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Re: 電気パン焼き器の思い出 (としつる)

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kousei2

通常 Re: 電気パン焼き器の思い出 (としつる)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/14 23:01
kousei2  長老   投稿数: 250
投稿者:としつる

マーチャン、今日は
IDEさんお久しぶりです。
老生この後世プロジェクトに伺ったのは初めてです。
次から次へとマーチャンはじめリーダーの皆さんが開発して
下さった、その後に附いて行くのがようやっとの体《てい》たらくです。

どうぞよろしくお願いいたします。

懐かしい電気パン焼器、終戦後でしたか、その前後でしたか
工業学校をおえた老生、相当数の手製を親戚やらに配った
ものでした。

無論マーチャンのステンレスやIDEさんの銅板ではなしに
単なるブリキ板2枚にコードをハンダ付けし差し込むもの
でした。

只これを使えるお宅は、電源がメートル制(計量制)でなけ
れば、フューズがとんでしまって停電になり、電気会社から
電気屋を呼ばねば真っ暗闇になった筈大変なことをしでかす
結果でした。

定量制の我が家では封印されているフューズの封印《ふういん》ペーパーを
《は》がし、銅線に変えて使ったのです。これは勿論違法で、いわ
ゆる盗電行為でした。
既に時効でしょう?悪でも生きざるを得なかったのですね。

その罰かどうか3年後でしたか電力会社には就職出来ません
でした。

さてイースト菌なぞ一般では無いから、重曹が一般的でしたが、
上州育ちの我々は磯部温泉《いそべおんせん=群馬県》に湧く炭酸性の水を汲《く》みに行って、それを使いました。
これは今でも土地の皆さんが重宝をしていて、あの温泉での土産
になっている磯部煎餅《いそべせんべい》には無くてはならぬものでしょう。

正月から下らぬ話を載せてしまいましたがお許し願います。でも
このパン焼器は日本中何処でも使われたし、これで救われたので
はないでしょうか。満足な小麦粉も少ない配給で、芋を細かくし
たり、口に残るふすまを入れて増やしたのですから・・・・・・・・

今日の成人式に話しても、耳を貸す若者は少ないでしょうね。
  
         04.01.12PM:としつる

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