[No.252]
昭和26年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/20(Mon) 07:49
[関連記事] |
昭和26年
暗い夜道 街灯の少ない夜道は、女性にとってはとてもこわい存在だった。高度経済成長の恩恵の一つは、徐々に夜道が明るくなり、女性が夜遅くまで活動できるようになったことである。サザエの住む世田谷も夜道は暗く、そのこわさを何度も漫画のネタにしている。サザエが顔見知りの氷屋をたたき起こして、「スミマセンが、ウチに帰るまで見ててくださいな、こわいんですの」と頼んでいる。
停電 戦後の電力不足は昭和26年ごろまで深刻だった。石油ランプやロウソクが必需品であった。
輪タク 三輪の自転車でひく。荷台が椅子式に座れるようになっていた。
泳げた東京の川 世田谷の町中の川で泳ぐカツオの場面。
コンロ・七輪 家庭の炊事用に使った燃焼器具。燃料として木炭・練炭などを使用した。
天秤棒をかつぐ行商人 天秤棒をかついで売り歩く魚屋・金魚売り・豆腐屋・シャボン玉屋 中国四川省では天秤棒を担いで、客がいると荷物を下ろして、そこで作って売ったのが担々麺(天秤棒を担ぐから)、だから元祖の担々麺にはスープなし。
長靴 雨が降れば道路はぬかるみになり、長靴は必需品だった。マスオのはいていた長靴を見た人が「長靴があっていいね」と言うが、マスオが家に帰って、古くなって穴が開いている長靴からサザエが水を振り出しながら「早く新しいのが買いたいわ」と言う。今は道路も舗装され、冬も雪が少なくなって、長靴はあまり見られなくなった。今年の1月に新潟県の高田(上越市)を長靴で歩いていたら、雪が深くて、けっこう役に立った。
ドブ掃除 当時の東京には、台所や風呂場の生活排水を流すドブがどこにでもあった。大森海岸は海苔がとれるくらいの海水浴場だったが、昭和30年代に入ると人口増大による生活排水のため泳げなくなっていった。
味噌すり サザエがカツオに「おミソすってよ」とすり鉢に入った味噌を手渡す場面がある。磯野家の味噌にはまだ大豆や麦の粒が残っていて、それをすり鉢で細かくすっていたらしい。
母の日 カツオがフネに大きな花束を渡す。フネが喜ぶのを見て、すぐ花束を返してもらう。友だちと共同で買ったので回して使うから。
追放解除 政府はGHQの承諾を得て、戦犯を除く公職追放解除訴願中の一万九十人の追放解除を発表。また旧軍人三千二百五十人(太平洋戦争開戦後の陸海軍学校入学者)にも追放解除を発表。