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だるまストーブ

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/11/23 15:17
かれい  一人前   投稿数: 137
1950年頃に転校した小学校には、ブリキの煙突が室内に長く
のばされた《注1》だるまストーブがありました。

燃料は 《注2》コークスだったと思いますが、その頃にはまだ物資が
充分ではなかった時代で、ストーブをつけていい時はどうい
う時と、職員室で取り決めがあったようです。
気温で決められていたのかも知れません。

コークスはバケツにいれて教室に置いてはあるものの、自由
に使っていいわけではなかったのです。

小学校5年生のある寒い日、生徒たちが受け持ちの先生に、
今日は寒いからストーブをつけて欲しい、と騒ぎ出しました。

先生は、はじめは、まだ駄目だとおっしゃっていたものの、
そのうち 「よーし、いいぞ」 と妥協なさいました。

みんな大喜びで、がやがややっていた時、隣の教室の先生が
教室の前を通りがかって、窓越しに状況を見られたのです。

受け持ちの先生は慌てて、あっ、○○先生ー、と声をかけら
れたのですが、○○先生は呼びかけを無視して行ってしまわ
れました。

生徒たちは、その時受け持ちの先生の立場が悪くなったこと
を敏感に察知して、ストーブはついたものの、みんな、なん
だかションボリしてしまったのでした。

注1 だるまの形に似たずんぐりとした石炭投げ込みしきストーブ

注2 石炭の加工品
  
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/11/24 8:47
紫竹の  一人前 居住地: 神戸  投稿数: 92
かれいさん
私の小学校時代はは、1933年から1938年まででしたから、まだ、石炭は
十分にあったようです。やっぱり、だるまストーブが部屋の北西の隅に
おいてありました。誰が火を点《つ》けてくれていたかわかりませんが、ある
いは、始業前に小使さんが点けてくれていたのでしょうか。

ある時、休み時間に石炭をじゃんじゃん入れたものですから、ストーブ
全体が赤く光るほどになってしまい、授業に入ってきた先生がビックリ
して、周りに水を打つやら、大騒動になった覚えがあります。

弁当を温めるように、ストーブのそばに並べたものです。その時、たく
あんが入っていると、えらい匂いが出て、顰蹙《ひんしゅく》ものでした。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/11/24 9:09
マーチャン  長老 居住地: 宇宙  投稿数: 358
紫竹のさん、みなさん

引用:
弁当を温めるように、ストーブのそばに並べたものです。

はい《注》アルマイト の四角いお弁当箱を白いハンカチで包んで、上で縛って持参しました。ハンカチには、ところどころお醤油のシミがありました。
 これを、ストーブの周りに並べるのです。
 午前中の授業の終わりが近くなってくるといい匂いがして、落ち着きませんでした。

 お茶は、用務員さん(小使いさん、オジサン と呼んでいました)が大きなアルミのヤカンに入れて教室まで運んできてくれました。下級生の教室では、先生が注いでくださいました。
 お湯のみのない人は、お弁当箱のフタで「熱いっ」といいながら飲んでいました。

 戦争が本格化するまでの小学校には、こんな楽しい「お弁当の時間」がありました。

注 アルミニュームの表面に特殊加工を加えたもの。日本での登録名

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