Re: 成瀬孫仁日記(七)昭和十七年九月~昭和十七年十二月
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成瀬孫仁日記(七)昭和十七年九月~昭和十七年十二月 (あんみつ姫, 2009/3/21 15:13)
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あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
昭和十七(康徳九)年十月
二十三日(金)晴 寒
十月二十一日が本年の初雪だった。冬が馳足でやって来た。秋晴の天候は一日にして、陰欝な冬に変る。寮の事でも頭がわれるようだ。悩み切った自分の弱い事よ。昨夜もブヘットへ行った。冷え切った心は暖い一杯の紅茶を求めている。併し扉は閉ざされていた。
月は煌々として雪を照らしている。静かな夜に腹立たしくなり雪を蹴って帰った。三時頃まで寝れない。結局、学校は休んだ。
二十六日(月)晴 暖
今日と云う日は新しい革命を与えて呉れた日である。北寮を出て南寮に移る。
夜、歓送会あり。悪いが面白くない時を過す。淋しい事より敗北感が強い。人間って弱いものよ。人事みたいに言うな、お前自身の事だぞ。俺の事じゃない。自分の事ならあまりにみじめ過ぎる。 まあ、之を理論立てるか。理論になるのか、なれば少しはみじめさから救われる。
二十七日(火)暖
朝、登校することはしたが、授業を受ける気持にならず街へ出る。
哈爾浜会館でマレー戦記を見る。面白いよ、こんなの見て気が晴れれば世話はない。
昭和十七(康徳九)年十一月
一日(日)雪
南寮の生活にも慣れて来た。時がたてば忘れるだろう。昨日、川辺と秋林へ散歩に出る。彼の思想は確かだ。彼は誤ちを犯してないと信じている。彼が弱気になって寮長を止める気になったのは誰も知らないが、恐らく健康の問題だろう。
昨夜、北寮柔道部室で送別会をして呉れた。後、名古屋グリル、太平洋と数店梯子の旅をする。特に一年生に言った。人生みじめな思いをせぬように生きよう、と。
今、周囲を見て一番みじめな境遇にあるのは蒙古民族ではないだろうか。外蒙園、ソ咲、支那、満州国と分裂した民族としての生活を余儀なくされている。之は研究テーマの一つになるのではないだろうかと偉そうな事を考えた。
ラグビーの試合あり。関東州以外の決勝戦、学院は満州医大を二十対零で快勝す。昨夕からの雨まじりの雪の中で戦って勝ったラグビー部に感謝の声援を送る。
柔道部は無段者大会あり。二組出場せしも皆敗退す。鮮系国民高等学校、大道館の意気旺なり。
四日(水) 晴
室内温度が昨夜は二十三度に迄昇ったが、今日は調節されて十八度から二十度位、丁度良し。
昨夜、伊藤鎭と話し合う。結局、彼の言葉、彼の態度に対する反感があんな事を言わせたのだろうか、私はあんな場合にあんな調子であんな言葉が出て来るとは思わなかった。矢張り恥かしい。
今日は映画〝南の風″を見そこなっただけか、又米内先生の所の〝パルシニヤ″も見そこねた。残念。
明治節の良き日を拝して十一月三日大道館で武道大会があった。柔道は優勝したが、剣道は工大に破れた。
七日(土)雪
朝から雪降る。寒し。一時限、授業さぼって北寮に行く。川口は長い間寝ていたが、金を送って来たと云って街へ出たようで居ない。竹内先生の所に子供さんが二人居ただけだ。
川辺が来たので小母さんに夕食を御馳走になり帰る。帰りは寒かった。
八日(日)晴
外要人民共和国、露語小説原書買う。
映画南の風。
南の風は暖い。併し北の風はどうだろう。淋しいしらべしかない。昼間、雁が三羽南へ飛んだ。間抜けた雁にしても矢張り淋しい。北と南の差か。北進する者の行方は暗い。
十一日(水)晴
数日前から猛烈な風邪に襲われる。苦しい事、たとえ方なし。併し学校は休まざりし。
夜、北寮へ行ったが、直ぐ帰った。淋しいからだ。淋しさは何処から来るのだ。やり切れないが、現実だ、何処まで落ちる。
若し寒い北風が吹くなら、吹かれよう。それに乗って暖かい南の国へ行けるから。
二十三日(金)晴 寒
十月二十一日が本年の初雪だった。冬が馳足でやって来た。秋晴の天候は一日にして、陰欝な冬に変る。寮の事でも頭がわれるようだ。悩み切った自分の弱い事よ。昨夜もブヘットへ行った。冷え切った心は暖い一杯の紅茶を求めている。併し扉は閉ざされていた。
月は煌々として雪を照らしている。静かな夜に腹立たしくなり雪を蹴って帰った。三時頃まで寝れない。結局、学校は休んだ。
二十六日(月)晴 暖
今日と云う日は新しい革命を与えて呉れた日である。北寮を出て南寮に移る。
夜、歓送会あり。悪いが面白くない時を過す。淋しい事より敗北感が強い。人間って弱いものよ。人事みたいに言うな、お前自身の事だぞ。俺の事じゃない。自分の事ならあまりにみじめ過ぎる。 まあ、之を理論立てるか。理論になるのか、なれば少しはみじめさから救われる。
二十七日(火)暖
朝、登校することはしたが、授業を受ける気持にならず街へ出る。
哈爾浜会館でマレー戦記を見る。面白いよ、こんなの見て気が晴れれば世話はない。
昭和十七(康徳九)年十一月
一日(日)雪
南寮の生活にも慣れて来た。時がたてば忘れるだろう。昨日、川辺と秋林へ散歩に出る。彼の思想は確かだ。彼は誤ちを犯してないと信じている。彼が弱気になって寮長を止める気になったのは誰も知らないが、恐らく健康の問題だろう。
昨夜、北寮柔道部室で送別会をして呉れた。後、名古屋グリル、太平洋と数店梯子の旅をする。特に一年生に言った。人生みじめな思いをせぬように生きよう、と。
今、周囲を見て一番みじめな境遇にあるのは蒙古民族ではないだろうか。外蒙園、ソ咲、支那、満州国と分裂した民族としての生活を余儀なくされている。之は研究テーマの一つになるのではないだろうかと偉そうな事を考えた。
ラグビーの試合あり。関東州以外の決勝戦、学院は満州医大を二十対零で快勝す。昨夕からの雨まじりの雪の中で戦って勝ったラグビー部に感謝の声援を送る。
柔道部は無段者大会あり。二組出場せしも皆敗退す。鮮系国民高等学校、大道館の意気旺なり。
四日(水) 晴
室内温度が昨夜は二十三度に迄昇ったが、今日は調節されて十八度から二十度位、丁度良し。
昨夜、伊藤鎭と話し合う。結局、彼の言葉、彼の態度に対する反感があんな事を言わせたのだろうか、私はあんな場合にあんな調子であんな言葉が出て来るとは思わなかった。矢張り恥かしい。
今日は映画〝南の風″を見そこなっただけか、又米内先生の所の〝パルシニヤ″も見そこねた。残念。
明治節の良き日を拝して十一月三日大道館で武道大会があった。柔道は優勝したが、剣道は工大に破れた。
七日(土)雪
朝から雪降る。寒し。一時限、授業さぼって北寮に行く。川口は長い間寝ていたが、金を送って来たと云って街へ出たようで居ない。竹内先生の所に子供さんが二人居ただけだ。
川辺が来たので小母さんに夕食を御馳走になり帰る。帰りは寒かった。
八日(日)晴
外要人民共和国、露語小説原書買う。
映画南の風。
南の風は暖い。併し北の風はどうだろう。淋しいしらべしかない。昼間、雁が三羽南へ飛んだ。間抜けた雁にしても矢張り淋しい。北と南の差か。北進する者の行方は暗い。
十一日(水)晴
数日前から猛烈な風邪に襲われる。苦しい事、たとえ方なし。併し学校は休まざりし。
夜、北寮へ行ったが、直ぐ帰った。淋しいからだ。淋しさは何処から来るのだ。やり切れないが、現実だ、何処まで落ちる。
若し寒い北風が吹くなら、吹かれよう。それに乗って暖かい南の国へ行けるから。
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あんみつ姫