[No.340]
Re: 昭和36年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/26(Sun) 20:39
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> 昭和36年
> 歌謡曲
> 王将(村田英雄)
村田はこの曲で1962年の第4回日本レコード大賞特別賞を受賞した。
レコード売り上げ枚数は最終的には300万枚を超えた。
この曲のヒットにより、作詞者の西條八十、作曲者の船村徹、歌手の村田英雄は日本将棋連盟から名誉初段を授与された。
西條八十は、これは阪田三吉がモデルであるが
「愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい」の一節は
自分の妻のことを歌ったのだと自伝に書いている。
> 川は流れる(仲宗根美樹)
この歌を聞くと、札幌創成川を思い出す。
> 北上夜曲(和田弘とマヒナ・スターズ&多摩幸子)
ダーク・ダックスが盛岡公演をしたとき
母校の卒業生たちが、千鳥という料亭に集まってくれた。
そこで、仲居さんたちが歌うのを聞いたのが北上夜曲だった。
東京に帰ってから、北上夜曲を発表したら、作詞者と作曲者が見つかった。
作詞者は岩手県江刺市(現在の奥州市)出身の菊地規(のりみ)、作曲者は岩手県種市町(現在の洋野町)出身の安藤睦夫であった。
作詞者の菊地規は、水沢農学校在学中に詩作をしたり、友人たちと同人誌を発行するなど創作活動をしていた。
当時、水沢農学校には安藤という配属将校がいて、菊地規と安藤とは同じ下宿に住んでいた。
この将校が安藤睦夫の叔父にあたる。
旧制八戸中学の生徒であった睦夫は、叔父の下宿を訪れて規と出会い、二人は意気投合した。
というわけで、二人が北上夜曲をつくったのである。
昭和36年といえば
「山のロザリア」がある。
ロシアの曲に丘灯至夫(おか・としお)が作詞したもの。
昭和31年(1956)に「牧場のロザリア」の題名で売り出したが、さっぱり売れなかった。そのときは織井茂子が歌っていた。
昭和36年(1961)になって、歌声喫茶から歌われ始め、ヒットの兆しがあったので、「山のロザリア」と改題し、スリー・グレイセスの歌で売り出したら、ヒットした。
「南国土佐を後にして」も
昭和33年暮れ、NHK高知放送局の開局を記念して、「歌の広場」が放送され
そのなかでペギー葉山が歌った「南国土佐を後にして」が大反響を呼び、ヒット曲となったのであるが
その3年ほど前、鈴木三重子の民謡調のレコードが出ていて、ほとんど話題にならなかった。
「矢切の渡し」も
1978年に、ちあきなおみが「酒場川」のB面曲として発売したが、あまり売れなかった。
1983年に、細川たかしがカヴァー版を出したらヒットして、「日本レコード大賞」を受賞した。
ある人は、ちあきなおみは真面目に歌うから暗くて、主人公の駆け落ち二人はそのうち心中してしまうのではないかという気にさせられるのに対して
細川たかしのほうは明るくどこかノー天気の感じがして、川を渡った二人はどこかできっと幸せに暮らしているのではないかと思わせるところがあるからヒットしたのだろうと分析する。
同じ歌でも歌手により、そのときの世の中の状況によって
歌は印象が違うのだろうか。