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釜山府外史:遊びと娯楽(米田)-2

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あんみつ姫

通常 釜山府外史:遊びと娯楽(米田)-2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/4/2 20:38
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
続きです。

**********
大人の遊びといえば先ず、風俗関係という事になろうか。
カフェーでは赤玉の本店が昭和館の近所にあり、南浜と
駅付近に支店があった。南浜支店には小学同級生が居て
色々な話を聞いた。赤玉は釜山以外の朝鮮各地に系列の
カフェーを開店していたそうだ。

幸町には天勝とアポロがあり小学同級生の姉と、うちの
近所の姉さんがアポロに出ていた。天勝の南側長手通り
を下がった所に麗人会館とコンパルが店を構えていた。
当時カフェーに出ている女性は女給さんと呼ばれ、着物
姿が多く、洋装は少なかった。給料取りにとってカフェ
ーはコーヒーを飲む訳でもなく安い遊びではなかったと
思う。

南浜には多数の料亭、待合、置屋が軒を連ねて券番
(見番、検番)がこれを束ねていた。券番には人力車が
あって、置屋から料亭や待合に行く芸者を乗せて運ん
だ。昔、南浜を埋め立てる前はこの色町の裏は直ぐ海
だった。

東莱温泉にも料亭があり、芸者が居て券番が束ねてい
た。釜山のタクシーは東莱行きの客を上客としていた。

緑町と言えば遊郭を思い出す。ここには30軒の店が
あり、多くの娼妓《しょうぎ=遊女》がいた。
店には娼妓の大きな写真を並べ遊客は之を見て相手を選んだ。
牧の島にも小さな遊郭があった。釜山大橋が出来る前、
遊客は南浜から州岬へ渡船に乗って行ったのであろうか。

西面にある競馬場は春と秋にレースを開催した。その時
期になると市内の各所にポスターが貼り出され、開催日
を予告していた。

当日の朝になると、大きな音を出す花火を打ち上げて、
府民に競馬のある事を知らせる。
親父に連れられて何回か競馬場に足を運んだ事がある。
ある日の馬券の売上高が3万円とか4万円と言うのを
聞いたことがある。

冨平町と西町辺りにパチンコ屋が出来ては潰《つぶ》れた。最低1銭で遊べた当時、子供の小遣いは一日一銭か二銭だから子供にとってパチンコはキツイ遊びだった。店は何
時もガランとしていて、音楽無し。出た玉の数に応じて景品をもらうだけで金に換える事は出来ず大人の関心を呼ぶ時代ではなかった。

ラジオの娯楽番組は大きな楽しみであった。蓄音機、電
蓄はどの家でもと言うものではなかったが寄り集まって
流行歌などを聞き覚えたものである。

            続く

--
あんみつ姫

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