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[No.78] 旧友を訪ねて オランダへの旅 投稿者:   投稿日:2007/05/06(Sun) 16:21
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旧友を訪ねて オランダへの旅
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(1)さすがDutch Uncle

ふとしたことからオランダの旧友S氏のメールアドレスを知りこの4,5年メールをやりとりしていて、独り暮らしのの小生を案じてしきりに遊びに来ないかと誘われていた。長時間の飛行に耐えられるのは今しかないだろうと行くことにした。

彼と初めて会ったのは37年前、オランダのほぼ中程にある或工場であった。若い機械技術者でなにか一言いうとしつっこく反論されるのでまともに英語がはなせない小生は彼を避けていたがそんな彼もとうに年金暮らしで65歳にはなっている筈。

これまでに彼は3回ほど日本に来て小生も同じように行き、メールで近況写真を送っているのでまごつくことはないだろう。

メールで、むかし滞在したホテルは今でもあるかと訊いたら何故そんなところに泊まるのか、俺の家は十分広いし年金暮らしの俺たちは無駄な金は使うな…といかにも彼らしい返事をよこした。ならばと甘え10日ほど厄介になることにした。

お前さんの知ってる連中を集めてパーティを開くので日本料理を作れないか、俺の入ってる倶楽部で話す気はないか…と水を向けてくる。どうせ田舎のご老人だろう、一席ぶつのも経験だとOKの返事を出してからが大変だった。話の内容よりパソコンの接続、モデム、etc 判らないことばかりだった。

4月14日成田発12時何分のJALでアムステルダムに向かった。窮屈なエコノミー席で11時間余は我慢の限界だった。

夕刻6時スキポール空港に到着しゲートをでると“Tombo”と書いた紙を掲げてSiemon&Martjeが待っていた。

車で1時間ほどのV村にある家に着くとさぞかし疲れたろうとワインで乾杯し早めに休めと言ってくれた。


[No.79] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 投稿者:   投稿日:2007/05/07(Mon) 22:02
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とんぼさん 今晩は

オランダの話楽しみです。
ところで、これは過去のお話ですか?
>4月14日成田発12時何分のJAL
と言う事は、今現在のお話ですか?
いずれにしても、これからの展開が楽しみです。

安房守


[No.80] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 投稿者:   投稿日:2007/05/08(Tue) 06:19
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安房守さん、

お読み頂き有り難うございます。

> と言う事は、今現在のお話ですか?

一週間前に帰ってきたところです。
こんどはトランクを持っていき草臥れました。
やっぱり小生はリュックでないと。
ところであれほど出かけられていた安房さん、このところ禁足ですか?


[No.81] 旧友を訪ねて オランダへの旅 2 投稿者:   投稿日:2007/05/08(Tue) 06:33
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旧友を訪ねて オランダへの旅 2
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(2)水郷の国、ヨットにさそわれ

小生にあてがわれた部屋は庭に面した5坪ほどの広さ。大きな衣類収納庫のあることから娘の部屋だったか。鳥のさえずりで目が覚めた。

朝食はパン、ハム、チーズ、サラダとヨーグルトにコーヒー。それに果物が籠に盛ってある。
カミさんのマチェ(Martje)は日本からの珍客を迎えて戸惑ってるにが逢いないが笑顔で精一杯のもてなしてくれる。

朝食後庭に出てシモン(Siemon)から小生滞在中のスケジュールを見せられた。10日間のスケジュールがエクセルで書き込まれ今日は日曜なので娘と孫2人一緒にボートに乗って時差ぼけを癒してくれということなっていた。このオランダ人のホスピタリティにはいつも感心する。感謝!

彼がボートを持っているということは知っていたが娘のカロリーン(Carolien)、息子のピーター(Pieter−jan)一家もボートを持っている。水郷の国、さすがだ。

10時にキャロリーン(Carolien)が子供2人を連れてやってきた。彼女は木材訓練センター?役員で36歳、美人である。シモン夫婦は孫に囲まれ上機嫌だ。

ヨットの繋留地まで車で30分。ヨットは長さ6、7メートルあろうか4人がベッドで寝られるようになっている。初夏の陽気に長袖では暑い。シモンが一寸大きいが俺のパンツをはけと出してくれた。

ヨットの名前は「マチェ女王号(VROUWE MARTJE)」とでもいうのか。マチェは早速ヨットに乗り移り慣れた手つきでロープを捌く。

水路の両側は木々が新芽を吹き、土手は菜の花で真っ黄。水鳥が浮かんでまるで繪だ。「イラクやアフガンでは戦争をしているのに…」「まったくだ!」。

ヨットの上で寝ころんでいると、昨日スキポール空港で見かけた「Enjoy it. Now is the time!」の広告を思い出した。‘it’は人生を指すのだろう。憎んだり喧嘩をしている間に人生は終わってしまう。


[No.82] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 2 投稿者:のぞみ  投稿日:2007/05/08(Tue) 09:13
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とんぼさん、楽しみに読ませていただいています。

写真からもオランダの旅ののどかさが伝わってきます。

オランダの旅は始まったばかりですね。

オランダでは、ボートは日本の自家用車の感覚なんですね(@@)

> ヨットの上で寝ころんでいると、昨日スキポール空港で見かけた
>「Enjoy it. Now is the time!」の広告を思い出した。
>‘it’は人生を指すのだろう。
>憎んだり喧嘩をしている間に人生は終わってしまう。

人生を楽しむ・・・素敵な言葉ですね。
まさに、残された人生を楽しみたいものです。


[No.83] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 2 投稿者:   投稿日:2007/05/08(Tue) 20:58
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のぞみさん、

お読み戴き有り難うございます。

以前NHKの番組で‘世界我が心の旅’というのがありました。
そんな感懐で訪ねた旅です。

あちらで過ごした日々を反芻しているばかりでなかなか先へ進めません。
気長におつき合い下さいませ。


[No.84] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 2 投稿者:タンマ  投稿日:2007/05/08(Tue) 22:16
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とんぼさん、こんにちわ

まさに、悠々世代ですね。

> 以前NHKの番組で‘世界我が心の旅’というのがありました。
> そんな感懐で訪ねた旅です。

名所旧跡を訪ねるのも、それはそれで結構ですが
やはり、”旅は心でするもの”ですね。
そして、心で旅することは、それまでに生きてきた積み重ねがあって、
初めて味わえるんじゃないかと思います。

悠々世代への提言
「名所旧跡、グルメの旅より、心の旅を」

  タンマ


[No.86] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 2 投稿者:   投稿日:2007/05/09(Wed) 09:25
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タンマさん、お久です。

お読み戴き有り難うございます。
いまでも赤提灯に、でしょうか。

ときどきお宅にお邪魔しお地蔵さんを拝んでます。
会津や倉渕村にはよく通いましたので旧知の仏さんです。

いつか一献やりたいですね〜。


[No.87] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 2 投稿者:   投稿日:2007/05/09(Wed) 10:07
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> いまでも赤提灯に、でしょうか。

そうです、なんせ人生の教室ですから
サボる訳にはいきません。

> ときどきお宅にお邪魔しお地蔵さんを拝んでます。
それはそれは、ありがとうございます。
なかなか更新しない化石HPですが・・・・

> 会津や倉渕村にはよく通いましたので旧知の仏さんです。
そうですか、倉渕村に通いましたか?
語りたいですね。

> いつか一献やりたいですね〜。
夜なら万難を排して駆けつけますよ。
横浜ですか?

   タンマ


[No.88] 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:   投稿日:2007/05/09(Wed) 10:59
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旧友を訪ねて オランダへの旅 3
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(3)人それぞれの人生を

今日はコルファー(Korver)が案内役で「Openluchtmueum(野外民族博物館)」へ連れて行ってくれ予定になっている。

コルファーは昨年62歳、既にリタイアーして65歳までの年金支払は済ませ、年金が受給される65歳までの生活費は貯金で賄うという。さすが経理担当のマネージャーだ。早めのリタイアは奥さんがガンで家庭を慮ったのだろう。

部屋を見せてくれと頼んだら喜んで見せてくれた。古い家を買って自分の好みに改造した自慢の家に違いない。机の上にはマラソン競技会で入賞したメダル、賞状が飾ってあった。書斎には堅い本が多く、LP・CDはクラシックのピアノ曲が目立った。家は住む人の全人格が出る、と聞いたことがあるがコルファーの人となりが判ったような気がした。

野外博物館は広い森の中に、何百年前の古い農家、チーズ工場、風車が点在していた。遠足の子供たちがこういう祖先の暮らしを見て愛国心が芽生えていくのだろう。

家で夕食後、シモンがそのむかし美人秘書だったシチアの家に連れて行ってくれることにになっている。
シモンの奥さんマチェはクワイアー(聖歌)の練習日でシモンが街へ送って行きながらシチアの家に行った。

夕暮れの薄明かりの中に現れたシチアを見て人違いではないかと驚いた。だが顔を見つめている中に徐々に昔のシチアの貌になっていった。お互い同じ歳月が過ぎた。老けたのはお互い様だ。

シモンは先に帰ってシチアと2人だけになった。シチアがキッチンでコーヒーを用意しに行っている間部屋の中を見渡していたら、テーブルの上に手紙と見覚えのある写真が置いてあった。何年前だったろうか、この家のその階段の、そうここでセルフタイマーで写した写真だ。

彼女がコーヒーカップをテーブルに置くと、プラスチックのファイルに入った手紙を取り出した。まぎれもない私からのものである! 日付は“April 14, 1982”となって漢字の署名まで記してある。25年前の今(正確には2日前)だ。まぶたが急に熱くなりシチアの顔が涙で滲んで見えなくなった。

シチアが静かに音楽を流した。「この曲はわたしが子供だった頃父がよく独りで聴いていたわ」オペラのアリア集だった。なんという曲だったか。

彼女の噛んで含めるような英語は変わっていなかった。夜遅く送ってくれた車中で、耳の聞こえなくなった90歳の母がいて時々面倒を見ているのでここから離れられない…37年間にはいろんなことがあったにちがいない。

強いコーヒーを何杯も飲んだ、今日はねむれそうにない。

 


[No.89] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:   投稿日:2007/05/09(Wed) 18:24
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じっくり噛み締めながら旅をする
そんな感じを受けます
小説を読むときもそうですが
(近頃は殆ど読まないけど)
カタカナ名前を覚えるのが苦手で
人物の関係がわからなくなりやすいです
まあいいや
とんぼさんの旅の心を味わえば・・


[No.91] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:   投稿日:2007/05/09(Wed) 23:01
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白兎山人さん、

お読み戴き感謝ハンミダ。
わたしの旅はボケーッと景色を眺めたり路地裏を歩いたりでだらしがないんです。

> じっくり噛み締めながら旅をする
そんな風にとられると恐縮です。

> カタカナ名前を覚えるのが苦手で

それは諦めてます。
会う前に名前を覚えて、
「会えて光栄ですMrs.○△!」挨拶すれば違うでしょうね〜。


[No.93] 旧友を訪ねて オランダへの旅 4 投稿者:   投稿日:2007/05/10(Thu) 07:26
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旧友を訪ねて オランダへの旅 4
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(4)秘蔵の穴場に案内されて

4月17日、今日はシモン夫婦と一緒にシュローダー(Schreuders)に会うことになっている。
彼はまだ現役、工場長でいるらしい。ドイツの会社に買収されみんな悲哀を味わった中で存在感を示したのはかれだけかのようだ。青年団の団長さんのような人柄でが慕われているのか。

工場へ寄ったら事務所のテーブルの上に小生の写真があり応接室には日本の国旗が飾ってあった。嬉しいことをしてくれる。シモンがその写真を手にして「Wanted!」の張り紙だ、と冗談をいう。何年も会ってないのでまごつかぬよう俺の写真をメールで送ったのだろう。

やがてシュローダーの奥さんが来て、みんなで干拓地のチューリップ畑を見に行った。広大な干拓地が一面に赤や黄色に染まっている。観光客で賑わっているチューリップ畑はアムス近くにあるが、この光景をシモンは俺に見せたかったのだろう。

近くにシモンの息子の家があるので立ち寄った。連絡がしてあったらしく家族5人全員が待っていた。腕白盛りの子が3人、拗ねたり喚いたり健康な家族だ。新興住宅地の中の一戸建てで裏庭は運河いや水路でボートが直接降ろせるようになっていた。

夕刻、近くのホテルでシュローダー夫妻と落ち合い会食することになった。ディナー会場は高層タワーの最上階で回転フローアー。ワインを飲みながらどこまでも続く牧場と畑を眺めていると俺はいまどうしてここにいるんだろうと思う。

奥方2人は聖歌を趣味でやっており話が合うようだ。時折メロディーを口ずさむがその声がすばらしい。綺麗な声ですね、と言ったらポッと顔を赤らめた。

ホテルを出たのは9時過ぎ。家に着くのは11時過ぎになろう。糖尿病でインシュリンを打つ必要があるシモンをかみさんは心配しているだろうが無事帰り着くことができた。


翌4月18日はデ・フロートがハーグへ案内してくれた。車は渋滞で時間がかかるので電車で行こうということになった。

彼は建築家で会社を辞めてからベルギーの事務所に勤めていたという。会社では仕事を知りすぎていたので敬遠されたといっていたがドイツ人の上役とあわなかったか。いまは大学で学生を指導しているが教師じゃないがといっていた。

ハーグの新市庁舎、国際司法裁判所、宮殿…その美術館、スフェベニンゲンの海等案内された。なにせ長身の彼が歩く後を追うのはくたびれた。

圧巻は‘PANORAMA MESDAG’だった。海の画家メスダーグの作品を集めた美術館にあるパノラマ館だ。エレベーターを降りて息をのんだ。360度中世のスフェベニンゲンの風景に出会った。感動の極致といえば言い過ぎか。満足の極みだった。デ・フロートよ、有り難う!


[No.95] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 4 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2007/05/11(Fri) 08:48
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とんぼさん お帰りなさい。

> (4)秘蔵の穴場に案内されて

 此のまま出版社に廻しても良い様な名文に圧倒されて居ります。

 ところで本日の写真、左端の御嬢さんを見て米国のドロシー小母さん
 の娘さんウェンディ嬢そっくりに驚きました。

 ドロシー小母さんに似てニッポン大好き人間、早速調査を進めて我が
 メロウ倶楽部の国際版に招待を図り度く思い付きました。

 写真のお嬢さんにも是非

         >http://www.mellow-club.org/

を紹介し、披瀝下さる様に期待致します。

 明朝を楽しみに・・・・              変蝠林(1917-)


  


[No.97] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 4 投稿者:   投稿日:2007/05/11(Fri) 21:02
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変幅林さん、

まま、そうそう持ち上げないで下さいまし。
舞い上がって天まで飛んでってしまいます。

>  の娘さんウェンディ嬢そっくりに驚きました。

そうですか。メロー倶楽部を書いたとんぼの名刺を差し上げていますのでもうとっくに我らがHPを閲覧してくれていると思います。

名誉会長に拙文をお読み頂き感謝、感激、感泣です。

とんぼ 平伏


[No.92] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:まや  投稿日:2007/05/10(Thu) 00:30
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とんぼさん、今晩は!

 いい旧友を訪ねる旅をなさっておいでのご様子を拝読。楽しませてもらっていま
す。私はアメリカの旧友を訪ねたときの思い出と翻訳したオランダが舞台の場面を
連想しながらですが、想像を逞しくして(^_^)

 大いに楽しんで、すてきな報告を続けてくださいませ。続きを期待しています。

まや 〜所沢〜
 


[No.94] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:   投稿日:2007/05/10(Thu) 07:38
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まやさん、

お読み戴き光栄です。

GDPなんかで計れない豊かさと伝統の重みを知らされました。

> 私はアメリカの旧友を訪ねたときの思い出と翻訳したオランダが舞台の場面を
> 連想しながらですが、想像を逞しくして

是非読まなくっちゃ。そのその本をご紹介ください。

 


[No.98] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:まや  投稿日:2007/05/12(Sat) 00:23
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とんぼさん、今晩は!

> > 私はアメリカの旧友を訪ねたときの思い出と翻訳したオランダが舞台の場面を
> > 連想しながらですが、想像を逞しくして
>
> 是非読まなくっちゃ。そのその本をご紹介ください。

 本はエンタテイメントの小説で新潮社文庫なんですけれど、同じような本を何冊
か訳したので、アムステルダムが出てきたのはどの本だったか? 年数がたって、
すっかり忘れています。ちょと時間を見て本を開いてみますね。

まや 〜所沢〜


 


[No.99] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:タンマ  投稿日:2007/05/12(Sat) 00:30
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とんぼさん

> GDPなんかで計れない豊かさと伝統の重みを知らされました。

そこですよね。
やっぱり、日本は貧しい国と、思ってしまいます。

  タンマ


[No.100] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:   投稿日:2007/05/12(Sat) 23:47
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タンマさん、

拙文におつき合い下さり有り難うございます。

> やっぱり、日本は貧しい国と、思ってしまいます。

まったくです。
広告、電柱・電線が日本の風景を損ない、蛍光灯が団らん妨げている、と言ったら言い過ぎでしょうか。

>> いつか一献やりたいですね〜。
>夜なら万難を排して駆けつけますよ。

スイマセン、過飲の報いでドクターストップでしていま暫しご猶予を!


[No.96] 旧友を訪ねて オランダへの旅 5 投稿者:   投稿日:2007/05/11(Fri) 20:44
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旧友を訪ねて オランダへの旅 5
画像サイズ: 600×399 (41kB)
(5)シモン夫婦に連れられてアムスへ

今日はシモン夫妻の案内でアムステルダム行きだ。
カミさんのマチェも半年振りのアムスとあってウキウキしていた。近頃は道路がEU諸国からのコンテナートラックが増え、道路が混雑してアムスとかロッテルダムへ車で行くのは大変だということで電車で行くことになった。

最寄りの駅に、といっても30分以上かかったが、車を置いて電車に乗って1時間半ほどだった。アムステルダム駅前は地下鉄の建設工事でごちゃごちゃしていた。海面より低いこの辺り地下何十メートル掘って防水工事が大変だろう。

駅から南に歩いて‘飾り窓’を横目で眺めて通り過ぎ、‘隠れ教会’に案内された。運河沿いにあるごく普通の4階建ての家だった。外から見ては想像つかない正教会だった。いつの時代も宗教に権力争いはつきものだったか。ユダヤ人市場、ユダヤ歴史博物館、シナゴグ(ユダヤ教の会堂)を見てまわった。

裏庭にはごつい労働者が両拳を握ってなにか叫んでいるモニュメントがあった。シモンの説明では、ユダヤ人が大戦中毎日貨車でポーランドへ送られ行った‥あるもと機関士が列車の前に立ちはだかって「送るならおれを乗せて行け!」と叫んで列車を止めた実話があったと。

その周りで中学生だろうか、7,8名がノートを持ってうろうろしていた。シモンが近づくと1人が何か訊ねた。やがてみながシモンを囲みノートに録りだした。宿題だったに違いない。カミさんが横で頬笑んでいた。夫婦は戦時中まだ小学生初学年だったろうが悲しい歴史は確実に語り継がれているのを目にした。

花市場を見て遊覧船に乗り、賑やかな通りのカフェで休んだ。「この人波の中にオランダ人は何人いると思うか?」とシモンが訊ねた。「さあ、半分くらいかな」と答えたら「みんな外国人観光客! 言葉でわかる。こんな時間にオランダ人は出歩かない」 そういわれればこの店で働いている者もイタリア系、アジア系、いろんな色がある。オランダは外国人に寛容だ。

混雑している通りを歩くとき、シモンが先頭で小生が後に従いマチェが後ろで守る隊列になっていたようだ。家で決めていたんだろう。

アムスからの列車はユトレヒトで乗換えになる。寄ってみるかとなって下車した。駅は大きく街はきれいで賑やかだ。運河沿いに歩いて古い教会を見た。その近くに娘が学んでいたユ大学があって、ここの運河にヨットで来たことがあると言った。ある夜ヨットで寝ていたら雨の音がした。マチェが今夜は雨が降らないはずなのに、といったのでカーテンを開けてみたら学生たちが小便の飛ばしっこをしていたと。どこの國の青年も同じらしい。

家に着いたのは10時だった。ワインを飲みしばし歓談、シャワーに入って寝るのは12時になった。いい一日だった。

帰国後,シナゴグで買ったここでの音楽会を収録したDVDを視聴して感動した。3大テノールの向うを張る素晴らしい歌唱の数々には大満足し た。森繁さんの唄った「Sun rize sun set」もよかったが、ユダヤ教会でユダヤ人テナー3人組で歌ったものを聴くとまた更に一段とよかった。


[No.101] 旧友を訪ねて オランダへの旅 6 投稿者:   投稿日:2007/05/13(Sun) 16:57
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旧友を訪ねて オランダへの旅 6
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(6)古いものを大切にすオランダ

今日はブルンズ(Bruns)に連れられてゴーダ方面の古い建築物を見て回る予定だ。
ブルンズは化学技術者で建築に関しては詳しくないので友人の建築家フォン・ダム(von Dam)を呼んだという。先ずはフォン・ダムの家に向かい、Waal河をフェリーで渡った。農家が点在するだけの小さな村に住んでいた。居間に通されると上品な奥さんがようこそとケーキを持ってきた。80歳できちんとした身なりできれいな英語で異邦人の小生にあれこれ話しかけてくる。旦那のダム氏はとっくにリタイアし馬を飼って悠々の日々のようだ。

居間の家具・調度品は古いものばかり。壁際には箪笥?がでんと構えていた。訊けば300年前の食器棚とか。普通の世代交代ならば12代前の先祖から受け継いでいるとは! 有形な遺産もさることながら無形な精神的遺産も脈々と受け継がれているに違いない。

まずはアウデワーター(Oudewater)へ行って‘魔女の計量館’へ入った。突然、女性アナからインタビューを受けて面食らった。ユトレヒト放送局の取材につかまって英語での質問にどう答えたか覚えがない。TVでなくて良かった。魔女の審判を受けて無罪が証明された証明書を授与された。この証明を受けるには1482年製の天秤に乗って審判を受けるのだ。古い建物を魔女博物館にして村おこしを図ったのだろう。

ゴーダ(Gouda)へ行った。チーズ、蝋燭、焼き物で有名で中世の街がそっくりそのまま残っていた。マルクト広場にある旧市役所は1448年建設というから日本では室町幕府時代! いまは市の結婚式場になっていた。新郎新婦の後を大勢の子供が着飾って繰り出してきた。フォン・ダム氏は小学校の先生の結婚式だという。なんとも微笑ましい光景だった。こういう先生だったらイジメなんてないだろう。

聖ヤンス教会に案内された。ステンドグラス、パイプオルガンには目を瞠った。教会の床に字が彫ってあり富豪を埋葬した墓地だとフォン・ダム氏が教えてくれた。大航海時代、栄光の波が運河で運ばれてきたのだろう。

帰りの車の中でブルンズの奥さんはガンで闘病中であることを知った。彼は北の州に住んでいるのにわざわざ駆けつけてくれた。胸が熱くなった。こんどはあんたが日本へ来る番だ、と言ったら「ワイフと相談してみる」と答えた。泣かせる。


翌4月21日は土曜で娘婿のタイースも休日なので10時から一緒に風車で有名なキデルダイク(Kiderdijk)に行く日だ。朝ゆっくりしていると、隣の主人がやってきてクラシックカーで近隣の景色のいいところをドライブに誘ってくれた。シモンが言うには2年かけて整備した彼の自慢の1930年製フォードワンだという。

近隣の奥方に見送られオードに乗り込み快音を放って出発するのはいい気分だ。天気良し、車良し、仲間また良し最高だ。なんとのどかな田園風景であろう。絵のようだ、としか言いようがない。レーベシュタイン城(Loevestein)が望めるところで車を止めてもらい写真をパチリ。すかさず隣の主人(Verhoeven氏)が車の紋章?を入れて撮ってくれと指さした。まったくだ。おれはやっぱり気が利かない田舎かっぺだ。

キンデルダイクはオランダ観光の定番だが近くに住んでいるタイースが初めて来た、と言ったのには驚いた。そんなものか。いつもは日本人観光客で賑わっていると聞いたが今日は何故か一人もいなかった。内部構造をじっくり見ることができた。


[No.102] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 6 投稿者:   投稿日:2007/05/13(Sun) 18:50
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とんぼさん 今晩は

いい旅しましたね。
私なんぞの放浪の旅と違って、如何にも充実した旅です。
それにしても、オランダの年金生活者は豊かですね。
もっとも、
とんぼさんのお友達の方々がたまたま由緒有るお家の方々なのかな・・・。

オランダの食事は如何でしたか。
私は一回だけアムスへ行った事がありますが、
食事の匂いを嗅いだだけで駄目でした。
もう、二度とオランダへは来まいと思いました。
場末の食堂だったせいかも知れません。
飾り窓の一つ一つの窓が素晴らしい絵だった事が印象に残っています。

続きが楽しみです。

安房守


[No.103] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 6 投稿者:   投稿日:2007/05/13(Sun) 23:03
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安房守さん、

> オランダの年金生活者は豊かですね。
> たまたま由緒有るお家の方々なのかな・・・。

先日朝日新聞にいい意味で「きりぎりすの国」として紹介されてましたが働き方が上手なんでしょう。いい出の人とは思ってなかったですがみんな偉くなってました。

> オランダの食事は如何でしたか。

味音痴で食べる方はよくわかりませんが食通を唸らせるものはないかも…。でも田舎料理‘ヒュッツポット’(Hutspot)はグーでしたね。

とんぼ


[No.104] 旧友を訪ねて オランダへの旅 7 投稿者:   投稿日:2007/05/14(Mon) 19:33
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旧友を訪ねて オランダへの旅 7
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(7)ハッピーリタイアメント

シモン夫婦と愛犬イファーを車に乗せて、アイセル湖(Ijsselmeer)の締切大堤防、マースランド可動防波堤等の大土木工事を見に行った。東京のブックセンターでオランダの詳細な20万分の1の地図…畳2枚分の大きさ…を買って持っていったのだが何処かに置き忘れて手元にないので今はどうして行ったか思い出せないない。

1953年の洪水で一晩に何万ヘクタールという干拓地が水没し何千という死者がでた大惨事があって国を挙げて水に対する戦いを進めてきたものだという。山がない国である。堤防を築くには莫大な岩や砂利が必要だ。砂しかないのでそれらを輸入しなくてはコンクリートさえ造れない。コンクリにうるさい小生には工事の難しさが解る。

世界遺産になっているショックランド(Schokland)、バタビアワーフ(Bataia-werf)国立博物館、それにどこか静かな港街で散歩したのがどの辺りだったろうか、シモンに悪いが覚えていない。

午後、ウーデンベルグ(Woudenberg)のキャンプ場に来ているアリーとエリー夫妻(Arie&Elly)を訪ねた。北海に面した海岸の避暑地で多くのキャンピングカーが集まっていた。アリーは建設会社のサラリーマン社長で62歳。ドイツ製のキャンピングカーを買って来ていた。あと6週間でリタイアしスイスでスキーをするんだと喜々としていた。定年後どうしようと青ざめる日本人と大違いだ。

シモンを通じて小生のことが知らされているのだろう。初対面にかかわら知己のようだ。エリーがベルギーの上等なチョコレートと誕生カレンダーをプレゼントしてくれた。誕生カレンダーは親戚友人の誕生日を書き込んで贈り物をする慣わしなんだろう。

返礼に持参した藍染めの日本手ぬぐいを差し上げた。アリーが包みを開け「60になってお迎えが来たらまだ早いと追い返せ…」というのを見てなにが書いてあると訊かれた。When you got 60 years old, までは良かったが‘お迎えが来たら’で困った。主語はどうする? 難しい詩なんで後日メールしよう、と逃げた。

外にテーブルを囲みビールを飲んでいたときシモンのカミさん、マチェが袋から蒲鉾とキッコーマンの醤油を取り出した。蒲鉾は茶碗蒸しを作って食べさせてやろうとイトーヨーカドーで100円で買ってきてたもの。冷蔵庫に入れていたのを見て昨晩これはどうして食べるのかと訊いたので酒によくマッチすると教えたのだ。
さあ困った。キャンピングカーのキッチンに行って包丁で切ろうとしたらアリーがカメラを構えて写した。恥ずかしいことこの上ない。

「ウーム テーストグーッ!」と言ってくれたものの顔つきを見れば分かる。もう少し上等な蒲鉾を買って来るんだった。おれのメンツを立てて全部食べてくれたが陰口が聞こえるようだ。

当初、親しい仲間を6人ほど集めて家でパーティーを…就いてはなにか日本料理を作ってくれ…材料は手当て可、台所は手伝う、ということだったのでその日が来るのをびくびくしていたがこれで放免になってホッとした。

北海の海岸は真っ白な砂浜だった。人々は全裸に近い姿で初夏の陽に晒していた。この時期太陽を浴びてビタミンAを体内に取り込む必要があるのだろう。

日の入りが大分遅くなった。どこまでも平地の涯に教会の塔がちいさなシルエットで見える。今日もいい日だった。


[No.105] 旧友を訪ねて オランダへの旅 8 投稿者:   投稿日:2007/05/14(Mon) 23:53
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旧友を訪ねて オランダへの旅 8
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(8)オランダでメロー倶楽部のはなしをする日が

とうとうその日が来た。今日はオランダの旦那衆の前で話をする日だ。日本では筋書きをパソコンに打っては考えていたが、プロジェクターとの接続、パソコンで日本語表示ができるか、モデムが使えるか…そんな機器の問題で振り回されている中に出発に日を迎えて肝心なはなしを煮詰めることなく来てしまった。

シモンが入ってるプロブス(Probus)の会は11時からだ。10時に家を出ることにしてシモンが事務局に提出するメモをパソコンで作った。メモはオランダ語なのでよく分からないが小生の紹介とメロー倶楽部の活動の概要だ。シモンにはワインを飲みながら何回か話の内容をパワーポイントのスライドを見せているのでわかってくれているはず。短時間でぱーっと作り上げてしまうやり方で細かいことに拘泥しない。この方が効率がいい筈だ。

プロブスの会場は森の中のホテルだった。シモンから会員が次々に話しかけてくるだろうが握手をして名前だけ言えばいい、とのアドヴァイスがあった。それでも一言ふたことは挨拶しなければならないこともある。先方が名乗る名前はまったく覚えられない。お互い様だろうが。会員は獣医、元銀行マン、中小企業の経営者、商店主、彫刻家…まあエグゼキュティブであろう。ほとんどが70歳以上で矍鑠たる90歳の人もいた。

会場には既にプロジェクターが設置されていて、持参したパソコン(Libretto U100)を繋ぐも通電せず狼狽えた。担当の技師があれこれやっているがいうことをきかない。会員が2,3名が出てきて何処かをいじっていたらパッと通電した。会員に専門家がいたんだ。

チェアマンがベルを鳴らし開会を宣言、今日の集まりは26名と報告があり、今日の演題と日本からゲストを迎え云々とオランダ語で紹介されたようだった。そのあとシモンが立って今朝ほど作ったメモを見ながら小生の経歴、オランダとの関わり、趣味などをややオーバーに紹介してくれたようだ。オランダ語は解らなくても語調で察しがつく。

持ち時間は15分。時間厳守はプロブスの掟。腕時計をストップウオッチに設定して壇上に立った。

各国の平均寿命の推移、日本とオランダの比較、高齢化の実態、シニアーネットワーク、メロー倶楽部の活動、伝承館…、日韓友好親善等スライドをたぐりながら下手な英語ではなした。ときには詰まりときには立ち往生して…なんとか終えることができた。

ホッとして会場を見渡すと拍手が聞こえた。チェアマンが立ち上がって、
「もう一度ミスター***に拍手を!」と言ってくれたときは外交辞令とは解ってるが嬉しかった。シモンもホッとしたようだ。気にしていたに違いない。

次の演題は「Stirling Engine」だった。実物を持ち込んで運転して解説する凝りようだった。

最後は食事をしながら歓談だ。チェアマンが小生のところにやってきて「あなたはゲストなので最初に皿に取って頂かないと会員が手を出せない」と囁いた。さすがプロブスは紳士の倶楽部だ。こういうところで男が磨かれていくのだろう。

帰ったらカミさんのマチェが植え込みで囲まれた庭の一角に安楽椅子を用意してしばらく休むがいいと言った。細かく深い気配りには頭が下がった。

身も心も軽くなってファーっとする。明日はサウナだ。


[No.106] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 7 投稿者:   投稿日:2007/05/15(Tue) 16:40
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とんぼさん こんにちは

>1953年の洪水で一晩に何万ヘクタールという干拓地が水没し何千という死者がでた>大惨事があって国を挙げて水に対する戦いを進めてきたものだという。

昔、小学校の教科書?だかに、
堤防からチョロチョロと水が漏れているのを発見した少年が、
指を突っ込んで大惨事になるのを防いだ・・・。
と言う話を思い出しました。

> 返礼に持参した藍染めの日本手ぬぐいを差し上げた。アリーが包みを開け「60にな
>ってお迎えが来たらまだ早いと追い返せ…」というのを見てなにが書いてあると訊かれ
>た。When you got 60 years old, までは良かったが‘お迎えが来たら’で困った。主
>語はどうする? 難しい詩なんで後日メールしよう、と逃げた。

傑作ですね。
しかし、ぱっと出すのはまごつく日本語ですね。
あちらの風習もあるでしょうし・・・。

安房守


[No.107] 旧友を訪ねて オランダへの旅 9 投稿者:   投稿日:2007/05/16(Wed) 11:36
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 旧友を訪ねて オランダへの旅 9
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(9)最後の日はサウナで

早いものでオランダに来てからもう11日目だ。明日は早立ちなので今日が実質最後の日だ。朝、シモンと一緒に犬のイファーを連れてワールl河の岸辺を散歩する。もう来る機会はなかろう。ひとり村はずれの砦のところまで行って村を一巡して帰ってきた。

10時頃シモンと一緒に車でホウテン(Houten)のサウナへ行く。日本の銭湯みたいなところだろうと思っていたが各種のサウナがいくつかありプール、ジャグジー、エクサーサイズ施設等を備えた‘健康ランド’とでも称すべきところだった。

フロントでタオルのガウンとバスタオル2枚、それに脱衣ボックスのキーを借り2階の更衣室へ行って着衣をすべて脱ぎガウンに着替えた。更衣室は男女の別ない混用だ。

シモンに従いてサウナに入っていくと行き交う男も女もガウンを抱えているだけの丸裸でお通りだ。前だけタオルでちょこっと隠すような仕草はまったくない。目のやり場がなくて困った。

サウナ室は教室くらいの広さで床は3段になっていた。上段の温度が100度くらいに設定されているようだ。上段の床にタオルを敷いて寝ころんだ。窓がなく奥の方が暗くてよく見えなかったが夫婦が2組横になっていた。

中年の女性が入って来て下の段にきたようだ。顔の汗を拭って横目で見れば、女は足の裏をこちらに向けて開脚姿勢で寝ていた。「秘すれば花なり」という言葉があるがこれは嘘だで誤魔化しではないか。あるがままに出していいのではないか。 こんなところへきて余計なことを考えさせられた。

15分汗をかいて外のぬるい泡風呂へいった。初夏の太陽をさんさんと浴びて風呂へ浸かっているとき、「ハロー!」といって若い娘が惜しげもなく裸体をさらして入ってきた。1坪ほどの浴槽なので足をのばすと娘の足とからむ。原始人類はこういうおおらかな生き方をしていたんだろう。イチジクの葉っぱで前を隠すようになったのはだいぶん後のことだろう。

また別のサウナをハシゴしてから庭園の寝椅子に寝ころんで昼寝をした。オトコもオンナも生まれたまんまの姿。むかし読んだ詩が浮かんだ…。

豚屋の主人に豚が言った。「着てるものをみんな脱いでみろ」「パンツも脱いで靴下もだ」「ぜんぶ脱いだらそこに立て」「四つん這いになってブーっと言ってみろ」「なんだ、おれといっしょじゃないか」 こんな内容だった。

ブランドもので着飾ったセレブも脱げば豚と同じだ。手鏡で人生を棒に振った先生もここに来ていたらスカートの中を覗くなんてことはしなかっただろうにと思った。タオルで前をちょこっと隠す真似をしたとてなんになる、白日の下堂々と歩くことにしよう。透視術を体得した。もうが外見で騙されまい。シモンが望んでいたのは日本人と裸のつき合いだったということか。

帰ってマチェの作った心づくしの夕食が待っていた。隣のクラシックカーの奥さんから土産にとプレートが届いていた。今日もいい一日だった。

写真:V村の岸辺にはNaturistが日光浴をするところがあった。


[No.108] 旧友を訪ねて オランダへの旅 10 投稿者:   投稿日:2007/05/16(Wed) 18:57
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 旧友を訪ねて オランダへの旅 10
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(10)旅のおわりはプラーハで

3時には目が覚めた。ほどなくシモン夫婦も起きたようだ。スキポール空港8時15分KLMプラーハ行きの飛行機に乗るには4時半に家を出る必要がある。低血圧のマチェには早起きが大変だろうが4時に揃って食事をしテキパキと荷物を積み込んで出発の準備をしてくれた。

空港までは1時間かかる。明るくなっていく風景を見ながら黙って過ぎし日を振り返っていた。シモンもマチェも無言だった。

空港に着くとシモンが搭乗手続きをしてくれた。お陰でE−ticket(A4版のテキストメール)でまごつかずに済んだ。出発ゲートを通るまで二人は手を振っていた。

チェコのプラーハには9時半頃着いた。ホテルへはタクシーでと思ったがボラれるのは必定だ。時間はあるので案内所で地図をもらい、バスト地下鉄を乗り継いで行くことにした。重いトランクを引きずって階段、石畳の道を尋ね尋ねてホテルを探すのは大変だった。

新市街にあるHotel Galileoをやっと見つけた。5連泊してプラーハの街を思う存分楽しもう。

本題ではないので端折って書くと;
街に貼ってあった広告でコンサート情報を知りチケットを買った。
4月26日オペラ座でヴェルディの“LA TRAVIATA”
   27日スメタナホールでモーツアルトの“REQUIEM”
   28日オペラ座でプッティーニの“Madama Butterfly”
いづれも1階特等席ほぼ中央の席を予約。3日続けてプラーハの春をだ。

この他にプラハ城内小ホールの音楽会、なんとか教会での演奏会等音楽漬けの間にプラーハの街を散策した。

プラーハはソ連の戦車で埋め尽くされ歴史がある。共産主義博物館を見学していたら老婦人が涙を湛えて陳列されていた資料を読んでいた。あの時代は狂気の時代だったのか。ヴァーツラフ広場で抗議の焼身自殺をした学生の碑の前にはいまも花束が絶えないようだ。

ドヴォジャーク、スメタナの博物館、また郊外にある墓へも行ってきた。カレル橋、ミュシャ美術館、地下鉄の終点まで。

オランダ・プラーハ17日間の旅は終わった。いい旅だった。
オランダの旧友に感謝!


[No.109] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 10 投稿者:   投稿日:2007/05/17(Thu) 06:14
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とんぼさん、みなさん、今日は
素晴らしい旅行記、感心しながら拝見しました。

> オランダの旧友に感謝!
良いお友達をお持ちでこれも、一期一会を大事にされるとんぼさんの
お人柄の賜だと思います。

有り難うございました。

KAME(亀井)


[No.110] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 10 投稿者:   投稿日:2007/05/17(Thu) 13:54
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KAMEさん、ご無沙汰してます。

拙文をお読み頂き有り難うございました。

往訪前にメールで最後の旅行で云々と書いたら何故そんなにペシミステックになるんだと気合いを入れられました。

持つべきは友ですね。
元気をもらって帰ってきました。

お目にかかれるのを楽しみに、

とんぼ 拝


[No.111] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 10 投稿者:びっくりさん  投稿日:2007/05/17(Thu) 22:07
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とんぼさん

毎回楽しく拝見しました。

何よりとんぼさんの文章が素晴らしく、いろいろな情景が眼に浮かぶようでした。

これに較べて、日本は経済大国などと言われておりますが、なんと貧しい感じがします。

やはりヨーロッパの伝統文化とそれに根ざした生活は日本とは比較にならないくらい豊かですね。羨ましい限りです。

帰りにはプラハで、ヴェルディ、モーツァルト、プッチーニの3夜連続とは!

本当に楽しく拝見し、こちらも嬉しい気分に浸ることができました。

有難うございました。


                              びっくりさん


[No.112] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 10 投稿者:   投稿日:2007/05/17(Thu) 23:46
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Re:  旧友を訪ねて オランダへの旅 10
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びっくりさん、

拙文をお読みいただき有り難うございます。

プラーハはスメタナの「我が祖国」を聴いて以来行きたいなと思ってまして。
初日に街角のコンサートの張り紙を見たときは嬉しかったですね。3夜連続してコンサート通いなんてバチが当たりますね。スイマセン。

               とんぼ


[No.113] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 10 投稿者:季寿  投稿日:2007/05/19(Sat) 22:19
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とんぼさん

10回に亘る「オランダ旅行記」を楽しませていただきました。

詳細に書かれた文章と、添付された画像に、自分も同じように旅行してる
ような錯覚すら覚える素晴らしいものでした。

素敵なお友達との旧交を温める出会いも、一生楽しい想い出として心に
深く刻み込まれる事でしょうね。

手許にとんぼさんにいただいた名刺がありました。
以前に、何処かの全国オフでお逢いした事があるのですね。

    季寿


[No.114] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 10 投稿者:   投稿日:2007/05/20(Sun) 10:13
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季寿さん、

お読みいただき有り難うございます。
読み返して誤字や間違いの多い文章で恥ずかしい限りです。

この歳になって温かく迎えてくれる友のいる幸せをしみじみ感じています。

> 以前に、何処かの全国オフでお逢いした事があるのですね。

覚えていますよ。どこだったか豆腐を食べたような…。
いつも会報の送付していただき感謝です。