローニ氏は、左派のバカ共がそのうち、あの発言は、イスラム世界への侮辱にあたるとか云って、教皇に退位を迫ったりするんじゃないか、と心配だ。教皇のメッセージは、平和的な対話を求めるものだった、と。
大体こんな風なことを言っているようだ。

 ところで話は変わるが、こういう本をご存知だろうか?「イスタンブールで、教皇を殺るのは誰か?」何とも物騒な書名だが、これが今トルコで、インターネットを通じて、バカ売れしているそうだ。しかもこの12月、教皇がトルコを訪問することになっているそうだから本の出版は実にタイムリー、というべきなのだろう。

 そういえば、過激派は、事件発生直後、教皇庁襲撃も辞さないとメッセージを出した経緯もある。ここで対応を誤ると、事態は思わぬ方角へ向かう危険をはらんでいる。

 今回の、教皇のカステル・ガンドルフォでの謁見についての、アラブ世界からの反応として、ある欧州紙は、アル・ジャジーラやアル・アラビーヤは、違った受け取り方をしているとしている。つまり、教皇は謝罪の方は棚上げにして、イスラム側に暴力と縁を切るよう、また、教皇庁側の対話に参加するよう要請したにすぎない、と。

 ただ、在伊のイスラム関係者や、イラクは、おおむね教皇の発言を肯定しているようだ。以上。 ではまたそのうちに。