「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 1 面白い大道行商人
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- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 31 号外、椎名町商店街を行く (編集者, 2016/6/25 6:35)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 32 街の写真屋さん (編集者, 2016/6/26 8:37)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 33 勝鬨橋 (編集者, 2016/6/27 8:28)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 34 予防注射 (編集者, 2016/6/28 7:43)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 35 行商のおばさん (編集者, 2016/6/29 7:42)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 36 馬ふんと牛ふんの道 (編集者, 2016/6/30 7:44)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 37 椎名町の酒屋さん (編集者, 2016/7/1 7:08)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 37 椎名町の酒屋さん (編集者, 2016/7/2 6:50)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 38 駅の切符切り (編集者, 2016/7/3 7:48)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 39 電車からお化け煙突を見る (編集者, 2016/7/4 6:57)
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号外、椎名町商店街を行く 1953年
描き残したい昭和「号外、椎名町商店街を行く」昭和28年(1953年)チャッチャッチャッ。鈍い鈴の音が街に響く。ひもに結んだ鈴を上下に揺らして「号外」「号外」と叫んで配る新聞配達の人。物見高いみんなは家から出てきて「チョーダイ!」「こっちにもね!」チャッチャッチャッという音を聞くと急ぎ足で駆け出している風にも聞こえたが普通に歩いていた。急を煽っているだけ。号外は突発的な事件、事故、災害をニュースとしていち早く伝えるために新聞社が配ったもの。毎号の新聞以外の号ということで号外ということらしい。
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街の写真屋さん 1960年
描き残したい昭和「街の写真屋さんの撮影風景」昭和35年(1960年)
「はい、それじゃ鳩が出ますからね、はい」そしてバスーンという発火音で撮影は終わります。シャッターを切るとストロボ(というのかどうか)のマグネシウム金属粉が強烈な光を放って燃え尽きる。昭和35年ぐらいまでは街の写真屋さんの撮影はこんな風でした。木枠で作った蛇腹の大きな写真機に乾板を装着して一枚一枚撮影しました。
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勝鬨橋
この昭和も描き残したいです勝鬨橋。「鬨」という漢字。いかにもこの橋らしい。
「勝鬨橋が開いた」昭和15年に開通した勝鬨橋。一日に5回、1回に20分開きました。大型船が汽笛を鳴らして通過します。築地と月島を結ぶ隅田川の橋で東京湾河口にある晴海通り。船が減って車が増えてきたので昭和45年にその開閉の役目を終えました。隅田川河口は潮が引いて川底が現れると餌のゴカイを採ってハゼやセイゴ釣り場になったことです。
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「予防注射」 1952年
また昭和に戻りました。ちょっと描き残したいと思いまして。
描き残したい昭和「予防注射」昭和27年(1952年)列を作ってお医者さんの前に並ぶ。クレゾールの匂いが漂う。ツベルクリン、BCG、腸チフス・パラチフス、日本脳炎、ほうそうなどいろいろありました。学校の年中行事です。小さなガラス瓶の首をやすりでパチンと切って、注射針を挿し入れて液を吸い出す。「ピュッ」注射器を天に向けて注射器の空気を追い出す。一回の注射液で5~6人に続けて使った。今こんなことはやれません。
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行商のおばさん
私の記憶画「描き残したい昭和」です。昔私が学生の頃、常磐線の電車の中は行商のおばさんがたくさんいました。日暮里や上野方面の料亭やごひいき筋に新鮮野菜を運ぶのです。背負うのを助ける私、ものすごく重い荷物でした。つい最近60年も銀座で行商を続けた石山文子さんの記事がありました。朝採りの野菜を銀座に運んで「店」を開いた83才の石山文子さん。60年も続けた。「昔は、なーんも無かったんだよ、着るもんも食うもんもなーんもねえの。20で嫁に行ってよー、朝っぱらから洗濯してよ、わらでご飯炊いてよ、 手なんか荒れゃって真っ赤だよ。 便所の中で涙こぼして、実家の方見て叫んだよ。 帰りてーよー、帰りてーよーって、 泣いて泣いて泣き抜いたよ」と言って昔を振り返る文子さん。とうとういつもの場所がビルの建設現場になった。しかし工事の人たちは「そこだけ」は開けてくれた。今どうしているでしょう。
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「馬ふんと牛ふんの道」 1952年
記憶に残る昭和の光景を描いています「馬ふんと牛ふんの道」昭和27年(1952年)
昭和20年代は荷車を引く馬は農地を耕す牛が往来していました。落とすふんはあたたかい湯気があがっていました。牛と馬は食べるものが違うから出るものは形も色も違います。馬ふんを踏むと背が伸び牛ふんは背を縮めるという言い伝えがこどもらにありました。道は舗装道路ではなくて砂利を敷いたり石炭殻を撒いたりアサリやハマグリの殻を撒いたりした道なので土がむき出しでした。ふんは押しつぶされて道に吸収されたり乾いて舞い散って自然消滅でした。
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椎名町の酒屋さん 1954年
昭和29年頃、豊島区椎名町。駅前通りの酒屋さん。あざやかな手さばき。味噌を天秤ばかりで量ったあと、しゃもじを「えい!」と投げ味噌樽に投げ入れる。正確にしゃもじが味噌の山に突き刺さる。経木にのった味噌はこれも鮮やかにくるみ「はい、おまちど」しゃもじですくった味噌の量も丁度頼んだ200匁。ちょっと多いと「えい、おまけだ」。醤油や酢、大豆油を買う時には酒屋さんに瓶を持っていく。酒屋さんのにおいは味噌・醤油・酢・油・酒それと乾物などの混ざったにおいが漂う。懐かしいにおいだ。思い出す事の出来るにおいです。
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椎名町の酒屋さん 1954年
昭和29年頃、豊島区椎名町。駅前通りの酒屋さん。あざやかな手さばき。味噌を天秤ばかりで量ったあと、しゃもじを「えい!」と投げ味噌樽に投げ入れる。正確にしゃもじが味噌の山に突き刺さる。経木にのった味噌はこれも鮮やかにくるみ「はい、おまちど」しゃもじですくった味噌の量も丁度頼んだ200匁。ちょっと多いと「えい、おまけだ」。醤油や酢、大豆油を買う時には酒屋さんに瓶を持っていく。酒屋さんのにおいは味噌・醤油・酢・油・酒それと乾物などの混ざったにおいが漂う。懐かしいにおいだ。思い出す事の出来るにおいです。
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駅の切符切り 1987年
人と人の触れ合いがなんだか濃い時でした。鮮やかな駅員さんの手さばき。熟練の極致だと思いました。「駅の切符切り」昭和62年(1987年)改札口でカチカチカチと改札鋏(パンチ)を空打ちしている駅員さん。閑でそうしているのではなくてリズムをとっていました。一秒間に二人から三人の切符を切る目にもとまらぬ速さ。クルリとパンチを一回転させて入鋏する早わざ。切符を受け取った手をパンチを持つ手と交差して入鋏する技、逆パンチ。手に負担がかかるのでよく腱鞘炎になった。1992年にJRはパンチの使用をやめた。代わってハンコでペタペタ。でも見事なパンチ技に見慣れていたので物足りない気持ちがしました。描き残したい昭和です。
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電車からお化け煙突を見る 1963年
描き残したい昭和です「電車からお化け煙突を見る」昭和38年(1963年)
山手線日暮里から常磐線に乗ると楽しみはお化け煙突。四本の煙突が変化するちょっとしたアトラクションでした。三河島駅から南千住にかけて電車はお化け煙突を巻くように走る。はじめに二本、煙突にだんだん近づいて三本、そして二本、南千住の手前で四本になる。東電千住火力発電所のこの煙突は東京オリンピックの昭和39年に取り壊されました。残念ですこんな面白いのはなかったのに。もうこれを知る人はどれくらいいるでしょうかねえ。