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内蒙古回顧の旅―1

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/9/25 7:16
変蝠林  半人前 居住地: 横浜市 オオクラヤマ  投稿数: 22

昭和十九年《1944年》六月五度目の赤紙《軍隊への召集令状、赤い紙に印刷》で例に依り又々即日帰郷《=病弱などの理由で入隊を許可せず帰郷させる》の羽目を予想、風呂を沸かし一本付けて待ってろと言い残して静岡歩兵第三十四聯隊《れんたい》の営門《=兵営の門》を潜ったのだが案に相違して今回は帰されず十一貫九百匁《約45kg》の弱兵が誕生した。オッチニオッチニの訓練が二日程続いた三日目の夕刻に完全軍装の兵器被服が渡され着用すると直ちに営庭に集合、其の儘《そのまま》静岡駅に向かって駆け足前進。灯火管制《空襲の目標となるため電灯に覆いを掛けた》の暗闇《くらやみ》の道約壱キロの両側は家族の見送りで隙間《すきま》無し。隠密出兵の筈《はず》だが何処《どこ》からか洩《も》れるのは一般らしい。此方《こちら》は夢中だが家族は之《これ》が見納めと合掌したとの事。

軍用列車は網戸を下ろし外から見えぬが中からも外が見えない。十何時間か走って多聞《たぶん》下関辺りから乗船、釜山と思われる港に待った有蓋貨車《ゆうがいかしゃ=屋根のある貨車》に移って北上、鴨緑江らしき処を渡り山海関も過ぎ漸く下ろされた所が浩和豪特駅、内蒙古だと聞かされる。漸く下車して徒歩入営したのが広い営庭と大兵舎の並んだ大隊。

偶々《たまたま》其処《そこ》で衛生兵をやって居た親戚《しんせき》の男が到着を知り種々注意をして呉れた中で幹部候補生《=将校や下士官になるために教育を受ける者》勧誘には殴られても受けるなの言。どうも其処は弱兵改造の部隊らしく数日して大同の特別訓練隊と言う処に転送された。

特別訓練隊では三食配達され食後は煙草《たばこ》一服。後に静岡の弁護士会長になった男に其処で友人に。帰国後彼には大分重宝した。

訓練隊を出ると永定荘と言う小部落に在る大同炭鉱警備の小隊に配属された。直ちに将校当番として兵二人の当番室にて勤務を拝命、班室のビンタ攻勢は免れた。其処から近い大同石仏は行軍演習で数回訪れた。河原に柳数本の壁佛は良き保養だった。

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変蝠林

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/9/25 7:18
変蝠林  半人前 居住地: 横浜市 オオクラヤマ  投稿数: 22


《そ》の内に大同の大隊に戻されて暗号班勤務を命ぜられた。暗号室は将校と雖《いえど》も許可無く入室を禁ずの張り紙が扉《とびら》に掲げられて天国の世界、班室には寝に帰るだけだが斉立ビンタは一般並み。

天国暗号班も討伐となると当然同行が余儀なく《よぎなく=他の方法無く》《まわ》って来る。神戸時代の六甲ハイクが思い出されて全討伐行に率先参加した。最初の大同から渾源迄の二日の行軍は足裏総豆の大試練だった。(六十年後の最近はハイウェイ僅《わず》か二時間の行程)

渾源から懸崖寺を仰いで奥地への進軍は丘を越えると丘また丘の難行軍、途中の宿泊は殆ど《ほとんど》が所謂《いわゆる》ホートン(崖《がけ》を削って造った部屋の住居)だ。オンドル《=床下暖房装置》が設えてあるので快適であるのだが或《あ》る討伐行の折に背中四十度胸零度の朝に遭遇、発熱四十数度で出発の羽目に。国に残した嬰児《えいじ=生まれて間の無い子》の名を連呼しての一日行軍は今思い出しても良くぞの想い出。やがて米軍来襲に備えての転進《てんしん=退却》で上海近傍の大倉鎮に南進。酷熱四十数度の太湖畔で塹壕《ざんごう》用松材伐採の後、ソ連侵攻の報に急遽《きゅうきょ=急ぎあわてる》北上命令、御詔勅《ごしょうちょく=天皇の書かれた文書、ここでは終戦の詔勅》を南京で聞いたのだが其の儘《まま》北進、列車を連ねての北上だが我が列車のみ何故《なぜ》か新軍の攻撃を受け其の度に停車応戦、遂には前車が山海関を超えたのに我が列車のみは天津で下車、蒋介石軍の到着迄の天津警備で年末まで完全軍装にて郊外駐屯。御存知の通り天津は軍需廠《ぐんじゅしょう=軍事物資を集める場所》の大基地。蒋軍《しょうぐん=蒋介石軍》毛軍《もうぐん=毛沢東軍》に渡す前にと大判振舞い。毎日砂糖菓子米煙草が配給される。其の内に支那《しな》人が柵《さく》外から高粱酒《こうりゃんしゅ》を煙草と交換にと群がる。茶碗《ちゃわん》酒に煙草を点棒の博打《ばくち》が始まる。年末武装解除後は米軍使役に。彼等の倉庫には砂糖の山、レイション《=アメリカ軍の携帯用食糧》を開ければテキ缶に菓子、更に煙草が三本付き。乾麺《かんめん》に金平糖《こんぺいとう》《注、乾麺に金平糖は日本軍の携帯食糧》とは大違い。自動車の掃除には水でなくガソリン。

明けて三月に漸く帰国の指示が。LSTの待つ大沽港にて事件。中村姓の戦犯探しの為に別室に引致、朝鮮人らしき男が机に脚でウイスキーを呷《あお》り乍《なが》らの尋問《じんもん》、機嫌《きげん》次第で危うき一刻を逃れ漸く乗船。何日掛かったか覚えぬが着いた港が南風崎。白い粉《殺虫剤》を全身に峠を越えて兵舎様の建物に数日、三百円を手渡されて吃驚《びっくり》、列車に乗って蜜柑《みかん》を求めたら壱個拾円で又吃驚。

何日か走って静岡駅に着いたら駅頭に家族全員が出迎えで感涙。処が先方はキョロキョロ。無理も無い、当方六十キロの巨漢に。

幸いは続く。偶々《たまたま》会社が静岡に支店を。但し四大商社の社員が大八車を牽《ひ》いて松坂屋へ、自転車を走らせて清水港へ。

さて題名: 余りの変化に言葉無し。

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変蝠林

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