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長崎の被爆者の声(2) (5枚目のCDの31から44まで)

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kousei

通常 長崎の被爆者の声(2) (5枚目のCDの31から44まで)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 10:49
kousei  管理人   投稿数: 4
 
その31 音声を聞く

 大橋が自分の家だから、その電車通の方出てみると、もうとてもその道を行けるような状態でないと。
 それから山越でね、その浦上通って大橋行くより他に方法ないと、いうことで、山へその登ったんですよ。

 そしたらもうその一生懸命山を登ったけども力尽きてですね、細い道に倒れて、そしてその、「水くれ」「水くれと」、人が通るとそお言うてその叫んでおる。
 或いは足にそのあの抱きついて、連れて行ってくれちゅうのがだいぶありました。

 あの、***と、あのうそこらに行くと異様なその風景でね、松ノ木が、まあそら山ですからある。
 その松ノ木がね、地上からまあⅠメーター位上った所から、ポッキとその引き抜かれて飛んでっとるっすな。
 ですから根は そのあの 地の中に植わって、そいてⅠメーターから上のとこは、まあ余程の力持ちがその上と下とを持ってひっぱってですね、引き抜いたと。

 これ見てね吃驚してですな。どうしてこんなことそのなったか、全然その、こっちでは判断つかん、それから。


その32 音声を聞く

 被爆者の人々と山道で出会い、人間とは思われぬほどの痛ましい有様を、
 励ましの言葉をかけて走り続け、次々と敵機が上空に来る時は畑の中に打ち伏せて、敵機が去ればまた走り、
 やっと、浦上神学校に着いた時は何人かの子供や女子の死体が横たわり、いずれも火傷の死体ばかり、
 その時はすでに浦上刑務所の森が、しかも樫の大木が盛んに燃える、燃えていましたが、ここまで来た以上。


その33 音声を聞く

 その丘のところで髪を蓬のように振り乱して、近くの平山さんが居られました。
「今日は誰も助かったもの居らんとですよ。」
「おたくのお父さんも庭で何かごそごそしておられたし、奥さんも昼時でおうちだったろうし、妹さんは大学病院に」
(影浦内科に居たんですけれども)、
「大学病院だったし、恐らく駄目でしょう」と言うお話を聴いた時に、私はヘナヘナと座り込んでしまいました。

 で、その時に私は旧約聖書にあるヨブの言葉を思い出して、口ずさんでおりました。

『主、すべてのものを与え、主、すべてのものを取り去り給う。その主の名は何時までもたたえられます様に』
と言う祈りを私も真似てしておりました。

 アベマリアというマリアにささげる祈りがあるんですが、それを1回したか、2回したか、それが終わった、と思ったその時に、私はすっくりと立っておりました。
 今まで抜き取られておった背骨がぐっと差し込まれたような気持ちがしたのです。


その34 音声を聞く

 もう生きるっちゅ望みはもう無かったですもん。こいでもう、人生は終わるっと言う様な感じ方でなかったっでしょうか、その時は。
 えぇ、やっぱりあの、カトリック的な教育もあり、もありますから、はぁ、もう、こいで、行く所に行けるんじゃなかかーちゅうような、ほんとにもう、その、おじの悲惨な姿して、帰りがけにチラッと見たその記憶の中に残ったような、その無残な姿を見てですね、世の終わりって言う様な感じ方ですね。

 普通は祈りもします。まあ毎日朝晩の祈りね。そりゃあ、しますけれども、その時は祈りする気力もありませんでした。もう祈りもなんにも忘れました。

 父が「祈りばしゅうでーっ」て言うてくれたです。はい。
で、「天にましまーす」、までは言うわけですね、もうその先は、なんじゃあ、「あそかぁ燃えよった」とか***祈りにならんです。なりませんでした。ほんとに。
 人間じゃなかったですね、ほんとに。牛や馬と一緒、と私は。


その35 音声を聞く
 
 その防空壕に入ろうとした時にね、ひょっと見るとほとんどのね、人達がね火傷してる、ねえ。背中がべらっと剥げた外国人、肩のところ火傷した 外国人、腕 火傷した外国人、もう水泡がね、ばあっとでてるのねぇ、どうしてこんな火傷したとやろかなんてね、思ったりして、うちにどんどん中に「ドーゾ」「ドーゾ」、日本語知ってるんですよ。

 「ドーゾ」「ドーゾ」って言われましてね。防空壕に入っていきますとね、ずーっと両脇に、あのう捕虜達は座り、怪我した捕虜達は表に居たんですねぇ。で、中に居た捕虜達も何人か火傷していたみたいですね。

 防空壕の入り口の所に真っ黒焦げになった人が蹲ってて、「うんうん水がほしか、水がほしか」って言ってる、「あれっ、魚屋のおばちゃんじゃなかと」って言ったら、「ふぅーん」、「ああっ、僕はわたなべのつかさよ」ったら、「ああ、つかちゃんか、あの 水のほしかとさね」
 「水はなかばい」、ああそう、友達が持ってくれていたあの冬瓜をね、割って小さく割ってから、「おばちゃん、こうこれをしゃぶってごらん」、口に持っていってやった。

 そしたらちゅちゅちゅって吸ってたんですね、「はあ、美味しかったー」 で、それで終わりだったですね。
「おばちゃん、おばちゃん」と言ったけれど、もうあとは何も言ってくれませんでした。


その36 音声を聞く

 女の人が、あのう、よろよろ倒れながら来ました。
 どぶ川にですね。どぶ川に来てですね、その方がちょうどあのう 口のここからですね、耳のここまでこう、もう柘榴のように割れてるんですよね。そしてもうなんかもうグドグド、グドグド血が出ていますからですね。
 だけども私達も何にも持たないしですね、それをこう介抱するっていうことも出来ないし。
そしたら、「赤ちゃんを忘れた」とおっしゃるわけですよね、その方が。

 「今から」その「見つけに行く」っておっしゃったわけです。それであの、もう燃えてるからですね、あの、「行っても駄目」て言うてでも、やっぱり、あのう「行く」ていうてきかれないわけですよね。
 そいでもうどぶ川につかってるし、足はぬかってるしですね、身体はそんなふうだし、もう随分お止めしましたけども、よろよろよろよろしながらですね、あのう行かれましたけどですね。

 結局、もう、その時もうほんともう、誰が可愛いてゆっても、もう、自分っていうことだけだなあーと思ってですね。
 もう人間のもう孤独て言うのか、もう嫌って言うほどですね、そこでもうあのー、考えさせられました。
 結局、自分っていうことが一番で、二番目に子供ていう風になるんだな~っていうこと。


その37 音声を聞く

 防空壕の中はもう焼け爛れた人が、い~っぱいですよね。そんでもう、目は飛び出ているは、舌は出てるは、はらわたはもう、ぐしゃぐしゃになってね、飛び出てるわ、腸は出てるわの人たちが、沢山入っているわけ。
 「たー坊、たー坊」ちゅう探すのですけど、たー坊はいないわけです。
 ほしたら、うんうんうなっているわけですね、畳の下敷きになって。そのうえにもう大きな人たちがみんな座ってるわけですよ。

 「わあっ、この下に、子供が居るからのけてください、のけてください」と言って頼むんですけどね、もうその人達ももう全然動ききらないわけね。
 もう火傷した人とか、目は飛び出てるわ、髪の毛はもう全然ない人たちばっかりですから。んでもう、のけきらないのを、やっと もうのけてもらって、引っ張り出した時、もう死んでいるんじゃあないかーと思うぐらいですね。

 その子はもうぺっちゃんこになってたわけですよ。それでその防空壕の中はもうその死骸と、それから焼け爛れた人達と、もう男か女か全然分かんないですね、真っ裸になっている人達なんか、へしあいひしあい、身動き出来ないわけですよ。
 そうすると日が暮れてくる。その防空壕の中も真っ暗 すみですよね、分かんない誰が誰やら。
 兎に角外に出なきゃ、も、なんか焼け焦げた臭いと、もうその生くさい血と、の臭いでですね、防空壕の中はもうむんむんしているわけ。
 それでやっと兎に角外に出なきゃ、新しい空気を吸わなきゃいけんので、一人づつみんな抱えてもらってですね、外に出してもらった。

 いったん外に出ると、もう、商業学校がぼんぼん燃えているわけですよ、昼間みたいに。ほんで燃えてるもんだから、この灯かりであたし達の様子がよく分かるんですよね。
 あのう大きな音たてて飛行機がもう頭すれすれに下りてくるわけですよ。で、バラバラバラバラって撃っていくものだから、今度は死骸の下に入り込むわけですよ。
 死体の、死骸の下に入り込んでもう息を殺してじーっとしとくわけですね。ほいで飛行機の音がなくなるとまた、その死体からのこのこ這い出してくるわけ。


その38 音声を聞く

 その間にですね、もうまあ、あらゆるその死体が転がってるんですね。女の人と小さい子供を連れたりなんかした人がね、山となしてこう、列をなしてですね、皆死んでます。
 そうゆう姿とか、半焼けになってですね、下半分は骨になって、上半分だけ焼け爛れて残ってる、姿とか、上半分がのけて下だけが残ってる人もあるしですね、もうそうゆう姿を見たらですね、もういよいよ私の頭の中、変になってしまってですね、もう涙一滴でる感じはなかったですね。

 その8月あれは9日の晩だったと、夕方だと思いますね、兎に角、出来るだけ火葬しようと、その辺の学校の倒れたようなあのう柱なんか皆集めまして、井桁と言うて井の字型にづっと並べてですね、で、ぼろに油をしめしてですね、それに火をつけて点火すると、火葬する、一番人間の身体で燃えにくいのはね、この胸の肋骨の中ですね、それから頭蓋骨、ここが一番燃えにくいですね。
 少なくとも2時間以上かかるですね。


その39 音声を聞く

 皆もう、座り込んで、おじさん水くれ、水くれって言うけれども、えー医者に水やったらどうですかって、言うたら、水やったら駄目。絶対死ぬるから、水やんなって、こう言うけえまあ、まあよし、後から水やるから、頑張っときなさいと言うて、まあ激励はしておるけれども、手を合わして、もうおじさん死んでもいいから、あの水くれとこう言うもんじゃから、で、医者にどうしましょうか?ていうて、もうそんならやんなさいと。

 何にもその入れもんがないもんやけ、手にすくうて来て、そいで飲ますと、ごろごろと言うては、もう、かたっと死ぬるですね。もう、一人一人がもうその飲ましたら、もう死んでしまうんです。
 そいけ飲んだら死ぬるから、今このように死ぬるから、飲みなさんなと言うても、もう焼ける様にあると、喉がですね。もう死んでもいいから水下さいと、もう堪えきらんと。
 こう言うもんじゃから私もいちいち医者に聞くちゅうのもあれやもんやからもう、可哀そうなと思うてですね、えー、手のはらへ、こうすくうて来ちゃ飲ましてやる。ほしたらごろごろと言うてもうひっくり返ったらもうそれまで。

 もうそれがもうえーも何十人やら分からんすよ。そいけその今の横穴の防空壕に50人か入れんやつが50人や100人じゃないですよ。みんな、その、積み重なって入っとるわけですたいね、そいけあいにゃもう殺してくれとおらぶものもありゃあ、悲壮な声を上げてですね、医者にそのなんとかその注射でもしちゃってくれ言うけれども、おら応急手当の処置がないちゅうですもんね、もうあくる朝起きてみりゃあ、ほとんどが死んしもうとるんですね。


その40 音声を聞く

 ほとんどの人が火傷と、それからあの小石とかねガラスが突き刺さったりね、木の枝が刺さったりした人達がほとんどでしたね。
 一番多いのはもちろん火傷が一番多かったんですが、そうしてたまにですね、あっちこっちから水、水、水を下さい、ちゅうような声が聞こえてくる。その頃はねまだ放射能の障害とか、放射能でやられてるということは全く誰も知らなかった時の話です。何故にそういう無気力状態になっておったのかという理由は、ああ全然私達は分かりませんでしたね。

 先ず救急手当てだけを次々しましてね、ところがまあ、なかに看護婦さんがね、どの人が死んでて、どの人が生きとるか分かりませんよと言うんですよ。
 だからそいじゃもう一応ね、こう目をね見て瞳孔が開いておったらもう亡くなっている人だから、瞳孔反応がある人はもう兎に角出来るだけの手当てを治療をしてあげよう、と言うことで、応急手当をいたしましてね。


その41 音声を聞く

 夜もずっとアメリカの飛行機が来て、照明弾を落とすんです。 そしたらもう焼け跡がもう、ばーっと明るくなって火の海が見えるわけですねぇ。浦上天主堂もめらめら燃えてるし、今焼けてるんだろうかねぇて思ったり、家族がですね。


その42 音声を聞く

 そこで駅前に来たところがもうそれこそ自分の子を、その頃の中等学校、高校はですね、高校はこっちの浦上の方にあったのは、今の西高の前身の瓊浦高校、鎮西(学院)高校、商業、工業、純心、なんだかんだと沢山ありましたもんね。で、そこにその子供をやってる子供の親がですね、自分の子供の安否を気遣ってもう長崎辺、駅の向うは行けんもんだからそこにもう、もう何千人という自分の子を探してくる親が一杯あって、泣いたり、わめいたり、しょる訳ですたい。

 また、そこに行けば同じ年代ですから、もう、自分の子の名前をいって飛びつく訳ですね、私達に。あそこに恐らく、2000人や3000人は居ったんでしょうよ。その子供を、自分の子供を浦上方面の学校にやっていた、または学徒動員で三菱製鋼所とか「兵器」とか、そういうふうな所へ学徒動員で自分の子をやっていた親が自分の子の安否を気遣って、兎に角もう、もう自分は火傷して血はだらだら出たり、真っ裸で、あっちもこっちもしとっとに、自分の子供の名前をぴーぴーぴーぴーおめてですね、もう気違いみたいになってたですね。

 もう駅前で死んだ人がうようよおって、それを踏んだり、蹴ったりして、そのなんともなくして、も、群がったですもんね。私達の年代の人が通りますと、もうわーっと来っとですもん。その自分の子供の名前を呼んでですね、、、


その43 音声を聞く

 下をすぐ砲台山は中腹にありますからね、づっと見渡すと、どんどんどんどん火が燃え移ってきて、どんどんどんどん、どんどんどんどんとあっちもこっちも、あっちもこっちも燃えてしまう。銭座小学校からはもうコンクリートの建物だったですけれども、教室がどんどん焼けて燃えて、その赤い火が窓からずっとこのあたり一面を照らすような形で燃えてしまう。ええ、周囲はもうほとんどの所はもう、そういう火で燃えてしまう。丁度もう、浦上一帯がその釜の下でこの薪を燃やしとるようなですね。

 そうゆう状況ですね、あっちもこっちも、あっちもこっちも、そして一斉に、だーっともう浦上一帯が焼けていると、こうゆう状況の様でしたですね。

 夜中になるに従って、どんどんどんどんあっちも、竹の久保も、浦上も、山里も、城山もちゅうようにですね、え、どんどんもう燃えてしまうと。あと、残っているのは所謂、浦上川をはさんだですね、三菱製鋼とかあの辺の近くの工場がですね、燃えずにそのまま残ってると。

 砲台山に来る、来た人達は兵隊さん達も居りましたし、一般の人達も居られましたけれども、ほとんどがもう傷を負いましてね、もう、うんうんうんうん、うなっておられると。生き残っている者はこれだけじゃないかと、そういう気持ちですね。
 もう日本全部がもうなくなってしまったのではないかと。


その44 音声を聞く

 そうですね、6人か7人と思います。もうその時はもう、ぶんぶんぶんぶん音がしますもんですから、もう、そのたんびにもう、軒の方に片寄ったり、も、防空壕の中に入ったりしてですね、もう焼ける長崎を見てもう、も、ずっと泣きどうしで帰りましたとですよね、もう。

 ずっと育った所ですからね。それがもう異様な臭いでですね。馬が焼ける、人が焼けるねぇ。もうほんと今思い出したらほんとあの、食事もしたくないような、まだわかります、情景が。真っ赤にねぇ、あの焼ける長崎を見ても振り返り振り返り、ずっと母の居る所に帰った・・・・

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