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通信士の敗戦余話 田中岩男 その3

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通常 通信士の敗戦余話 田中岩男 その3

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/1/2 8:18
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 8月21日、錦州駅に到着したのは午前9時過ぎ。駅舎より憲兵将校が左手に軍刀、右手に拳銃を持って走り寄り、我々に向かって「日本は負けた」と言って涙をポロポロと流す。その時、敵の機銃とか小銃が列車に向かって掃射して来た。当隊も重機と軽機で応戦すること10分で敵の攻撃は止んだ。

 部隊には錦州飛行場を知っている者はいない。塩崎少尉は、私が6月頃錦州通信所に勤務していたことを知っているので、「内の兵隊が道案内をします」と本部に申し出たが、先の憲兵将校が、「とても小部隊では行けない」と言った。止む無く「大橋一等兵、行け」との塩崎少尉の命令。これは困った。行く道順は街中を通ること、又、途中にある有名なラマ塔付近は戦中から至って治安が悪かった満人街である。そこを通らねば飛行場には行けぬ。赤峰では命が助かったが、ここで又死神に憑かれたかと思案を重ねた結果、鉄橋を渡って裏口より飛行場に行くことに決め、その旨隊長に報告する。

 塩崎隊長は「兵を2名付けてやる」と言う。兎に角、鉄橋を渡ることが肝要であるが、目下の状況では列車の運行時問が判らないから、途中で列車に遭遇しないよう運を天に任せるより他はない。川幅は約400m位あると隊長に報告する。塩崎小隊長の「頼む」と言う一言で軍服の上に便衣を着て拳銃一丁を私が携えて、3名が駅裏から密かに出て線路沿いに河に向かう。何となく不気味な家々の傍を通って鉄橋に辿り着く。列車は来ないかと前後を見たが、どうやら来る様子はなさそうである。「さあ、渡ろうぜ。途中で列車が来たらお陀仏だよ。その時は致し方ないだろう」と。

 列車の来ない中にと幸運を祈りつつ早足で渡り始めた。鉄橋の高さは20m位ある。枕木の隙間から下を覗くと水の流れが速く目が廻るようだ。身体が水流に吸い込まれるようで思うように足が進まない。漸くのことで橋を渡りきった。3名は顔を見合わせ「助かった」と安堵の胸を撫で下ろす。しかし、これからの前進が問題だ。

 幸い周囲は高梁畑ばかりなので身を隠すのには都合がよい。西北西と思われる方向へ向かう。細い農道、高梁畑の中を縫って進む。途中に一軒の家屋があったが、何とか無事にそこを通り抜けると飛行場の塔らしきものが見えてきたので先を急ぐ。幸い途中で誰にも遭遇することなく飛行場の裏付近に、やっと辿り着くことが出来た。

 私は錦州通信所に勤務の時は、ラマ塔の満人街を通って外出していたが、裏口があることは知らなかった。正に天佑であった。裏口に門はない。塀もなく、太い網目の鉄条網が張ってある。鉄条網を高梁の幹でアースしてみる。何事もない。「おい、行くぞ」と他の2名に目で合図して、私が先に鉄条網を乗り越える。

 通信所に到着し、熊谷少尉に「錦州駅に赤峰飛行場大隊が到着し、迎えを待っています」と報告する。熊谷少尉はびっくりして「お前達は玉砕したのではないのか……」と。「良し、これから本部部隊に報告するから、お前達は休め」と言われて、ヤレヤレ終わったかと思った。「大橋は幽霊と違うが。あんな生文で打電して来て、もう赤峰の部隊は生きている者はいないと思っていた。本部でもそう思っているかも知れんぞ」と熊谷少尉は続けて言った。

 こちらは命からがらやっとのことで辿り着いたのである。赤峰飛行場大隊及び派遣隊の全員がトラック輸送(機関銃積載)で錦州飛行場に到着したのは夕暮れ時だった。かくて赤峰部隊310人位の人命が、生文電報打電で錦州まで無事生還出来たことは、私にとっては敗戦の悲しみの中でも嬉しい出来事であり、些か誇りにも思った。同時に、軍隊がなくなれば、例え生文電報を打っても死刑になることも無くなると一抹の安堵感を胸にしたのであった。
 折から夕陽が地平線の彼方の空を真っ赤に染めながら沈もうとしている。私の胸も真っ赤に染まりつつ。

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