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電気パン焼き器 (マーチャン)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/15 0:10
kousei  管理人   投稿数: 4
いやいや懐かしい品物 戦後進駐軍《しんちゅうぐん=軍隊が他国の領土に進軍しとどまっていること》放出のメリケン粉《=蓄え持っている小麦粉を出す》の配給を受け普通はすいとん(だんご汁)なんかで食しておりましたが 誰かに教わり私も作った覚えがあります 銅版に電気コードをくっつけ焼いた事があります イースト菌も無く それでもパンらしく出来た記憶がありました 半世紀も前のことですね。
 スカッパー
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/14 23:06
kousei2  長老   投稿数: 250
投稿者:マーチャン

としつるさん

 大変興味あるお話、ありがとうございました。

> 懐かしい電気パン焼器、終戦後でしたか、その前後でしたか
> 工業学校をおえた老生、相当数の手製を親戚やらに配ったも
> のでした。

> 無論マーチャンのステンレスやIDEさんの銅板ではなしに
> 単なるブリキ板2枚にコードをハンダ付けし差し込むもので
> した。

 わあ、すごいです。
 理科も工作も実戦で活かせる頼もしい少年であらせられた
 わけですね。

> 只これを使えるお宅は、電源がメートル制(計量制)でなけ
> れば、フューズがとんでしまって停電になり、電気会社から
> 電気屋を呼ばねば真っ暗闇になった筈大変なことをしでかす
> 結果でした。

 おぼえています。
 当時は、よく、ヒューズが飛びました。

> 重曹が一般的でしたが、上州育ちの我々は磯部温泉に湧く
 炭酸性の水を汲みに行って、それを使いました。
> これは今でも土地の皆さんが重宝をしていて、あの温泉での
> 土産になっている磯部煎餅には無くてはならぬものでしょう。

 なるほどる磯部パンですね。
 これも生活の知恵ですね。

> 今日日の成人式に話しても、耳を貸す若者は少ないでしょう 
> ね。

 彼らの生涯に、こんな道具の必要のないことを祈りましょう。
 いまどきの若いもんはとてもサバイバル《生き残ること》できそうもないです。

            マーチャン
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/14 23:01
kousei2  長老   投稿数: 250
投稿者:としつる

マーチャン、今日は
IDEさんお久しぶりです。
老生この後世プロジェクトに伺ったのは初めてです。
次から次へとマーチャンはじめリーダーの皆さんが開発して
下さった、その後に附いて行くのがようやっとの体《てい》たらくです。

どうぞよろしくお願いいたします。

懐かしい電気パン焼器、終戦後でしたか、その前後でしたか
工業学校をおえた老生、相当数の手製を親戚やらに配った
ものでした。

無論マーチャンのステンレスやIDEさんの銅板ではなしに
単なるブリキ板2枚にコードをハンダ付けし差し込むもの
でした。

只これを使えるお宅は、電源がメートル制(計量制)でなけ
れば、フューズがとんでしまって停電になり、電気会社から
電気屋を呼ばねば真っ暗闇になった筈大変なことをしでかす
結果でした。

定量制の我が家では封印されているフューズの封印《ふういん》ペーパーを
《は》がし、銅線に変えて使ったのです。これは勿論違法で、いわ
ゆる盗電行為でした。
既に時効でしょう?悪でも生きざるを得なかったのですね。

その罰かどうか3年後でしたか電力会社には就職出来ません
でした。

さてイースト菌なぞ一般では無いから、重曹が一般的でしたが、
上州育ちの我々は磯部温泉《いそべおんせん=群馬県》に湧く炭酸性の水を汲《く》みに行って、それを使いました。
これは今でも土地の皆さんが重宝をしていて、あの温泉での土産
になっている磯部煎餅《いそべせんべい》には無くてはならぬものでしょう。

正月から下らぬ話を載せてしまいましたがお許し願います。でも
このパン焼器は日本中何処でも使われたし、これで救われたので
はないでしょうか。満足な小麦粉も少ない配給で、芋を細かくし
たり、口に残るふすまを入れて増やしたのですから・・・・・・・・

今日の成人式に話しても、耳を貸す若者は少ないでしょうね。
  
         04.01.12PM:としつる
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/14 22:59
kousei2  長老   投稿数: 250
投稿者:マーチャン

IDE/出射さん

>  後で思い出したのですが、膨らませるために重曹のふくらし粉を入れていました。これが美味くない原因の一つでもありました。
> イースト菌などはつい10年ほど前にやっとお目に掛かりました。

 我が家は、イースト菌のタネをいただいて、育てていました。
 冬は、オコタに入れたりして。暖めすぎると酸《す》っぱくなるので大変手がかかったようです。でも、小学生の私には勉強になりました。
 ただ、トウモロコシ粉など、まざりものが多いとうまく膨《ふく》らみませんね。
  
        マーチャン
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/14 22:58
kousei2  長老   投稿数: 250
投稿者:IDE/出射 

マーチャンさん こんばんは

>  「ふすま」というのは、小麦粉の精製のとき出る「糠」みたいなものなのでしょうね。

 どうも小麦の皮のような感じで、随分硬いものだったような記憶があります。完全な量を増やすための物ではなかったかと思います。

 後で思い出したのですが、膨《ふく》らませるために重曹《じゅうそう》のふくらし粉を入れていました。これが美味くない原因の一つでもありました。
イースト菌《=酵母菌》などはつい10年ほど前にやっとお目に掛かりました。

>  当時は、本当に何でも美味しくいただけましたね。
>  その点では、いまより仕合せだったように感じます。

 おっしゃる通りですね、少ない食べ物を皆で分け合って食べる。家庭不和など起りようがありませんね。「衣食足って礼節《れいせつ=礼儀と節度》を知る」とか言いますが、今の世の中、衣食は十分に足りているハズですが礼節は?ですね。

                   IDE/出射  
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/2/14 22:56
kousei2  長老   投稿数: 250
投稿者:マーチャン

IDE/出射さん、こんばんは

>  その叔父が何かと器用で、銅板と木でその「電気パン焼器」を作り

 そうだっのですか。
 やはり「自作機(器)だったのですねーーーというより、当時はパン焼き器を売るお店もなかったですね。

> 、小麦粉にフスマ等の混ぜ物をしてパン(まあアンコの無いふかし饅頭
> のようなものですが)を作って皆に食べさせてくれていました。

 「ふすま」というのは、小麦粉の精製のとき出る「糠」みたいなものなのでしょうね。

>  今出されたらとても食べられないようなものでしょうが、サツマイ
> モとかカボチャが主食の時代でしたから、皆んなうまいうまいと言って
> 食べたものでした。

 当時は、本当に何でも美味しくいただけましたね。
 その点では、いまより仕合せだったように感じます。
>
>  何かと可愛がってくれたその叔父は、結局数年後に亡くなってしま
> いました。そんなことで電気パン焼器と聞くとつい叔父さんを思い出し
> てしまいます。

 そうですか。残念でしたね。

 いいお話をありがとうございましした。

        マーチャン
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/14 22:55
kousei2  長老   投稿数: 250
投稿者:IDE

マーチャンさん、電気パン焼器とは随分と古いものをお出しになりま
したね。あのパン焼器は今でも記憶があります。

 昭和20年は私が小学校に入学した年でしたから、昭和10年代の
ことだったかと思います。父は中国に出兵《しゅっぺい=兵隊さんとして派遣される》しており、物心付いた頃より
母の実家に住んでおりました。そこに母の弟の叔父が傷病兵《しょうびょうへい=戦争によって傷ついたり病気になったりした兵隊》となって帰ってきました。

 その叔父が何かと器用で、銅板と木でその「電気パン焼器」を作り小麦粉に フスマ等の混ぜ物をしてパン(まあアンコの無いふかし饅頭《まんじゅう》のようなものですが)を作って皆に食べさせてくれていました。

 今出されたらとても食べられないようなものでしょうが、サツマイモとかカボチャが主食の時代でしたから、皆んなうまいうまいと言って食べたものでした。

 何かと可愛がってくれたその叔父は、結局数年後に亡くなってしまいました。そんなことで電気パン焼器と聞くとつい叔父さんを思い出してしまいます。
                       IDE/出射
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/14 22:53
kousei2  長老   投稿数: 250
投稿者:まや ~所沢~

マーチャンさん、コメントありがとうございます。

>  わあ、すごいですね。当時、天火をお持ちだったとは。

 天火といってもブリキ製の四角い箱みたいなものです。火にかける
式のもので、上に煙突状のものを着脱《ちゃくだつ=取り外し》できるようになっていましたから、下の火の具合とその煙突の着脱で、中の焼き具合が調節はできた
ようです。中の仕様《しよう=方法》は現在のものに似ていました。

 とにかく戦前の日本の家庭の台所にもいろんな便利な「新式」器具
があったようです・・・我が家にも高圧釜(圧力は分銅《ふんどう》で調節)、石
綿鍋《いしわたなべ》(大きなさつまいもでも丸焼きできるもの)、大きな餅を半乾き
にして薄い板状に削れる大きな大きな「カンナ」のようなもの等々
 数え切れないくらいの器具や道具・・・みんな思い出です。

まや ~所沢~
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/2/14 22:51
kousei2  長老   投稿数: 250
投稿者:マーチャン

まやさん

 いろいろ、ありがとうございます。

>  はい、あります。物好きな父が持ってきたものか、兄が自作
> したものか記憶は定かではありません。でも、実験的に使って
> みただけだったようです。我が家には「天火」がありましたの
> で、家族の評判がよくなかったのかもしれません。

 わあ、すごいですね。当時、天火をお持ちだったとは。

 私など、天火は、外国の本で知ったくらいで、実物にお目にかかったのは、高度成長期です。

           マーチャン


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/14 22:49
kousei2  長老   投稿数: 250
投稿者:まや ~所沢~

こんばんは!

>  電気パン焼き器、お使いになったことありますでしょうか。

 はい、あります。物好きな父が持ってきたものか、兄が自作
したものか記憶は定かではありません。でも、実験的に使って
みただけだったようです。我が家には「天火」《てんぴ=オーブン》がありましたの
で、家族の評判がよくなかったのかもしれません。

まや ~所沢~
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