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障子貼り

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/12/20 10:40
マーチャン  長老 居住地: 宇宙  投稿数: 358
子供のころ「お正月を迎える」というときに「破れ障子《しょうじ》を切り張りする」のは大切な年末の行事の一つでした。

 戦中・戦後は「障子紙」が手に入らず、一般家庭では、障子戸1枚を丸ごと張り替えることは、なかなかできませんでした。半紙などで破れた部分だけを切り張りしていました。その半紙すらも、なかなか手に入りませんでした。

 「障子張り」についてとても印象的な記憶があります。
 兵庫県の山間部の小学校五年生のときでした。
 国語で「徒然草」《つれづれぐさ》の「松下禅尼の障子の切り張り」の話を学習しました。

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 内容はーーー

 北条時頼の母、松下禅尼(ぜんに)が、みずから、障子の切り張りをしていた。
 兄の城介義景(じょうのすけ よしかげ)が「切り張りは手間ばかりかかってきれいにできません。障子張りは、こちらで、慣れたものにさせますから」といいますと「いえいえ、倹約の精神を若い人に教えたくて、わざとこうしているのよ」といった

 ーーーという話です。

***********************************************************

 一通り読み、意味を調べたあと、先生は「どうや、松下禅尼さん、えらいやろ」と言われました。
 生徒たちは、きょとんとして「何がえらいのか、ようわからん」というのです。
 「障子戸をまるこど張り替える」ということが、貧しい時代の、貧しい土地の小学生には考えもつかなかったためです。

 それにしても、障子を通して新年の、やわらかい初光が差し込むのを眺めるのは、いいものですね。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/12/22 23:06
堅香子  常連 居住地: 北九州  投稿数: 55
マーチャン、こんにちは。

「徒然草」の「松下禅尼の障子の切り張り」の話は初めて知りました。
という言葉も懐かしく読ませて頂きました。
引用:

 戦中・戦後は「障子紙」が手に入らず、一般家庭では、障子戸1枚を丸ごと張り替えることは、なかなかできませんでした。半紙などで破れた部分だけを切り張りしていました。その半紙すらも、なかなか手に入りませんでした。

障子の切り張りが施してある家が多かったですね、いろんな花形や葉形などの切り張りでしたが、紙の色が微妙《びみょう》に違っていました。
年末の作業の中でも障子貼りは切り離せませんね。
たった4枚ばかりですが、先週やっと貼り終えました。

それで感じたのですが、障子紙の寸法も生活様式と共に年々変ってきました。
子供の頃、紙幅は障子戸の格子の高さ(25cm)が基準になっていて、格子ごとに切っては次の格子の桟(さん)に刷毛でのりを付けて と貼り進んでいました。そうして腰板障子、ガラス付き障子なども貼っていました。

その障子紙を求めて昨年買ったスーパーに行きましたら、その手の障子紙はなく一種類だけしか置いてありませんでした。

障子紙は一枚貼り用で紙幅は大体94cmときまっていて紙の長さが7m前後でした。4枚分です。障子戸の横幅が紙幅になっているのです。

前者の紙幅は障子の桟(さん)の縦の寸法になっていて、順序としては横に貼っていくのですが、後者の紙幅は横の寸法になっていて縦に貼《は》るーーーことになるのです。

昨年は一枚貼り用で「のり」のいらないアイロンをあてるだけ というのを使用しましたら、数日後暖房のせいで一部分がパクパク剥《は》がれてしまい、結局貼りなおした苦い経験があります。  


  
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