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思い出の釜山府外史:飲食品と飲食店-3(米田)

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あんみつ姫

通常 思い出の釜山府外史:飲食品と飲食店-3(米田)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/4/19 15:38
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
続きです。

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菓子類のうちキャラメル、チョコレートは内地から入っていた。森永、明治、グリコの他、新高《にいたか》どろっぷ、新高アメというのもあった。
キャラメルは10粒入りの小箱が五銭、20粒入りのが十銭で一粒300m《=商標》のグリコがオマケ付きで10粒五銭だが子供には人気があった。

チョコレートは子供が一番好んだ。板チョコの他、チューブ入りのもあったが日頃の小遣いでは買えなかった。土産で買うか遠足、運動会が食べられるチャンスとなろう。

内地製の菓子は別として、釜山でも種々菓子は造られていた。郵便局本局前のミヤノと西町の山本堂はカステラを造っていた。東本願寺辺りには「最中」や「甘納豆」を造る店があった。

うちの前の薄井羊羹《ようかん》屋では老夫婦が旨い練羊羹を造っていた。
日韓市場南側の末広軒は電気饅頭《まんじゅう》、長手通りの水月堂では残月という類似の饅頭を4~5銭で売り出していた。
三中井百貨店の一番奥で造る一個二銭の今川焼き風どら焼きも見逃せない。

大庁町通りの大和屋はかなりの従業員がいて、パン、生菓子、洋菓子(ショートケーキ)を造っていた。西町電話局前には十八(トハチ)屋というパン専門店があった。

当時パンと言えば餡《あん》パン、ジャムパン、クリームパン等菓子風のものが主で、バターや牛乳を必要とする食パンを食べることは少なかった。

郵便局本局裏にある木下は支那風《=中国風》饅頭で人気があった。支那人が経営する饅頭屋が府内各所にあった。一般に支那饅頭と言えば餡入りで、肉饅と区別されていたようだ。これらの饅頭は一個二銭位であった。

釜山にはかなりの支那人がおり饅頭屋の他、支那料理屋、衣類などの行商、割れ物直し、大道芸など色々な稼業をしていた。満州町の支那領事館の周辺には彼等が集まっていた。

あの当時は餅《もち》には何かと縁があった。誕生日の子供に大きな餅を担がせて、餅を神棚に供えたり、祝い餅を配ったりもした。新築時の棟上《むねあげ》には、餅撒《もちまき》行事は大人も子供も大賑わいだ。

年末になると何処《どこ》でも家の前で餅を搗《つ》いた。各家庭では糯米《もちごめ》を洗い、餡餅用の餡を用意し、臼《うす》と蒸籠《せいろ》で巡回する賃搗《ちんづき》屋を待った。
餅屋の中では大庁町通りの親玉と幸町の朝日餅が知られていた。

               ― 続く ―

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あんみつ姫

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