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長崎の被爆者の声(2) (5枚目のCDの11から20まで)

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kousei

通常 長崎の被爆者の声(2) (5枚目のCDの11から20まで)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 10:42
kousei  管理人   投稿数: 2
 
その11  音声を聞く

この日午後1時前を最初に長崎市の北側から爆心地へ乗り入れて来た4本の国鉄救援列車をめぐる動き

 
 その12 音声を聞く 

 機関車乗務員と相談を致し、線路の点検もろくに出来ないままに、私が機関車の先頭に立ちまして列車を誘導し、汽笛を高らかに吹鳴して貰いながら浦上の方面に列車を進めましたような次第でございます。

 西町の踏切の手前で列車を止めたわけでございますが、この地点ではもう沢山の負傷者の方がたむろされて居られまして、「助けて!助けて!」この悲痛な叫びがどうする事も出来ない痛々しい姿でありまして。
 列車のデッキまではかなりな高さでもございますし、まぁ結局乗車される方に両手を客車のデッキにかけて頂きまして殆ど自力でお乗り込み出来られます方は、それこそもうわずかな姿でございまして。
 後の大部分の方は私共でお尻を押し上げるとか、両足を支えて客車のデッキまで押し上げましたような姿でございまして。

 列車までたどり着けば絶対に助かるとのまあ強い信念でしょうか。もう列車のデッキに上がられますと、客車内の座席までご自分で足を運ぶことさえ出来られないような、お気の毒な重傷者も数々居られましたような姿でございまして。

 こうした作業の中にも殆ど動けない重傷者の方が周辺の丘から、或いは小道の方々から聞こえてまいりますその「助けてくれ!助けてくれ!」の声が随所から起こってくるのでございますが、残念な事に・・・。


 その13 音声を聞く

 私達も本当にその乗せる時にはやっぱり見ていても、もどかしい様な気もするわけですよね。だけど私達はもう機関車から降りられないわけですよ。だから機関車の中で左を見、右を見して只うろうろうろうろするだけでですね、しかしながら、あのぅ、このぅ“犬走り”と、あのう、列車のこぅ、デッキと云いますか、あれまではこんくらいまでありますですよね。
 胸くらい迄ありますもんですから、中々そのぅこうつかまってもあのう乗り切らないわけで、あのう特に負傷者がそういう風に多いもんですから、やっぱり力尽き果てた人なんかが乗るには自分の体をこう引き上げきらないわけですよ、自分で。

 だからあのう、今度は上から他の人がこう引っ張ってやろうとするけれども、こう手が皮がびやっーと剥げてしまって全然握っても力が入らないわけですねぇ。もう息絶え絶えでそこまで来た人はもうそこで倒れてしまって、そして動けないようになってしまう人もかなりあるわけです。

 そした所がそのそういう人を今度は踏み台にしてですね、結局、われ先にやっぱ乗ろうてするのはやっぱりパニックっていうのはああゆう風になるんではなかろうかと思いますよね。その声でももぅなんて言いますか泣き叫ぶどころじゃ無くて兎に角ぎゃぁーぎゃぁーって云うてね。
 ほんともぅほんとにあれ、死んでからの地獄じゃなくて生き地獄ですよね。


 その14 音声を聞く

 道ノ尾(駅)には、機関車のすぐ後には炭車があるのですね。その炭車の上でももう包帯を巻いた複数の人がもう一杯乗っとるんですよね。ほいて、列車も、もうみんなが包帯を巻いた怪我した人が乗っとるわけです。
 
 こりゃぁ、自分の家内にしろ子どもがおりゃせんじゃろかと思おたけどまず自分のうちに帰ってみようと思おて、線路***線路際にもみんなごろごろごろごろ、死骸があり包帯巻いとる人があるし、また「助けてくれ」って云う、おらびよる人《叫んでいる人》もあるし、もう人がもう線路でも通れん位に人がごろごろ転んどるわけですたいねぇ。

 それを飛び越して今の大橋の、鉄橋の処まで来たところが、鉄橋のあのう枕木が煙を出して燃えとるわけです。もう今度は橋を渡ってしようと思うたら、もぅ橋の上には郵便配達の人が、え~もう目の玉がもうだらぁと下がってですね、立ったなり死んどるわけですたいね。
 言語道断じゃと思うて、え~・・・。


 その15 音声を聞く  

  暫らくして、「おおい、汽車がきたぞぅ!」と云う声がですね、聞こえてきて。そして「汽車が来たからみんな線路からはずれなさい、よけなさい」と云ったけれどももう線路からよけきれる者ばっかしじゃないわけですよ。もう線路の上で死んだようになって長くなった者が沢山居りましてね。

 やっと、まあ「乗んなさい」という許可が出て、そいで乗ろうとした所が、何といってもそのホームからホイと汽車に乗るようにはいかないわけですね。汽車の踏み台にですね、足が上がらないわけですよ、その下からはですね、レールから。
 そいで2回ほどこの焼け爛れた胸をこすりましてね、それでもその時はまぁ痛いと感じなかったわけですけど。

 やっと、そのデッキに上がってみたわけですね。そしたらもぅ椅子ていう椅子が全部重傷者がもぅ倒れて、座ってるんじゃなくて倒れてるわけですね。そして、その、通路はもぅ泥と血だらけなんですよ。

 しばらくしたら、ぼつぼつ汽車が出始めましてね、もぅ立ってるのがとってもその耐えられないわけですね。
 そして、とうとう座ってしまったわけです。その血と泥の中にですね。 
 ところが座ってる事が今度はまた、だんだんだんだん耐えられなくなって、そしてとうとう横になったわけです。横になる時にはもう力果ててたのか顔も伏せたわけですね。

 その時私はその生ぬるい血を口の中にこうくっつけた様なそういう嫌な記憶がですね、嫌というほどまだこう頭に焼きついてるわけです。


 その16 音声を聞く

 僕が乗ったのは一番最後の車両だったと思いますよ。それはどうも、僕の記憶では貨車だったんですね。そこに寝転がってるわけですね。そして呻いてるわけで。
 半殺しにされた豚があのう貨車に詰め込まれてうなってると、ま、そういうもう、悲惨な状況だと思ったわけですけどね。

 で、しばらくたって、列車がゆっくり動き出してそしたらみんなが「水、水!」て、いうわけですね。「水、水!」とその苦しい息を振り絞って、叫んでいるわけですけれども、怪我をした人間は水をのんじゃいかんと、いうふうに云われてましたからね、だから駅員の人たちは水をくれなかったですね。

 結局、諫早に着いたんですが、諫早の駅ではもう連絡がついていて婦人会の人たちが出迎えに来とったわけですね。
 我々被爆者が駅頭に降り立つと我々を見た途端やっぱり泣き出すわけですね。 

 本当にこの世の人間と思われない悲惨な状況ですからね。血だらけだし泥だらけで、もう、まっ黒になり、真っ赤になって、それから、殆ど裸だし皮膚は剥ぎ取られていますしねぇ・・・。


 その17 音声を聞く

 それから諫早の駅にもですね、もうものすごい負傷者が、そのプラットホームから何から寝てると。
 ほいで私はまぁ、衛生兵を一人連れてそいで、長崎から行って諫早で待ってたんですけども、もぅプラットホームの上にですね、ほとんどまぁ、殆ど火傷ですがね、火傷をした人間がまだ生きてて呻いてるわけですよ。

 ところがねこれが又、おかしなもんでね、私がその軍医ですからね、あっこれは火傷による脱水だという事がいっぺんで分かったわけですよ。私は大声をたてましてね、「この連中に水を飲ましてやれ!」って云ったんですがねぇ。

 ところが、この命令がですね何分か経ちますとね、負傷者には水を飲ましちゃいかんと云う、その迷信が日本人の間にありましてね、いつの間にか水を飲ませなくなちゃうんですよ。
 ま、夏の炎天ぇ、結局、まぁ早く言えば民衆の迷信が殺しましたね。

 その時にですね、水はもうじゃんじゃん方々で出ておりますでしょうが、小川の水だっていいんですから。
 そういうものをそのどんどんどんどん飲ませてやればですね、私なんか相当助かったんじゃないかと思いますけど。

 私がいくら声を大きくして叫んでみましても、これがその末端の方に行きますとねえ負傷者には火傷の患者には水を飲ましちゃいかん、重傷者には水を飲ましちゃいかんと、いう様な事に変わってってですね、わずか私の周りの数人が水を飲むだけで、後は水を飲めという命令が伝わらない・・・。


 その18 音声を聞く

 暑い夏だから、シャツ一枚しか着とらんでしょうが、パンツ一枚でしょうが。みんなそれがぼろぼろに千切れて破れとるんですよ。ねぇ。それでもう、全くそのぅ、全裸のもんもおりました。そらもぅとてもそのなんちゅうて云うか形容する言葉はその悲惨な状態は無かったわけですね。

 でも、しかし急いで収容しないと死んでしましますからね。それをそのこんだあ、うだいたり《抱いたり》あるいは抱えたり、或いはしょったり、或いは担架に乗したり、戸板に乗したり或いはトラックに乗したりで、あのう駅の付近にある仮設の海軍病院にまず入れると。

 それで足らないから今度は中学校にも女学校にもそれから小学校が三つありましたから、三つと。それから農事試験場とかそれから武徳殿(ぶどくでん)とか、もうそういう所へつぎつぎつぎにこの、収容するわけですね。

 ところがそういうようなその大きないわゆるケロイド、糜爛しとるんですからね。その苦しみようとしたもんがそらもう、うんうん呻って見ても聞いてもいられんですよね。ね。

 そいでこんどその収容するその海軍病院でも仮設病院でも学校でもそのどこでもですね、お布団も無ければ何も無いでしょ。
 だから、古むしろとかね或いは茣蓙とかね、そういう物を敷いてそれにその被爆してね、火傷を負ってる人を収容して寝せるわけですよ。寝てもね、寝られないですよ、痛くって。
 だからね、両手と両足をね犬の様にこうしてね、揃えて、そしてうんうん唸るんですよ。

 そして今度はその~、その人達がですね、あのう乾きを訴えるんですよね。水を、水を云うわけでしょうが。ところが水をね、その要求通りやるとすぐ死ぬという事でですね、ほんのこの唾をね、まあその筆か脱脂綿でね、この浸してやる程度の水しか与えてやれなかったと。
 そうする内にやっぱりその、2、3時間なり、長い人で10時間位してもう次々次々に死んでいくわけですね。

 諫早第一小学校に収容している男の40位の人でしたがね、その人がその収容所から這い出してね、これはね、水を飲みたさにですよ、と思いましたね。
 そいでその裏に小さな小川があったんですが、そこに行ってね、死んでいましたね。それはその水を求めてね、這い出して行って、そしで死んだ状態でしたがね。兎に角悲惨な状態で・・。


 その19 音声を聞く

 第一便のそのトラックが入って来た時にね、これで戦争は終わったなと思いましたよ。
 これだけ人間を痛めつけた武器があってね、これを尚続行しようと云う軍部があるなら、これはもう気狂いだと。

 大部分の者はまぁ、頭の毛が全部こう焼け縮れてね、そして勿論着物はぼろぼろ。血にまみれて、みんな火傷してるわけですね。露出部分に、火傷している部分なんかに、ガラスの破片とか木の破片、あるいは鉄片、そういうものが突き刺さっているわけです。

 今はね、ああいう塀が少なくなったけど、よくあのう塀の上にねビール瓶などガラスをこぅ割った物を泥棒除けにつけてるのがあるでしょ、あれですよ。あれが人間の体におきてるわけですね。
 肺の中にガラス片が沢山飛び込んでてね、聴診器あてなくてもね、呼吸する度にジリジリ、ジャリジャリって、その、ガラス片がぶつかり合う音がね、そういう患者さんが沢山いましたよね。

 耳そのものを胸に付けてね、そいであのう心音を聞いたりして、心臓が動いてんのかどうかそういう事を区分けしながらやってったわけですけどね。

 例えば、軽い木の枝とか葉っぱなんてものは、相当爆風を与えてもね、それが突き刺さるって事は一寸考えられないでしょ。
 それがあのう小枝のような物が頭蓋骨を突き刺してね、婦人のほら、あのう、装飾品みたいに髪の上へぽーんとそれが突き刺さってるなんていうような異常な事があってね。

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