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[No.2869] Re: 翻訳のむずかしさ 投稿者:35斉  投稿日:2006/09/24(Sun) 20:53
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ぷわらさん 今晩は お珍しい事で! お変わりなく?

英語の文字読みはパス、全く能力も関心もないので。
一方ローマ教皇の発言問題は大変関心があります。
第一、コンクララーベで甲種合格された教皇です、今更何をと!驚きました。

前の教皇ヨハネ・パウロ二世が、ずば抜けて『他宗教との対話』を大切にされた、
ので余計に今回のベディクト16世の発言が目立ったのでは?先の教皇は、
本来、『ユダヤ』、『キリスト』、『イスラム』全く異なる啓典(トーラ・ゴスペル・
コーラン)を持ちどんなに対話し様と融合する事はありえない関係にあるのを、
対話によりやっと『頼りなくても支え棒』し様と努力されていたと思います。

問題発言の切り抜きでなく全文を読めば、『宗教は暴力を勧めない』という主題に
帰着するとかで、イスラム教世界にも教皇の反省を素直に受け入れているとか?
無論、過激派は「棚からぼた餅」発言に、勇気百倍気勢を挙げているようですね。

と此処まではニュースの受け売りです。
此処でハタと思い出しました。16世はドイツ出身です。昔読んだ笠信太郎の、
随筆『ものの見方に付いて』の中で、イギリス人は歩きながら考える、
フランス人は考えた後で走り出す、そしてスペイン人は走ってしまった後で考える・・
そしてドイツ人は『考えた後で歩き出す』とありました。

彼等は何か問題解決や提起する場合、どうしてもその拠り所を求めます。
その拠り所は「das Wesen 本質」でなければいけません。英語のesenceの
ような曖昧なものでなく、「此れであるから、斯くなる」と言う明解国語。

さればドイツの文化満身のベディクト16世にとって、「宗教と暴力」の
神学的論評をするには、たとえ600年前のピザンチン皇帝の発言であっても、
「ムハマンドが新たに何をもたらしたのかを教えてほしい。自らの説く信仰を剣で、
布教しろという命令など、邪悪で残酷なものしかない」を引用するのが順当。

されば此れはドイツ文化の瑕疵、ベディクト16世も被害者とはならないでしょうか?
何とか早く収めて、ゆめゆめ過激派に利用されぬように願うばかりです。

35斉


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