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「特集」私が小学生だった頃ー2

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らごら

通常 「特集」私が小学生だった頃ー2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/3/8 9:06
らごら  常連 居住地: 横須賀市  投稿数: 46
 僕は昭和15年入学 京城府桜井町(現ソウル乙支路4街)にある桜井小学校でした。
木造二階建ての立派な校舎で、正門を内側から見て右側に楠公正成《なんこうまさしげ=南北朝時代(1336~1392)の忠臣、楠木正成》が馬に乗っている銅像が、左側には薪《たきぎ》を背負って歩きながら本を読んでいる二宮金次郎《にのみやきんじろう=二宮尊徳、江戸末期の篤農家で600あまりの町村を復興させた》の銅像がありました。
紀元節《きげんせつ=神武天皇即位の日》(現建国記念日)には全員講堂で勅語《ちょくご=天皇のお言葉、教育勅語》を拝聴しました。

 教室には石炭を燃やすストーブがあり、10時頃になると大型の蒸し器様の容器に、生徒全員の弁当箱を入れてストーブで暖めました。弁当には色々なおかずが入っているので異様な匂《にお》いしました。蒸し器の下に入れるほど暖かく、上の方はほとんど暖まらないことがあり、出来るだけ下に入れようと争ったものでした。
昼食時にはアルミ製の弁当箱の蓋《ふた》にお湯が配られました。

 戦争が始まってから、栄養補給ということで、全員に毎日肝油《かんゆ=ビタミンA・Dを含む》が配られました。はじめの頃は1cm角程度のサイコロ型のゼリー状でザラメ《=粒の大きい砂糖》がまぶしてあったのが2個だったけれど、後にメガネ肝油といって大豆程度の大きさの味も素っ気もない堅い肝油に変わりました。

 小学5年になった頃は、兵隊さんが水筒を提《さ》げるための革製品などをみんなで作らされましたが、僕は不器用なため何時も残されて何度も作り替えさせられたものです。
そうこうする内、学校の校舎は兵舎として使われ、僕らは自宅で自習ということになりました。だから5年生と6年生のときは勉強は殆ど《ほとんど》やっていません。
なお、6年生のとき終戦になって日本に引き揚げてきました。
だから、日本での再入学は5年生からやり直しました。

                          らごら

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