自由主義者の父と韓国入学生との絆(みどりのかぜ 29号より)
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自由主義者の父と韓国入学生との絆(みどりのかぜ 29号より) (編集者, 2011/5/6 7:32)
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投稿日時 2011/5/6 7:32
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
はじめに
スタッフより
この投稿は、韓国におけるメロウ倶楽部の友好団体「KJクラブ」よりご寄贈いただいた「みどりのかぜ」からの転載です。
掲載につきましては、編集者の曺京植様および、投稿者の安田 章宏様のご承諾を頂戴しております。
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自由主義者の父と韓国入学生との絆
韓国料理で父をサポートしていた母
昭和一桁生まれの軍国少年時代
人生最初の一駒からの想い出
安田 章宏
緑風会 会員
1、自宅をレッスンの場とした父
私の韓国での生活は一九三二(昭和七)年の三歳から一九四五(昭和二〇)年、太平洋戦争で日本敗戦までの約一三年間であった。父は黄海道海州(現北朝鮮)の道立海州高等学校の地歴科と音楽担当教師として母と私を連れて赴任したが、一九四〇(昭和一五)年私が小学校六年になる際に慶尚南道の官立晋州師範学校に転任した。その年の一二月八日太平洋戦争に突入、翌年四月に私は道立晋州中学校に進学した。私の進学希望先は日本人子弟だけの釜山中学校だったのに、父は 「我われ一家は韓国にお邪魔している立場なのだから、生活習慣や文化などを互いに理解しあい仲良く暮らす努力をしなければならない。それなのに韓国人を見下し威張った態度で接して、顰蹙を買い反日感情を煽る日本人移住者が多い。お前は晋州中学で韓国入学生と共に学び朋友を創れ。但し“韓国人のクセに”は絶対に禁句だ」 の言に従ったのだが、入学者は一一〇名で、日本人は一二名だけ。あとの九八名は韓国人で、二~三歳の年長者もいた。
机を並べた隣席者をU君と呼んだら「クンとはなんだ、サンと言え」と睨みつけられた。父に話すと「それはお前が悪い、韓国は儒教の国だ。自分より年長者には様やサンの敬称をつける(絶対敬語)。これからはUサンと呼んでやれ」と笑いながら言う。これは最初のカルチャーショックであった。
父は海州でも晋州でも時々自宅に四~五名の韓国人寮生や下宿生を招き会食をした。父は私も相伴(しようばん)させて夕食を共にしながら食事のマナーや、胡坐(あぐら)と正座や椅子(腰掛)などでの立居振舞いの違いなどを例えに、日常生活のマナーも、それぞれ国の文化と歴史に根ざしていて、いわゆる国柄があること。更に“郷に入りでは郷に従え”の格言を引いて、「此処韓国は日本人にとっては異郷なのだから、韓国式のマナーを心得て暮らすべきなのに、逆に日本式のマナーとは違うと嘲笑し“文化が遅れている”という誤った優越感で、韓国人を蔑視する輩(やから)が多くて腹立たしい。反日感情が高まるのは当然だ。いずれ独立回復は果たせると思う。それに備えて私は現在教壇に立っているのだ。いまお前たちがなすべきことは、学問に精を出し世界観や物の見方・考え方などをしっかり身に着けることに専念することだ。独立運動には無関心を装っておけ。一旦運動家だと睨まれたら官憲に付き纏われ、その嫌疑で拘留でもされたら“仲間を吐け!”と拷問されて酷い目にあい、体を毀して学校どころではなくなるばかりか、その累は家族や友人にまで及ぶ」と例え挙げて軽挙妄動に走らぬようにと諌めていた。