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Re: 紫竹のの8月15日(2)

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桂女

通常 Re: 紫竹のの8月15日(2)

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2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/8/6 10:48
桂女  新米   投稿数: 9
紫竹のさん、


そうですか、戦時中動員で桂にいらしたんですか? 今自衛隊のところ、軍需《ぐんじゅ=軍事用の需要》工場だったんですね。私は伊丹の三菱へ動員でしたが、旋盤、ボール盤、工場の雑音と焼けた鉄粉の匂いを思い出しました。旋盤は男の子《=男子生徒》で私達《=女学生》はボール盤しか触《さわ》らせて貰えませんでした。穴あけの他、細いドライバーでバリコンの歪み《ひずみ=ゆがみ》調整をしたり、小型変圧器のコイル巻きなどやりましたがあれは飛行機のどこに使ったんでしょうね。

夕食後は灯火管制《とうかかんせい=電灯の光が外へ漏れないようにした》の電灯の下で授業が行われましたが、戦局の悪化と共に時間が短くなり、栄養失調《えいようしっちょう=栄養が不足して体調を崩す》と疲労で居眠りが続出して勉強はお座なりになりました。大阪も神戸も空襲で燃え上がるのを遠くに見ました。真っ赤に染まった空をみんな震《ふる》えながら抱き合って何時までも見ておりました。

不謹慎《ふきんしん=つつしみのない事》ながら、青空に編隊を組む「B29」の群れ、息を呑む程綺麗《きれい》でした。一度、警報発令で避難の途中、低空飛行の機銃掃射《きじゅうそうしゃ=飛行機から銃で連射する》を間近に見ました。怖くてそれからは敵機を見るために壕を出る勇気は無くなりました。

戦争は絶対してはいけません。苛め《いじめ》られてもキレてはいけないのです。切ないですねぇ。

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