阪神大震災と私
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阪神大震災と私 (kousei2, 2008/2/5 22:10)
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投稿日時 2008/2/5 22:10
kousei2
投稿数: 250
これは哈爾浜《ハルピン》学院21期卒業生の同窓会誌「ポームニム21」に寄稿された馬場 正治氏の記録を、久野 公氏の許可を得て記載するものです。
まったくひどい地震だった。一月十七日未明、ド~ン!と突き上げるような上下動で、反射的に飛び起きたが、続く左右の大揺れで不安が増大した。階下の家内に、早く二階に!と大声で叫ぶ。階段の手摺りに掴まり、これは大変だぞ…と考え乍ら立っていた。明るくなって戸外に出た。幸い被害は無い模様だ。
停電も止んだのでTVをつけると、ブラウン管から混乱を極めた震源地の様子が、洪水のように溢れ出した。信じられない状況だ。神戸全域に大火災が発生しているらしい。震度、神戸六、京都五、大阪四と気象庁発表。
ちょっと話がそれるが、この気象台発表には、大阪に住む我々にとって、疑問に思うことが多い。昨年十一月から十二月にかけて猪名川町(大阪兵庫府県境にあるベッドタウン)付近を震源とする百回近い群発地震《注1》が発生し、一帯の住民や大阪の我々も少なからず不安を抱いた。気象台からは何の発表もなかった。一月に入ると揺れはピタリとなくなったが、阪神大震災のあと、再び揺れが始まった。
神戸中心の余震はすぐ報道されるが、猪名川震源の地震については一向に知らされない。二月十八日、廿七日にかなり大きな有感地震があって、地元や大阪から二千本もの間合わせ電話が殺到したためか、二十八日付、三月六日付朝日朝刊に大きく取り上げられた。
大阪管区気象台によると、地震計はそれまで、神戸、姫路、豊岡、洲本の四カ所に設置されていたが、二月十七日、北淡町、神戸垂水区、西宮市、猪名川町、大阪西淀川区の五カ所にも他の気象台から借りるなどして、やっと臨時の震度計を設置したが、「震度計の数が足りず、全震域凡てをカバーできていない」という。猪名川地震を公表すると、パニックが起こるのを警戒してのことらしいが、正確に情報を伝えることが、不安を取り除く最良の方法と思う。
役人の考え方は理解し難い。それにしても、どんな予算であるかば知らぬが、震度計の不足でカバーできないなど、お粗末を通り越して職務怠慢であると言いたい。大阪管区気象台は上町台地の堅固な岩盤の上に建っているので、沖積層《注2》の土地より揺れ方が少ないそうだ。欲求不満が高じての弁である。
一月十八日
終日TVに食いついて過ごす。神戸方面は全く連絡不能。電話はどこにも通じない。混乱した情報の飛び交う中、戦後最悪の災害が悲惨な様相で姿を現す。神戸市は開発優先で災害時の食料備蓄をしていなかったとか、神戸市株式会社は一転非難の対象となる。
とにかく、政府も県も市も、行政の対応が遅い。生き埋めになり、災に巻かれる人が画面に溢れるのに、自衛隊は、消防車はどうなっているのか。報道のヘリは飛び回っているのに、ヘリで消火はできないのか。報道よりも救助が先だ………もどかしい思いで黒煙の街を見る。何とかならぬものか……。
一月十九日
死者三千人を越すという。やりきれない思い。朝、岳友《がくゆう=山友だち》より、有志で被災地仲間の安否確認と救援に行かぬかと誘いあり、数名アベノ《大阪東部のターミナル》に集い打合せをする。西宮、芦屋、できれば神戸まで行こうと決り、携行品は各自調達することにして別れる。
帰途デパート、スーパーを探すが店頭からミネラルウォーター、ウーロン茶が姿を消している。パンもない。夕方まで走り回って、数本のボトルを手に入れた。パンも買えた。
TVは、長田区の焼跡に土くれを叩きつける放心の男を映し出していた。
(つづく)
注1.
限られた地域に比較的小さな地震が頻繁に起こる地震
注2.
約2万年以前 河川等により運ばれた腐植土 泥土が堆積して形成された層で 一般に軟弱である事が多い
まったくひどい地震だった。一月十七日未明、ド~ン!と突き上げるような上下動で、反射的に飛び起きたが、続く左右の大揺れで不安が増大した。階下の家内に、早く二階に!と大声で叫ぶ。階段の手摺りに掴まり、これは大変だぞ…と考え乍ら立っていた。明るくなって戸外に出た。幸い被害は無い模様だ。
停電も止んだのでTVをつけると、ブラウン管から混乱を極めた震源地の様子が、洪水のように溢れ出した。信じられない状況だ。神戸全域に大火災が発生しているらしい。震度、神戸六、京都五、大阪四と気象庁発表。
ちょっと話がそれるが、この気象台発表には、大阪に住む我々にとって、疑問に思うことが多い。昨年十一月から十二月にかけて猪名川町(大阪兵庫府県境にあるベッドタウン)付近を震源とする百回近い群発地震《注1》が発生し、一帯の住民や大阪の我々も少なからず不安を抱いた。気象台からは何の発表もなかった。一月に入ると揺れはピタリとなくなったが、阪神大震災のあと、再び揺れが始まった。
神戸中心の余震はすぐ報道されるが、猪名川震源の地震については一向に知らされない。二月十八日、廿七日にかなり大きな有感地震があって、地元や大阪から二千本もの間合わせ電話が殺到したためか、二十八日付、三月六日付朝日朝刊に大きく取り上げられた。
大阪管区気象台によると、地震計はそれまで、神戸、姫路、豊岡、洲本の四カ所に設置されていたが、二月十七日、北淡町、神戸垂水区、西宮市、猪名川町、大阪西淀川区の五カ所にも他の気象台から借りるなどして、やっと臨時の震度計を設置したが、「震度計の数が足りず、全震域凡てをカバーできていない」という。猪名川地震を公表すると、パニックが起こるのを警戒してのことらしいが、正確に情報を伝えることが、不安を取り除く最良の方法と思う。
役人の考え方は理解し難い。それにしても、どんな予算であるかば知らぬが、震度計の不足でカバーできないなど、お粗末を通り越して職務怠慢であると言いたい。大阪管区気象台は上町台地の堅固な岩盤の上に建っているので、沖積層《注2》の土地より揺れ方が少ないそうだ。欲求不満が高じての弁である。
一月十八日
終日TVに食いついて過ごす。神戸方面は全く連絡不能。電話はどこにも通じない。混乱した情報の飛び交う中、戦後最悪の災害が悲惨な様相で姿を現す。神戸市は開発優先で災害時の食料備蓄をしていなかったとか、神戸市株式会社は一転非難の対象となる。
とにかく、政府も県も市も、行政の対応が遅い。生き埋めになり、災に巻かれる人が画面に溢れるのに、自衛隊は、消防車はどうなっているのか。報道のヘリは飛び回っているのに、ヘリで消火はできないのか。報道よりも救助が先だ………もどかしい思いで黒煙の街を見る。何とかならぬものか……。
一月十九日
死者三千人を越すという。やりきれない思い。朝、岳友《がくゆう=山友だち》より、有志で被災地仲間の安否確認と救援に行かぬかと誘いあり、数名アベノ《大阪東部のターミナル》に集い打合せをする。西宮、芦屋、できれば神戸まで行こうと決り、携行品は各自調達することにして別れる。
帰途デパート、スーパーを探すが店頭からミネラルウォーター、ウーロン茶が姿を消している。パンもない。夕方まで走り回って、数本のボトルを手に入れた。パンも買えた。
TVは、長田区の焼跡に土くれを叩きつける放心の男を映し出していた。
(つづく)
注1.
限られた地域に比較的小さな地震が頻繁に起こる地震
注2.
約2万年以前 河川等により運ばれた腐植土 泥土が堆積して形成された層で 一般に軟弱である事が多い