Re: 戦死公報 (伸)
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戦死公報 (伸) <英訳あり> (編集者, 2004/4/5 20:51)
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Re: 戦死公報 (伸) (スカッパー, 2004/4/14 12:19)
- Re: 戦死公報 (伸) (伸, 2004/5/3 9:39)
- Re: 戦死公報 (伸) (スカッパー, 2004/5/4 18:54)
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Re: 戦死公報 (伸) (スカッパー, 2004/4/14 12:19)
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Re: 戦死公報 (伸) (伸, 2004/5/5 9:31)
- Re: 戦死公報 (伸) (スカッパー, 2004/5/14 10:19)
- Re: 戦死公報 (伸) (あんみつ姫, 2004/5/20 14:45)
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Re: 戦死公報 (伸) (伸, 2004/6/7 15:02)
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Re: 戦死公報 (伸) (大村, 2006/6/22 4:00)
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Re: 戦死公報 (伸) (あんみつ姫, 2006/6/22 9:53)
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Re: 戦死公報 (伸) (大村, 2006/6/22 13:17)
- Re: 戦死公報 (伸) (あんみつ姫, 2006/6/30 17:20)
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Re: 戦死公報 (伸) (大村, 2006/6/22 13:17)
- Re: 戦死公報 (伸) (伸, 2006/7/1 14:41)
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Re: 戦死公報 (伸) (あんみつ姫, 2006/6/22 9:53)
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Re: 戦死公報 (伸) (大村, 2006/6/22 4:00)
- Re: 戦死公報 (伸) (大村, 2006/7/5 23:34)
- Re: 戦死公報 (伸) (スカッパー, 2006/7/7 22:40)
- Re: 戦死公報 (伸) (伸, 2006/7/8 16:53)
- Re: 戦死公報 (伸) (大村, 2006/7/17 12:32)
スカッパー
投稿数: 25
伸さん
前回は私の偏見と的外《まとはず》れの記事を投稿したようで クラークを中心に書き込みましたが 19年始めキャビテ軍港からの軍事郵便が有ったとの書き込みで キャビテは御承知の通りマニラ湾の南隅にあります ここからお便りならば或いはマニラ中心の周囲の航空基地に勤務されていた可能性もあります
従って最後は「振武《しんぶ=武力を振るい表す》集団」に所属されマニラ東方の山岳地帯に転戦されていたかも、とも推測が出来ます
マニラを中心に八つの航空基地が存在しキャビテに近い所に海軍のニコラス航空基地があり その他基地の造成管理に菲島《ひとう》海軍航空隊が北、中、南に夫夫《それぞれ》ありました マニラからクラークまでトラック便で約2時間で行けます(私も、この便で着任しております)のでクラークを否定する事も出来ませんが ニコルス基地に勤務されて居たとすれば、20年2月5日「海軍南部隊長古瀬大佐からニコルスから撤退《てったい=退却》マッキンレイへ」との記録がありました。
米軍の侵攻《=領土を侵す》に抗《こう》し切れず撤退したのでしょうか。
又2月26日バギオの方面軍司令部から「マニラ地区生存ノ海軍部隊全員ハ古瀬大佐(北菲《ほくひ》空司令)ガ指揮ヲトリ(マニラ東方海軍防衛隊)ヲ編成 古瀬大佐指揮官トナリ 陸軍振武《しんぶ》集団ノ指揮下ニ入リ直ちに東海岸インフアンタ地区ニ転進 所在地区ヲ警備防衛シツツ陸軍用糧秣《りょうまつ=兵と馬の食糧》ノ確保ニアタルベシ」
との命令が出ておりますので 飛行搭乗員が台湾に移動後、残された地上勤務員はこれら部隊に吸収され 馴れない陸戦を強いられたのでしょうか 武器も食料も満足に無く疫病《えきびょう=伝染病》に追い討ちをかけられての行進だったろうと推察します
北の尚武《しょうぶ=軍事を重んじる》集団は山下大将直轄《ちょっかつ》の陸軍部隊ですからお兄さんの所在とは無関係と思います
最後の地である「将棋谷」について色々資料を探しましたが 楠《くす》谷、一の谷、十三の谷、飢餓《きが》の谷等はありましたが また「建武集団」に居て戦後生還した同期生にこの名称を聞きましたが記憶無しとの事でした
軍事郵便の「ウ七四」の記号は所属部隊なのか私は「ウ四四九」で発信した経緯がありますがなんの記号か思い出しません 以上が現段階での調査結果です 又何かが判明すれば投稿いたします
スカッパー
前回は私の偏見と的外《まとはず》れの記事を投稿したようで クラークを中心に書き込みましたが 19年始めキャビテ軍港からの軍事郵便が有ったとの書き込みで キャビテは御承知の通りマニラ湾の南隅にあります ここからお便りならば或いはマニラ中心の周囲の航空基地に勤務されていた可能性もあります
従って最後は「振武《しんぶ=武力を振るい表す》集団」に所属されマニラ東方の山岳地帯に転戦されていたかも、とも推測が出来ます
マニラを中心に八つの航空基地が存在しキャビテに近い所に海軍のニコラス航空基地があり その他基地の造成管理に菲島《ひとう》海軍航空隊が北、中、南に夫夫《それぞれ》ありました マニラからクラークまでトラック便で約2時間で行けます(私も、この便で着任しております)のでクラークを否定する事も出来ませんが ニコルス基地に勤務されて居たとすれば、20年2月5日「海軍南部隊長古瀬大佐からニコルスから撤退《てったい=退却》マッキンレイへ」との記録がありました。
米軍の侵攻《=領土を侵す》に抗《こう》し切れず撤退したのでしょうか。
又2月26日バギオの方面軍司令部から「マニラ地区生存ノ海軍部隊全員ハ古瀬大佐(北菲《ほくひ》空司令)ガ指揮ヲトリ(マニラ東方海軍防衛隊)ヲ編成 古瀬大佐指揮官トナリ 陸軍振武《しんぶ》集団ノ指揮下ニ入リ直ちに東海岸インフアンタ地区ニ転進 所在地区ヲ警備防衛シツツ陸軍用糧秣《りょうまつ=兵と馬の食糧》ノ確保ニアタルベシ」
との命令が出ておりますので 飛行搭乗員が台湾に移動後、残された地上勤務員はこれら部隊に吸収され 馴れない陸戦を強いられたのでしょうか 武器も食料も満足に無く疫病《えきびょう=伝染病》に追い討ちをかけられての行進だったろうと推察します
北の尚武《しょうぶ=軍事を重んじる》集団は山下大将直轄《ちょっかつ》の陸軍部隊ですからお兄さんの所在とは無関係と思います
最後の地である「将棋谷」について色々資料を探しましたが 楠《くす》谷、一の谷、十三の谷、飢餓《きが》の谷等はありましたが また「建武集団」に居て戦後生還した同期生にこの名称を聞きましたが記憶無しとの事でした
軍事郵便の「ウ七四」の記号は所属部隊なのか私は「ウ四四九」で発信した経緯がありますがなんの記号か思い出しません 以上が現段階での調査結果です 又何かが判明すれば投稿いたします
スカッパー