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自由主義者の父と韓国入学生との絆 3,4 (みどりのかぜ 29号より)

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通常 自由主義者の父と韓国入学生との絆 3,4 (みどりのかぜ 29号より)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/5/9 7:42
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 3、心の痛みを癒してくれたのは

 母亡き後「なぜこんな辛い目を‥」と嘆もし、母のない寂しさに襲われることも度々あった。そんな時には妹をあやしながら母が歌っていた子守唄(里心)を口ずさんで傷心を癒し、「元気を出しなさい」とのN氏のご両親の言葉を思い出しては気を取り直した。

 この父なきあとの五年間は父の実家に、妹が高校卒業するまでと世話を頼み、私はアルバイトと奨学資金のお蔭で大学を卒業できて教職に就く。同時に妹も高校を卒業した。幼稚園教諭の資格免許を得させるために短大に通わせ幼稚園教諭になり、自活できるようになり、ようやく八年ぶりに妹との同居を果たし得た。


 4、母の味の韓国料理再現への挑戦

 教師としての人生を歩みだしてから、仕事での悩みや疑問に面した際には、父だったらどう対処しただろうかと、教師時代の父を見えざるライバルとして考える。それは応召に際しての出立前夜の「親を乗り越え得ない子は不肖の子、師を超え得ない弟子は不肖の弟子、皆が不肖者だったら世の中の進歩はあり得ない。お前は不肖者になるな」との遺言が脳にインプットされていたからである。この時の父は四三歳だったが、私がその年齢に達した時点では三勝七敗の不肖者、定年退職の時点でようやく七勝で逆転できたと自己採点。

 このように父の思い出は尽きないが、母への思い出は父の叱責から庇ってくれた優しさや、客好きでいつも手料理で来客を持て成していたこと、アイスクリームやカレーやホットケーキなども作ってくれたり、妹と私と三人でカルメ焼きを楽しんだり、納豆作り、沢庵や味噌の漬け込み、秋には近所の韓国人同僚先生の奥さんと白菜キムチ作りで味較べ、私も手伝わされたお蔭で独身時代には母からの直伝の腕を振るったが、家庭を持ってからもチジミやオイ(胡瓜)キムチやマンドック・トツク・トッポツキなどの食材を仕入れて調理する。家族にも好評で度々せがまれる。トルキム (岩ノリにゴマ油を塗り塩を振って焙った焼き海苔)などを肴にマッコリを飲みながら韓国時代の思い出話しもする。

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