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Re: 戦死公報 (伸)

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スカッパー

通常 Re: 戦死公報 (伸)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/4/14 12:19
スカッパー  半人前   投稿数: 25
伸さん

先日の勉強会後の懇親会では失礼致しました お兄さんの戦死公報の投稿を拝見 当時同じ比島にいた者として簡単に戦況をお知らせしご参考になればと思ってます
1.海軍二等整備兵曹とは航空機の整備を所管《=管理》としています
2.確かリンガエンから上陸されたと聞いていましたが
以上から推測しますと中部比島《=フィリピン諸島》のクラーク基地に勤務 何れかの航空隊所属で有《あ》っただろうと思います
 昭和19年12月頃の戦況は 航空隊では連日のリンガエン湾の敵機動部隊攻撃で特攻機《=体当たり用特別機》
を含み残存機数も激減 再起を計る為台湾に移動を決定 百数十名の残存 搭乗員のみ移動を北部ツゲガラオ基地から開始 ルソン島の防衛線を北部を尚武《しょうぶ》集団 中部を建武《けんぶ》集団 南部を振武《しんぶ》集団の三分割とし、中部建武集団所属の海軍部隊は 20年1月残留《ざんりゅう》地上員約1万5千人でクラーク防衛海軍
部隊を編成 陸戦に不慣れな武器も満足に無き状況で米軍侵攻《しんこう》の防衛に ピナツボ山麓での死闘が始まる 食料不足 マラリヤ赤痢等の病魔にも襲《おそ》われ 終戦時には僅color=CC9900]《わず》[/color]か450名が生存率3%の悲惨《ひさん》な激戦が続きました これはクラーク基地(11の飛行基地)での状況です が他も大差は無いものと思います 私の場合は19年9月比島着任12月に飛行隊の再編成で内地に帰還九死に一生を得ております
 
詳しい資料が必要であれば所蔵しておりますのでお申し越し下さい
英霊の安からん事を祈りながら
                  スカッパー
 

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