若い方々へ
4月、船出のシーズンです。進学、入社―――など様々な船出があります。しかし、乗りだす海は、逆風で波も荒いと思います。なかには、乗船する船が見つからず、やむなく港で待機しておられる方もあると思います。
そんなとき、一冊の本が勇気を与えてくれるかもしれません。
シニアのみなさまへ
子どもの時、若い時に読んだ一冊の本が、その後の人生に大きな影響を与えた・・・そんな一冊をぜひご紹介ください。ジャンルは問いません。漫画本などでも結構です。
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[No.44]
Re: どうか『米原万里』を読んでください!
投稿者:
投稿日:2010/04/22(Thu) 11:28
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画像サイズ: 736×832 (78kB)唐辛子 紋次郎さん こんにちは
> プラハに住んでいたころ、万里はよく近くの駄菓子屋へ行ったらしいが、そこでこのお菓子を見つけたらしい。(「旅行者の朝食」参照)
はてと思ったら、たぶんこの本は読んだことがあります。
旅行者の朝食 (文春文庫) (文庫)
米原 万里 (著)
そして、エッセイ「旅行者の朝食」にでてくる「トルコ蜜飴」とは、
ハルヴァのことらしいのですが、
http://blog.livedoor.jp/hanazamurai/archives/50232139.html
あるいは別のサイトに
>結論としてはトルコ蜜飴とは、イランが起源と言われる、イスラム圏のスフレっぽい食感のお菓子“ハルヴァ”が、ユーラシア各地のイスラムコミュニティ中心に伝播してゆき、
>次第に欧州人もハルヴァを口にするようになり、真似して作ったものを“トルコ蜜飴”と呼ぶようになったらしいのだが。
http://chikyu-syouyou.at.webry.info/200809/article_22.html
シルクロードの留学生から
トルコの甘いお菓子だというものをもらって食べたことがあります。
甘いけれど固いお菓子でした。
ハルヴァと同じものかどうかは確認していませんが。
写真を載せます。 お菓子の箱のほうは、マルチメディア館にも載せてみます。
[No.43]
Re: どうか『米原万里』を読んでください!
投稿者:
投稿日:2010/04/22(Thu) 10:30
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万里の魅力はとても一回や二回では語りつくせないが、このあいだ展覧会へ行った時に見たトルコ蜜飴の箱はあっしに、彼女の書いたいろいろな著書を思い出させた。
プラハに住んでいたころ、万里はよく近くの駄菓子屋へ行ったらしいが、そこでこのお菓子を見つけたらしい。(「旅行者の朝食」参照)
著者に依ればこの蜜飴は、ケストナーの「点子ちゃんとアントン」という小学生向けの小説に出て来るそうである。
普通のひとならこの蜜飴でエッセーを書いてもせいぜい1ページか2ページがいいところだが、探究心の塊のような彼女ではそんなことでは済まない。蜜飴の素性調べになんと17ページを費やしている。
大辞林をはじめ、ランダムハウス、プチ・ロベール、インターネット英英辞典、岩波ロシア語辞典、ロシアの料理研究家ポフリョブキンの「料理芸術大辞典・レシピ付き」まで総動員、更に更に彼女は友人や通訳仲間を総動員して徹底的に探求する。
これでビックリ仰天していたら、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」にも39ページと94ページに都合2回も出てくるのだ。このこだわりには、ショウジキだれでも兜を脱ぐに違いない。
[No.42]
Re: レ・ミゼラブル
投稿者:男爵
投稿日:2010/04/21(Wed) 17:12
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唐辛子 紋次郎 さん、こんにちは。
> ルーマニアでは、いまだに『噫無情』(黒岩涙香の名訳)は、過去のものではなく、現在進行形なのでしょうか?(-_-;)あっしは、イタリアなどで、出稼ぎルーマニア人が逮捕されたという記事を、何回か眼にしたことがあるような気がします。
私がドイツにいた1981〜1982年には
ルーマニア人はチャウセスク大統領の悪政を憎んでいました。
決して母国には帰らないと言っていました。
やっとチャウセスクは倒されたけれど
その後遺症はまだ残っているのでしょうね。
北朝鮮にもストリートチルドレンがいるのを
テレビで写し出されていますね。
[No.41]
Re: レ・ミゼラブル
投稿者:
投稿日:2010/04/21(Wed) 13:42
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男爵 さん、みなさん、こんにちは。(^_-)-☆
> 原題は可愛そうな人々
> ミュージカルや演劇で有名ですね。
ミュージカルになった「レ・ミゼラブル」は1987年に日本初演だといいますが、2010年現在では、公演はすでに総計2400回を数えるそうですね。(@_@;)
来年はまた、舞台となっている帝劇が100周年と云うこともあって「レ・ミゼラブル」は益々盛り上がりを見せています。
やはり、中心となるのはジャン・ヴァルジャンとコゼットなのでしょうが、登場人物の中にガヴローシュというのがいます。孤児というか、ストリートチルドレンの名前です。こないだテレビを観ていたら、この名を冠した孤児院?がルーマニア(たぶんブカレスト)にあるということでした。
ルーマニアでは、いまだに『噫無情』(黒岩涙香の名訳)は、過去のものではなく、現在進行形なのでしょうか?(-_-;)あっしは、イタリアなどで、出稼ぎルーマニア人が逮捕されたという記事を、何回か眼にしたことがあるような気がします。
[No.40]
Re: ネルー『父が子に語る世界歴史』
投稿者:hiro
投稿日:2010/04/21(Wed) 09:26
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> これは、半世紀以上前、まだ私が中学生の頃に、教科書の歴史だけが歴史ではない
> ことを知った本で、グーグルで検索したら、下記サイトに紹介されていました。
私は、学生時代の国語の教科書で読んだのがきっかけで図書館で借りだしましたが、まだ1巻だけしか読んでいません。続巻も是非読んでみたいと思っています。学者先生が論文のように書いた木で鼻をくくったような歴史書ではなく、題名のように親が子に語り聴かせるようにわかりやすく記載されているのがすばらしいですね。
[No.39]
レ・ミゼラブル
投稿者:
投稿日:2010/04/21(Wed) 09:25
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原題は可愛そうな人々
ミュージカルや演劇で有名ですね。
家族のため、気がつけば(パン屋のガラスを壊して)パンに手を出していた
わずかパン一個を盗んだという罪でとらわれた主人公。
家族のことが心配で脱獄を繰り返すうちに19年間もの監獄生活を送ることになってしまった。
世の中は、強い者が正義という世の中で、弱い人は誰も助けてくれない。弱い人も悪いことをしてでも生き延びるしかないのだ、そういう考えになった彼は悪人になって生き延びようと考える。
主人公が親切な司祭のもとから(確信犯として)盗んだ銀の食器だったが
すぐ警察に捕まってしまう。
ところが司祭はそれは彼に上げたものだと弁明して、主人公は罪にとらわれなかった。
この事件をきっかけに、悪人から正義の人となり、可愛そうな人々を救うための一生をおくる主人公。
さて、話は最後になって、パリの下水道を、青年を背負って逃げた主人公
やっと外に出られると思ったそのとき、鉄格子が目の前にあって出られない。
しかも、そこに現れたのが彼の宿敵ジャヴェルだった。
絶体絶命、彼の運命もここまでだ、と思うとジャヴェルは不思議な行動をとる。
彼は鍵を開けて、主人公たちを逃がしてくれたのだ。
そのあと、ジャヴェルは自殺をする。
なぜ?
私は次のような理由を考えました。
ジャヴェルは生涯、ジャン・ヴァルジャンをつけまわしていたのに、魔がさしたのか、自分のしたこととはいえ、逃がしてしまった。大きな後悔をした。それゆえの自殺。
ジャヴェルはジャン・ヴァルジャンが悪人だと思ってずっと追跡を続けて主人公を迫害してきたが、ふりかえるとそれは大きな誤解であって、自分のしたことを反省した。反省しても反省しきれず自殺を選んだ。
ジャヴェルは、自分の行為が職業人として社会に貢献するものと思っての行為だったが、それは必ずしも正しくはなかった。でも、自分の職業倫理からすればやむをえなかった。考えてみると自分の人生もつらい人生だった。自分としてはしたことに悔いはない。だが、いろんなことを考えるとこんな矛盾の人生をこれからもおくることは無意味だという気になった。
など諸説をあげてみましたが、読者は自分で考えてみてください。
[No.38]
Re: 「チボー家の人々」
投稿者:hiro
投稿日:2010/04/21(Wed) 09:20
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>
> だいたい、デュ・ガールが文学に目覚めたのがロシアの文豪レフ・トルストイの登場人物500人強といわれる「戦争と平和」だというのも、なにか分かるような気がします。これも、完成までに5年かかったとかいわれています。
早速のレス有り難うございました。実は、小生「戦争と平和」岩波文庫新訳に感動し、まだ読んでいない名作は?と言うことで「チーボー家」を読み始めた次第です。やはり古典として残っている作品は本当にすばらしいです。今にして目から鱗の思いでいます。読まなければもったいないですね。
[No.37]
Re: どうか『米原万里』を読んでください!
投稿者:
投稿日:2010/04/20(Tue) 22:02
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『米原万里展』はじつはこれが初めてではなかった。意外なことに万里さんは山形県と縁が深かったのだ。ちょくちょくここを訪れているし、講演までやっている。
それで2008年9月行なわれたNPO法人シベールアリーナ&遅筆堂文庫山形館の柿落しに、この展示を行なうこことになったらしいことが、市川の会場に並んでいた200ページほどの図録を読んでわかった。
またこの図録のお陰で、会場の一角を占める多数の韓国語訳の本のナゾも分かった。
帝塚山大学で講師を務める李賢進さんは、同僚の読んでいた本で万里の存在を知り、大きな衝撃を受けた。すっかり万里に惚れこんだ李さんは、つぎつぎと韓国語に訳しては母国に紹介した。万里のほとんどの著書がこうして今では韓国で出版されているそうだ。ただ、病に倒れた万里はついにその完成を見ることなく、この世を去ったという。
[No.36]
Re: 「チボー家の人々」
投稿者:
投稿日:2010/04/20(Tue) 18:58
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hiroさん、こんばんは。「チボー家」へのレス、ありがとうございます。(^_-)-☆
> > その後再刊されていないだろうから、いま若い人が読むのは無理かもしれない。どうかして再版してもらえればいいが…。
> 今でも白水社から白水Uブックスとして刊行されています(13冊)。実は現在読み進んでいるところです。8冊目の「1914年夏」の所から急に政治がらみで難しい内容になりスピードダウンしていますが、確かにすばらしい内容で何よりも面白いので長編にもかかわらず最後まで読んでいけそうな気がしています。
> 1984年の版で山内義雄 訳です。
そうですか、今でも出ているのですね。では、読む気さえあれば、若ものにも読めるのですね。それは良かった。(^_-)-☆
ところで、あっしの書き込みですが、まるで、今さっき読み終わったように書いたように見えますが、じつはもう50年以上も前の読書なので、内容はほとんど覚えておりません。彼が貰ったノーベル賞だって1937年ですから、後期高齢者の紋爺でさえまだやっと7歳になった頃です。
また、原著で8巻だかになるこの作品も、著者が20年近くをかけて完成させたそうですから、むこうの人は実に息が長い紋だ、と思いました。
だいたい、デュ・ガールが文学に目覚めたのがロシアの文豪レフ・トルストイの登場人物500人強といわれる「戦争と平和」だというのも、なにか分かるような気がします。これも、完成までに5年かかったとかいわれています。
[No.35]
Re: 「チボー家の人々」
投稿者:hiro
投稿日:2010/04/20(Tue) 17:34
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> その後再刊されていないだろうから、いま若い人が読むのは無理かもしれない。どうかして再版してもらえればいいが…。
今でも白水社から白水Uブックスとして刊行されています(13冊)。実は現在読み進んでいるところです。8冊目の「1914年夏」の所から急に政治がらみで難しい内容になりスピードダウンしていますが、確かにすばらしい内容で何よりも面白いので長編にもかかわらず最後まで読んでいけそうな気がしています。
1984年の版で山内義雄 訳です。
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