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長崎の被爆者の声(2) (5枚目のCD)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2006/7/14 0:38
kousei  管理人   投稿数: 4
 
このCDは9枚組の5枚目で、長崎の被爆者の声(2)が記録されています。これには44の音声記録が収められていて、それらのテキスト化されたものがここにはアップされています(便宜上10記録毎に分割されてアップされています)。どのような内容の記録かを示すために途中に以下のような伊藤明彦氏の短いコメントが入っています。参考にされると便利です。各記録の音声は「音声を聞く」をクリックすれば聞けるようになっています。もしテキストに脱落や誤りを発見された場合は、「感想の部屋」からお知らせいただくと幸甚です。
  


同じ時刻、シロヤマ国民学校など、爆心地の西側 (その1)

この日、午後1時前を最初に、長崎市の北側から爆心地へ乗り入れてきた4本の国鉄救援列車を巡る動き (その11) 

爆心地の南側、国鉄長崎駅とその周辺、及び、旧市内地区 (その20)

午後から夕刻にかけて、旧市内地区から爆心地へ向かう動き (その26)



なお、テキスト化された記録を読むには、

1)CD1枚分の全てを一望するには、「フラット表示」で読むことをお奨めします。見ている画面の左上の「フラット表示」をクリックすると「スレッド表示」から「フラット表示」に変わります。

2)記録のスレッド(コメントツリー)は時間的に降順になっています(下から上です)。これを昇順(上から下)にして読みたい場合は、「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」のメインメニューの下部の「ソート順」で「降順」を「昇順」に変更して送信を押してください。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 10:40
kousei  管理人   投稿数: 4
  
その1 音声を聞く

同じ時刻、城山国民学校など爆心地の西側


その2 音声を聞く

 窓の外から見たら窓の外はそう、ほんと黄色い煙でもうなぁんにもにも見えないんです。ほんでもうこれはどうなってるんかと思ってですね、急いで廊下をもう滅茶苦茶になっている所を外に出て行ったらですね、校門のあの一抱えもある様な大きな門、コンクリートの門柱がですね、入れ歯を抜いたようにして 泥をつけたままこっちの校舎側の方に吹っ飛んでるんですよね,二本ともね。

 それから栴檀の木や桜の木がみーんなもう校舎の方に向いて倒れてしまってるんですよ。又保健室に行ったわけですよね。ほって今度はあの窓から又自分の家を見た時はもう火の海なんです。
 出るときに見た時はその紅塵に包まれていた城山の町がですね、校門まで行って帰ってから見た時は全部もう何処まで続くかわからん様にもう真っ赤になってメラメラメラメラ燃えてるですね。

 で、それを見た途端に今度はもう行きも帰りも出来ないで階段下で蹲ってしまったわけ。


その3 音声を聞く

 運動場の真ん中、トラックだけ残しまして真ん中はあのう芋畑にしておって、先生方が一生懸命になって作っておったんです。 その芋のつるはわずか残って居りましたけど葉っぱは殆ど吹き飛んでしまっており、それから学校の後ろのあのう大きな、あの、人間が二人だき抱えるようなむくの木とか、いろんな木が椎の木とかがあったんですが。

 そういう木も殆ど微塵にやられて、Ⅰメートルの所から吹き飛んだり、或いは根から吹き飛んだりして、もう倒れてるというよりむしろ吹き飛んでると、しかもそれがコンクリート校舎の後ろなんですけど。
 その脇の方に職員室の後ろに木造の校舎があったんです、三教室。それなどはまぁ倒れてると云うよりも、柱も何もバラバラになって飛んでいたようです。

 そういう事を見ながらも もう何も感情も、やられたなぁ校舎もやられてるな~と思いながら、運動場にその亡くなっている人沢山あったのを、沢山報国隊の人たちがやられたなぁと云うぐらいの気持ちで、平素ならばこれはもう、非常に衝撃を受けると思うんですが、そうゆう気持ちで防空壕の所にいました。


その4 音声を聞く

 私の家の前に行ったところが、驚く事にはもう沢山な人が私の前で死んどるわけですねぇ。そいで家族の者の名前を呼んでみたけれども返事が無いわけです。その内に私の家に火が付いて、うーん、その燃え出したわけですね。

 ところがその時は西風が非常に強くて、私が東の方に立っておったからもう熱くて熱くて立っておられないわけです。こりゃもう一応待避しなければ自分が焼け死んでしまうと云う、まあ、事でですね、城山川を渡ったところがその渡った所の家の中から「杉本さん、助けてくれ!杉本さん、助けてくれ!」とこう云うわけですね。

 そんでもう、その体も頭も見えとるけれども家の下敷きですからもう、その、自分の力ではどうてされんわけですね。
「すぐ警防団員をあのう救護にやるから我慢して頑張っといてくれよ」と云うて、今度は城山小の方に行ったわけですよね。
 そいでみたところが城山の小学校の校庭は、もう死人と怪我人の山ですね。


その5 音声を聞く
 
 竹やぶですからね。それでその道路の向こうに家があったのがぽっという様な瞬間的に火が、何処と無くぼって付いたですね。ほいで、見る見る中に全焼してしまったんですよ。

 うわあっ、こいつは何だろうなぁちゅう様な 全然分からんもんですからね、当時。
 それでその、空を見たらですね、もう、青空やったのが真っ黒で、ぎんぎらぎんのゴミとか何とか飛んでですね、どんどんどんどんしてもう、そしたらその~、雨粒が落ちて来たんです。
 まぁ泥の雨ですね。あれが竹やぶの、崩して、ざーっとしてから雨が降り出したんですよね。

 そしてしとったら、その下の方からもう裸で焼け爛れたりしてね、あのぅ男の人が走って来とるんですよ。
 あれっと思うて「どうしたですか?」ちゅうたら、もう虫の息ですね。「やられたっ」ちゅうよりも、もう次から次にもう怪我した人とかがですね、もう兎に角爛れた人がどんどんどんどん走って上がって来とるんですよ。

 それでその防空壕があったんですけど、そこに我々はもう駆込んでですね、あのう逃げてずーとその町内の人から皆んなそこに来てたけど、もう来とったちゅうが殆ど焼かれたですね、もう爛れて血が出たり、そんな方ばっかりなんですよ。


その6 音声を聞く
 
 あぁた、これからあぁた、挟まってですね、でもまだ自分生きとりますよ、こうしてこうしとるでしょうが。
 「あんた、何しよるんのね、そういう所で?」って、「さっさ出らんね!」ったら「出られん」って。「何して出られんの、その位のこと?」ってちゅたらね、「腰挟まれて出られん」

 そんからもうああた、火がどおぅと回って来とうでしょ。そんで、「おばさん」って、「私、一人じゃどうも出来ん」てね、「堪えとって、すまんね」て。
 「私、ほんと約束してあんたを出さんのは困る、あのうほんとすまんやったてね、堪えとって」言うてからね。
 ほして私はね「もう火がまわってきたよ、おばさん」って「ごめんね、ごめんね。」言うてね。

 ほして私はねあのぅ念仏唱えてね「おばさん、念仏唱えときなさいよ」言うてね、「苦しかろうけど、ごめんね。」言うて、そいで私はねその時に・・・。


その7 音声を聞く

 中に居るばってん、助けきらんとやもんな。自分の身が危なかもん。
 ほいでもやっぱだいぶ助けたですよ。物で押されて手きらんとらんかな。

 ほいで出すでしょ。握ぎるでしょ、手ば。「しっかりせぇ」ちゅうて。ここにひっつくとやもんな。こうしてもう。りっぱしとるごとあるばってんな、ぜぇーんぶ。
 そいでもう触ればさわったとこ全部皮剥けてしまいよる。もう丸裸やもん。男も女も。

 ほんでもう見るに見かねて何かそこにあったもん、板でもなんでも、そう、ここだけはな隠してやって。もうこっちが根気負けしたもんな。一人や二人なら話もわかる、あれだけの人間やからもう、足の踏み先ももう無かくらいにあっちゃんもんな。
 うめくとだけ助けてあんた、後はもうどうしようもなかっちゃもんな。腸なんか出とる目は出とる、ぶら下っとる。

 もう夜道は歩けば、あんたどうか知らんですばってん蛙の太かとの《大きいのが》おるでしょうが。あれを踏むとぶくってするでしょ。
 あんなみたいにずうっと死体を踏まなあんた通られんとやもん、もう呻くとはうめく、助けてくれゆうて、まあそのう水飲みたかちゅうとも居るしな。


その8 音声を聞く

 あんな火傷っていうのは、私もそれまで見た事ありませんでしたね。
 兎に角皮膚がね、約1センチ位の厚さと云いますかねぇ、ぼろんとおっこっちゃうんですねぇ。結局中に真っ赤な肉が出てきてるんですね。それももう血管が走しっとるその状態がもろに見えると。

 左側に回ると左側は何でも無いと。ですから身体半面やられた人もいるし、後ろからやられた人もいる。その受けた状態の立場に応じてですね、色々な角度の罹災者がいたわけですね。それが全て火傷なんですよ。それはおそらく戸外に居た人たちと思うんですね。

 そういう人達がですね、結局手当てして貰えないわけですよ。手当てする方法がわかんないような状態ですねもう医者たちが。只火傷にマーキュロを塗ってるんですから・・・。
 綿も無きゃ何にも無いで時代すからね。それをつけるとこんどはそれからじゅくじゅくじゅくじゅく、まぁいっぺんでぐしゃぐしゃになっちまいますわね。もの凄い悪臭を放ちますしね。
 
 それがね、さあ5人や10人でしたら話はわかるんです。校庭いっぱいですからね。何百人いたでしょう。もう一寸言葉では言い尽くせませんねぇ。


その9 音声を聞く

 私は、もう真っ黒にあのう、焦げてましたのでね、ほないしてここ、ここがこう真っ黒焦げて、これがもう身がぶらぁんと下がっているですよ。

 汚れて真っ黒じゃ無いんですよ。その焦がれて真っ黒なんですよ。ぷらぁんと下がっているんですよ。その下がっているのも真っ黒なんですよね。その走るごとにぽとぽとぽとぽと揺れるわけですよ。その臓器みたいなんか肉みたいなんか知らないけどね、分からないんですよ、その時にはもうね。

 熱いて言うのんかな、痛いっていうのんかな、痺れっていうの分からないですよね。まあそのう半分痺れているんですね、只皮がぶら下がっていると言うだけの事ですよ。ほしてもうみなそれ肉のこう、長崎弁で「つんぎった」って云うですけどね、取ちゃってもぎとっちゃって捨てて。

 そしたらあの薬をバケツに入れて持って来たんですよ。真っ白い薬をね。匙がねおたまですよ。
 で、足の利く人は自分で付けなさいちゅうわけですよ。で、それを手の平に貰って「つけなさい」って貰うもんだから貰うこたぁ貰ったけど、そのやれないんですよ、自分ではとても。
 付けることは付けたんですけどね。

 で今度は足を見て見ますとね、足もやはりそんなんしてぶら下がっているんですよ。足はここからこうでですけどね、まぁお恥ずかしいんですけどね。


その10 音声を聞く

 女の子がね、此処にね、頭蓋骨とね、ここにあのぅ杉板がね、入っとるんですよ、杉板がね。こんなに。
 で「取ってくれ」って云うんだ、僕にね。
 これ取ったらこれ血が出るし、僕は薬もなにも無いし、「山にね治療班が居るはずだから、向こうに行ってくれないか」と。
 それをさぁ、「今取れないね」って、「これ取ったらね痛くなるから、向こう行ってくれ」っと、兎に角頼むから向こうに行ってくれと。

 それからねおっさんがここやられたというんや、目と鼻のこれ、これ位入るくらいかな、そしたらね、タオルでね、こう包帯巻いてくれって云うんだよ。そすと巻いたらね、「目が見えない」って云うんだなぁ。勿論見えない筈だね。これやったらね。

 それからそこの隣のね、そのう幼稚園がね、つぶされとるんですよね、焼けては無いけど。で、学校の先生がね、一生懸命のこぎりでやっとんだよ。
 「先生何やっとるんですか」 
 「ここに生徒が沢山入っとる」ちゅうんだよ。じゃあ、これ助けるのは助けるんだけど、のこぎり一本でどうにもならないんだよね。

 その当時あのう学徒動員というのが居りましたね。あのう、女の人達沢山きてたよね。これがね、あのぅ、田の縁にね、もうずらーと全部死んどるん、全部。全部死んだ。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 10:42
kousei  管理人   投稿数: 4
 
その11  音声を聞く

この日午後1時前を最初に長崎市の北側から爆心地へ乗り入れて来た4本の国鉄救援列車をめぐる動き

 
 その12 音声を聞く 

 機関車乗務員と相談を致し、線路の点検もろくに出来ないままに、私が機関車の先頭に立ちまして列車を誘導し、汽笛を高らかに吹鳴して貰いながら浦上の方面に列車を進めましたような次第でございます。

 西町の踏切の手前で列車を止めたわけでございますが、この地点ではもう沢山の負傷者の方がたむろされて居られまして、「助けて!助けて!」この悲痛な叫びがどうする事も出来ない痛々しい姿でありまして。
 列車のデッキまではかなりな高さでもございますし、まぁ結局乗車される方に両手を客車のデッキにかけて頂きまして殆ど自力でお乗り込み出来られます方は、それこそもうわずかな姿でございまして。
 後の大部分の方は私共でお尻を押し上げるとか、両足を支えて客車のデッキまで押し上げましたような姿でございまして。

 列車までたどり着けば絶対に助かるとのまあ強い信念でしょうか。もう列車のデッキに上がられますと、客車内の座席までご自分で足を運ぶことさえ出来られないような、お気の毒な重傷者も数々居られましたような姿でございまして。

 こうした作業の中にも殆ど動けない重傷者の方が周辺の丘から、或いは小道の方々から聞こえてまいりますその「助けてくれ!助けてくれ!」の声が随所から起こってくるのでございますが、残念な事に・・・。


 その13 音声を聞く

 私達も本当にその乗せる時にはやっぱり見ていても、もどかしい様な気もするわけですよね。だけど私達はもう機関車から降りられないわけですよ。だから機関車の中で左を見、右を見して只うろうろうろうろするだけでですね、しかしながら、あのぅ、このぅ“犬走り”と、あのう、列車のこぅ、デッキと云いますか、あれまではこんくらいまでありますですよね。
 胸くらい迄ありますもんですから、中々そのぅこうつかまってもあのう乗り切らないわけで、あのう特に負傷者がそういう風に多いもんですから、やっぱり力尽き果てた人なんかが乗るには自分の体をこう引き上げきらないわけですよ、自分で。

 だからあのう、今度は上から他の人がこう引っ張ってやろうとするけれども、こう手が皮がびやっーと剥げてしまって全然握っても力が入らないわけですねぇ。もう息絶え絶えでそこまで来た人はもうそこで倒れてしまって、そして動けないようになってしまう人もかなりあるわけです。

 そした所がそのそういう人を今度は踏み台にしてですね、結局、われ先にやっぱ乗ろうてするのはやっぱりパニックっていうのはああゆう風になるんではなかろうかと思いますよね。その声でももぅなんて言いますか泣き叫ぶどころじゃ無くて兎に角ぎゃぁーぎゃぁーって云うてね。
 ほんともぅほんとにあれ、死んでからの地獄じゃなくて生き地獄ですよね。


 その14 音声を聞く

 道ノ尾(駅)には、機関車のすぐ後には炭車があるのですね。その炭車の上でももう包帯を巻いた複数の人がもう一杯乗っとるんですよね。ほいて、列車も、もうみんなが包帯を巻いた怪我した人が乗っとるわけです。
 
 こりゃぁ、自分の家内にしろ子どもがおりゃせんじゃろかと思おたけどまず自分のうちに帰ってみようと思おて、線路***線路際にもみんなごろごろごろごろ、死骸があり包帯巻いとる人があるし、また「助けてくれ」って云う、おらびよる人《叫んでいる人》もあるし、もう人がもう線路でも通れん位に人がごろごろ転んどるわけですたいねぇ。

 それを飛び越して今の大橋の、鉄橋の処まで来たところが、鉄橋のあのう枕木が煙を出して燃えとるわけです。もう今度は橋を渡ってしようと思うたら、もぅ橋の上には郵便配達の人が、え~もう目の玉がもうだらぁと下がってですね、立ったなり死んどるわけですたいね。
 言語道断じゃと思うて、え~・・・。


 その15 音声を聞く  

  暫らくして、「おおい、汽車がきたぞぅ!」と云う声がですね、聞こえてきて。そして「汽車が来たからみんな線路からはずれなさい、よけなさい」と云ったけれどももう線路からよけきれる者ばっかしじゃないわけですよ。もう線路の上で死んだようになって長くなった者が沢山居りましてね。

 やっと、まあ「乗んなさい」という許可が出て、そいで乗ろうとした所が、何といってもそのホームからホイと汽車に乗るようにはいかないわけですね。汽車の踏み台にですね、足が上がらないわけですよ、その下からはですね、レールから。
 そいで2回ほどこの焼け爛れた胸をこすりましてね、それでもその時はまぁ痛いと感じなかったわけですけど。

 やっと、そのデッキに上がってみたわけですね。そしたらもぅ椅子ていう椅子が全部重傷者がもぅ倒れて、座ってるんじゃなくて倒れてるわけですね。そして、その、通路はもぅ泥と血だらけなんですよ。

 しばらくしたら、ぼつぼつ汽車が出始めましてね、もぅ立ってるのがとってもその耐えられないわけですね。
 そして、とうとう座ってしまったわけです。その血と泥の中にですね。 
 ところが座ってる事が今度はまた、だんだんだんだん耐えられなくなって、そしてとうとう横になったわけです。横になる時にはもう力果ててたのか顔も伏せたわけですね。

 その時私はその生ぬるい血を口の中にこうくっつけた様なそういう嫌な記憶がですね、嫌というほどまだこう頭に焼きついてるわけです。


 その16 音声を聞く

 僕が乗ったのは一番最後の車両だったと思いますよ。それはどうも、僕の記憶では貨車だったんですね。そこに寝転がってるわけですね。そして呻いてるわけで。
 半殺しにされた豚があのう貨車に詰め込まれてうなってると、ま、そういうもう、悲惨な状況だと思ったわけですけどね。

 で、しばらくたって、列車がゆっくり動き出してそしたらみんなが「水、水!」て、いうわけですね。「水、水!」とその苦しい息を振り絞って、叫んでいるわけですけれども、怪我をした人間は水をのんじゃいかんと、いうふうに云われてましたからね、だから駅員の人たちは水をくれなかったですね。

 結局、諫早に着いたんですが、諫早の駅ではもう連絡がついていて婦人会の人たちが出迎えに来とったわけですね。
 我々被爆者が駅頭に降り立つと我々を見た途端やっぱり泣き出すわけですね。 

 本当にこの世の人間と思われない悲惨な状況ですからね。血だらけだし泥だらけで、もう、まっ黒になり、真っ赤になって、それから、殆ど裸だし皮膚は剥ぎ取られていますしねぇ・・・。


 その17 音声を聞く

 それから諫早の駅にもですね、もうものすごい負傷者が、そのプラットホームから何から寝てると。
 ほいで私はまぁ、衛生兵を一人連れてそいで、長崎から行って諫早で待ってたんですけども、もぅプラットホームの上にですね、ほとんどまぁ、殆ど火傷ですがね、火傷をした人間がまだ生きてて呻いてるわけですよ。

 ところがねこれが又、おかしなもんでね、私がその軍医ですからね、あっこれは火傷による脱水だという事がいっぺんで分かったわけですよ。私は大声をたてましてね、「この連中に水を飲ましてやれ!」って云ったんですがねぇ。

 ところが、この命令がですね何分か経ちますとね、負傷者には水を飲ましちゃいかんと云う、その迷信が日本人の間にありましてね、いつの間にか水を飲ませなくなちゃうんですよ。
 ま、夏の炎天ぇ、結局、まぁ早く言えば民衆の迷信が殺しましたね。

 その時にですね、水はもうじゃんじゃん方々で出ておりますでしょうが、小川の水だっていいんですから。
 そういうものをそのどんどんどんどん飲ませてやればですね、私なんか相当助かったんじゃないかと思いますけど。

 私がいくら声を大きくして叫んでみましても、これがその末端の方に行きますとねえ負傷者には火傷の患者には水を飲ましちゃいかん、重傷者には水を飲ましちゃいかんと、いう様な事に変わってってですね、わずか私の周りの数人が水を飲むだけで、後は水を飲めという命令が伝わらない・・・。


 その18 音声を聞く

 暑い夏だから、シャツ一枚しか着とらんでしょうが、パンツ一枚でしょうが。みんなそれがぼろぼろに千切れて破れとるんですよ。ねぇ。それでもう、全くそのぅ、全裸のもんもおりました。そらもぅとてもそのなんちゅうて云うか形容する言葉はその悲惨な状態は無かったわけですね。

 でも、しかし急いで収容しないと死んでしましますからね。それをそのこんだあ、うだいたり《抱いたり》あるいは抱えたり、或いはしょったり、或いは担架に乗したり、戸板に乗したり或いはトラックに乗したりで、あのう駅の付近にある仮設の海軍病院にまず入れると。

 それで足らないから今度は中学校にも女学校にもそれから小学校が三つありましたから、三つと。それから農事試験場とかそれから武徳殿(ぶどくでん)とか、もうそういう所へつぎつぎつぎにこの、収容するわけですね。

 ところがそういうようなその大きないわゆるケロイド、糜爛しとるんですからね。その苦しみようとしたもんがそらもう、うんうん呻って見ても聞いてもいられんですよね。ね。

 そいでこんどその収容するその海軍病院でも仮設病院でも学校でもそのどこでもですね、お布団も無ければ何も無いでしょ。
 だから、古むしろとかね或いは茣蓙とかね、そういう物を敷いてそれにその被爆してね、火傷を負ってる人を収容して寝せるわけですよ。寝てもね、寝られないですよ、痛くって。
 だからね、両手と両足をね犬の様にこうしてね、揃えて、そしてうんうん唸るんですよ。

 そして今度はその~、その人達がですね、あのう乾きを訴えるんですよね。水を、水を云うわけでしょうが。ところが水をね、その要求通りやるとすぐ死ぬという事でですね、ほんのこの唾をね、まあその筆か脱脂綿でね、この浸してやる程度の水しか与えてやれなかったと。
 そうする内にやっぱりその、2、3時間なり、長い人で10時間位してもう次々次々に死んでいくわけですね。

 諫早第一小学校に収容している男の40位の人でしたがね、その人がその収容所から這い出してね、これはね、水を飲みたさにですよ、と思いましたね。
 そいでその裏に小さな小川があったんですが、そこに行ってね、死んでいましたね。それはその水を求めてね、這い出して行って、そしで死んだ状態でしたがね。兎に角悲惨な状態で・・。


 その19 音声を聞く

 第一便のそのトラックが入って来た時にね、これで戦争は終わったなと思いましたよ。
 これだけ人間を痛めつけた武器があってね、これを尚続行しようと云う軍部があるなら、これはもう気狂いだと。

 大部分の者はまぁ、頭の毛が全部こう焼け縮れてね、そして勿論着物はぼろぼろ。血にまみれて、みんな火傷してるわけですね。露出部分に、火傷している部分なんかに、ガラスの破片とか木の破片、あるいは鉄片、そういうものが突き刺さっているわけです。

 今はね、ああいう塀が少なくなったけど、よくあのう塀の上にねビール瓶などガラスをこぅ割った物を泥棒除けにつけてるのがあるでしょ、あれですよ。あれが人間の体におきてるわけですね。
 肺の中にガラス片が沢山飛び込んでてね、聴診器あてなくてもね、呼吸する度にジリジリ、ジャリジャリって、その、ガラス片がぶつかり合う音がね、そういう患者さんが沢山いましたよね。

 耳そのものを胸に付けてね、そいであのう心音を聞いたりして、心臓が動いてんのかどうかそういう事を区分けしながらやってったわけですけどね。

 例えば、軽い木の枝とか葉っぱなんてものは、相当爆風を与えてもね、それが突き刺さるって事は一寸考えられないでしょ。
 それがあのう小枝のような物が頭蓋骨を突き刺してね、婦人のほら、あのう、装飾品みたいに髪の上へぽーんとそれが突き刺さってるなんていうような異常な事があってね。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 10:47
kousei  管理人   投稿数: 4
 
その20  音声を聞く

爆心地の南側。国鉄長崎駅とその周辺及び旧市内地区


その21 音声を聞く

 急なことで、私は、急いで駅長室に行きましたところが、駅長室の2階が丁度日本食堂になっとったわけなんです。で、その日本食堂の処が2階が崩壊しまして、駅長室の半分はそれで埋まっておりました。
 そいでひょっとするとこの中に怪我人が居りはしないかと云うような感じがしまして、丁度主席助役の処が真上でございましたから、私は「主席助役、主席助役!」と云う事を2、3度喚呼しましたけれども、何の応答はありませんから、あぁ、退避したんじゃなぁ、というようなところで自分の部屋に行きましたところが駅長室の方は熱いんです。
もう何だかその熱気が激しくして今にも自然発火しはせんかと、いうような状態でありました。

そいで初めて、あっ、これは広島に起きた爆弾と同じもんだな、というような感じがしまして一時、私としては恐怖を感じた次第でございます。

 ところが、もうその時、駅の前の駐在所それからその観光案内所もありましたが、もうそういうところの家が火で燃えかかっておる。
 ほいでその内にまあ駅も2階の上に見張り所を作っておりましたが、そういう見張り所に火が出まして、それから又、上屋の庇の処に燃えつくとか。
 バケツ操作ではとても駅の高いところには水は届かず、とうとうまあ延焼してしまったわけなんです。そいから構内にある客貨車も自然に発火するんです。どうしようも手の付けようのない状態でなかったかと・・・。

 
その22 音声を聞く

 停車場に行けば何とかなるだろうと思って、ほいで駅に行ったわけですよ、ねぇ。ほいだところがあんた駅には、あんた向こうからどんどん重傷者やなんかがいっぱい、あんた、来るでしょうが。駅も何にもその死んだ人や何かおってだんだんどっちゃばえしとるわけですたい。

 五島町あたりからも煙が出とったし、県庁あたりからも煙が出とったし、それから興善町の向こうの方からももう煙が出とったでしょ。火が付いて。駅前の方ももう火が付いとったですもんね。もぅあの辺はもぅ無茶苦茶ですたい、道路も何も。瓦は飛んでるしねぇ。ゴミ箱から戸から戸障子からみんな道路やなんかにほり出したみたいに飛んじまってるんじゃもん。駅前なんかもぅ、大騒ぎさあんた。

 ほいだところが、あんた、もう血だらけになっとっとやもん、みんなが、向こうから来る連中は。半死半生ですたぃ。ほいでから重傷なんは手を引いたり肩をかしてやったりして。こんだ重傷者の運びですたい私が、こんだ。そこへ行ったら。


その23 音声を聞く

 すぐ屋上へあがってみたんです。
 そしたら驚いたことにもう全然外の状況が変わっているわけですね。もう対岸の三菱の上の方、そういうところの屋根がですね、普通は真っ黒い瓦ですが、茶褐色の土がずうっと出て、瓦がずれている訳ですよね。それとですね、あっちこっちにこう煙がたっているわけなんです。

 ひどいのが県庁なんですよ。あれは早よう消さんともう大事するぞと、だんだん、だんだん、それがひどくなって行くんですよ。
 それで見てる間にもう今度は火が出だしたんでね、見てる間にもうどんどん火がそれから豊後町方面ですね、ああいう方面にもずっとあの、あちこちに火が出て、で県庁の火が元になって県庁のあの高台が全部やられて、中町、東中町,内中町とありますね、あの辺までずっと焼けて、その後はもうずっと飛行機が飛んでくるんですよね。

 しかし私達はもうこうなったらもうやられる以外ないやないかと言う様なことで、逃げもしないで。


その24 音声を聞く

 これが焼けてね、その皮膚がね、ちょうど女の人がここい前掛けしたごと、その皮膚がべらあーと下がって、目ん玉ちゅうのは大きいもんですな、こげなって目ん玉が飛び出とる。
 方角が分からん、どっちい行っていいやら。
それからわしはその娘の子をじわじわ手を引いて壕に入れて、なーもあんた、どんどんどんどんどんどんどんどん、もう逃げ込んでくるとですたいね。
 何万ちゅう人間がその壕に、ほして中へ入る押し込むけれども中は熱うして居られん。

 そうしたらね海軍のね工作隊ちゅうのが裸で仕事しよったですな。6,7人一人抱えて入ってきたです。
 痛いちゅうことが、こーしても痛いちて、かーも、がくがもう こうして見よるとね、可哀そうにね腹やられたとでしょうな。皮膚はどうもなっとらん。

 ほーいたら、その、その当時はね、上等兵曹ちゅうとった。
「何を言うか貴様、帝国海軍ど、こんくらいのことでへこたれてたまるかー」ちて、おごらるるもんじゃから、痛いということは言わないで、くーって苦しむ苦しむ。

 10分位したらおとなしゅうなって死んでしもうて、ほー恐ろしいもんじゃなあと思うて、あれからもう、浦上の私が居ったところはカッカッカッカと燃え出した、ほうしてこうして見ら、県庁の窓か、窓からボンボンボンと火の吹きよる、あー県庁もいかれたばいねーと思うて。


その25 音声を聞く

 怪我した人がボツボツボツボツ帰ってくるわけですよ。みうらさーんち言うて入って見えるけどね、もう、兎に角ね、全部もう帰って見える人ごとにですね、丸裸ですよ。足首をくびってる紐だけが残っているわけですね。

 それからあの手首をくびってる紐が手首に残って、あとは全部むけて丸裸ですよ。
 それからもうね、この髪の毛の色みたいに真っ黒の肌色ですよ。目だけはぎょろぎょろ光ってですね、男の人がですね、女の身体みたいにですね、乳房のようにぶらぶらもう火ぶくれが下がってるんですよね。もう度肝を抜かれるわけですよ。

 ほしてね、私がね、あの、「あなたはみうらさん?」と、うちの名前をゆうて入ってこられたけどね、あの「あなたの名前は言わんと私は分からん」と。
 「そげん変わっとるですかっ」て、兎に角ね、もう分からんて、目だけぎょろぎょろして分からんて、「誰れですか?」て。「もりたです」
「名前をいわんと分からんですよ」ゆうて、「僕、ふくまつです」「ああそうですか、ああふくちゃんの父ちゃんね」ってゆうてですね、「もう敷きまっせ」てゆうてですね。

 また一時すると、「みうらさーん」「あんた誰ですか?」 「私はやまもとです」て、「ああそうですか」て。
 「やまもとも名前を言わんと分からんです」て。
「おとまつです」て。

「ああそうですか。どうぞあの私が連れて行くけん」て、家まで連れて行くけん、きつかでしょ、「水ば飲ましてくれろ」て、「ああ水なら安かこと、ああ飲みまっせ飲みまっせ」ていうて、水が毒になるとは知らずですね、ほんとに。


その26 音声を聞く


午後から夕刻へかけて、旧市内地区から爆心地へ向かう動き


その27 音声を聞く

 特別救護隊員に集合命令が掛かったので、私達は「救護隊員」と書いた赤たすきを掛けた、あ、掛けて巡査部長10数名集まったわけです。
 私と同僚の巡査部長1名は、「君達ふたりは今からすぐ長崎駅前から道ノ尾付近まで列車と車両が通行できるかどうか直ぐ報告してくれ」と言うような命令を受けました。

 その頃まだロッキードなど長崎上空を飛び飛び回っており、私はこれは決死の仕事だと思ったとたん、一瞬身震いがしたわけです。
 当時私たちは地下足袋に黒いゲートル、黒く染めた夏の制服を着て短剣を下げた姿でしたが、まだ燃え続けて燻ぶっている市街地を出発したわけです。

 井樋の口(現在の銭座町)を少し出たら、市街地は完全に燃えつくして、本原町の丘まで一望に眺めることが出来ました。負傷者は周辺に何千人とうごめきあって、焼け残った電車の中には、腰掛けたまま焼け死んだ人がそのままの姿勢で並んでいるのが、異様で爆発のすごさがはっきりみとめられました。

 この様な電車はその付近に6台か7台あったと記憶しております。
 それからそのままずうと通っていったわけですが、その途中には負傷者があちらこちらに負傷にあえいでおって、「警察の人、助けてください、治ったら国のためにまた働きます、助けてください」、と両手を合わせて何回も拝まれたわけです。
 私達二人は薬品を持っているわけじゃなし、拝まれてもどうすることも出来なくて。


その28 音声を聞く

 全然、家が一軒もないのです。長崎駅から向うには。そいでその、てんてんてんてんとして、その、かがり火みたいなごとで、ずうっと燃えてるんですね。
 で、その中をまあ這うようにして目的地に向かって進んだわけで。今度は向うの大橋の方面からですね、怪我をしてほいて長崎駅の方へ向かって避難する人、下の川の橋の下からですね、若い人の声で、今も耳に残っとるんですが、「助けてくれ、助けてくれ」って言う声がするわけですね。

 しかし、これもどうもいかんともせぬもう施しようもない。そいでこんど今の市民運動場ですか、あそこの所に行ってみたところが、もう兎に角、山里方面、城山方面からの避難者で、が あそこに集まりましてね。子が親を呼び、親が子を呼ぶ。
 も兎に角、阿鼻叫喚。たまたま親が子を発見すると、無事を喜んでそして抱き合ってそこで泣き叫ぶんですね。

 そすと今度はそうするうちに、死体を見出したお母さんなんかというのは、その死体に取りすがって泣くと言うような状態。
 そうすっと今度は重傷を負った人が歩けないのでもう兎に角、芋虫みたいように這うてですね。そして生きのびんとする姿ですね。
 実にこれは何と言いますかな、その、話と言っても話せない、ほんとに、もうこの上もない、行ったことはないんだけど地獄と言うものがあれば、ま、こんなものじゃなかろうかと思うですね。兎に角その惨状というものがですね。


その29 音声を聞く

 大橋に近づいた頃、私達は異様な声が集まるのを耳にして、川の中には水があるところと言わずない所と言わず、幼児、男、女、老人の区別無く、その数は恐らく何千人と言う人たちだったと思います。

 その人たちは付近一帯が一瞬にして焼けたので、逃げ場がないのでこの川に走りこんだものであると、すぐ直感されたわけです。
 私は12年から15年まで北支事変に現役兵として参加して、友軍が何百人と死傷したことがあり、この悲惨な光景に何度か遭遇したが、軍人は若者の集まりばかりで、まして自分自身も何時死ぬか分からんと覚悟していたので、つぎは自分の番かと思うくらいであったが、この状況はどうだろう、重傷の何千人という老幼男女のうめき声はなんと表現していいか、表現はとても出来ません。

 私は地獄と言う言葉を子供の頃から聴いていたわけですが、しかし戦地に居る時は地獄とまでは感じませんでしたけど、この光景を見て、その時これが本当のこの世の地獄と思って。


その30 音声を聞く

 井樋の口ね、あの付近からね、もーう焼け爛れた人がまあーあっちこっちに見えるし、電車は転覆してるわー馬車馬はもう死んだまま寝てるわ、人間はごろごろですよ。
 電車ひっくり返ってるでしょうー、みんな電車の中でみんなまる焦げであなた、死んでるでしょうー。行く途中浦上川を渡ったところが川に一杯人がおるなー。

 それから、もっとね可哀そうだと思ったのはね、家がつぶれているでしょうー。そいでそこから這い出したんでしょうね、その這い出した人がこんな格好だ。
 両手を道路の方にやってね、首はとゆうと、それがもう焼け爛れてしもうてこんななってんだなあーもまことに可哀そうだし、川ではそのさかんに「助けてくれ」、「助けてくれ」泣き喚くし。
 それからもうその段じゃないもんだから、急いでその兵隊を二人うちにいった、うちいったら、あんたもううちはぺしゃんこだよー。
 半分焼けてるもん、どうにもならないですよ、近所全部そうですからね。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 10:49
kousei  管理人   投稿数: 4
 
その31 音声を聞く

 大橋が自分の家だから、その電車通の方出てみると、もうとてもその道を行けるような状態でないと。
 それから山越でね、その浦上通って大橋行くより他に方法ないと、いうことで、山へその登ったんですよ。

 そしたらもうその一生懸命山を登ったけども力尽きてですね、細い道に倒れて、そしてその、「水くれ」「水くれと」、人が通るとそお言うてその叫んでおる。
 或いは足にそのあの抱きついて、連れて行ってくれちゅうのがだいぶありました。

 あの、***と、あのうそこらに行くと異様なその風景でね、松ノ木が、まあそら山ですからある。
 その松ノ木がね、地上からまあⅠメーター位上った所から、ポッキとその引き抜かれて飛んでっとるっすな。
 ですから根は そのあの 地の中に植わって、そいてⅠメーターから上のとこは、まあ余程の力持ちがその上と下とを持ってひっぱってですね、引き抜いたと。

 これ見てね吃驚してですな。どうしてこんなことそのなったか、全然その、こっちでは判断つかん、それから。


その32 音声を聞く

 被爆者の人々と山道で出会い、人間とは思われぬほどの痛ましい有様を、
 励ましの言葉をかけて走り続け、次々と敵機が上空に来る時は畑の中に打ち伏せて、敵機が去ればまた走り、
 やっと、浦上神学校に着いた時は何人かの子供や女子の死体が横たわり、いずれも火傷の死体ばかり、
 その時はすでに浦上刑務所の森が、しかも樫の大木が盛んに燃える、燃えていましたが、ここまで来た以上。


その33 音声を聞く

 その丘のところで髪を蓬のように振り乱して、近くの平山さんが居られました。
「今日は誰も助かったもの居らんとですよ。」
「おたくのお父さんも庭で何かごそごそしておられたし、奥さんも昼時でおうちだったろうし、妹さんは大学病院に」
(影浦内科に居たんですけれども)、
「大学病院だったし、恐らく駄目でしょう」と言うお話を聴いた時に、私はヘナヘナと座り込んでしまいました。

 で、その時に私は旧約聖書にあるヨブの言葉を思い出して、口ずさんでおりました。

『主、すべてのものを与え、主、すべてのものを取り去り給う。その主の名は何時までもたたえられます様に』
と言う祈りを私も真似てしておりました。

 アベマリアというマリアにささげる祈りがあるんですが、それを1回したか、2回したか、それが終わった、と思ったその時に、私はすっくりと立っておりました。
 今まで抜き取られておった背骨がぐっと差し込まれたような気持ちがしたのです。


その34 音声を聞く

 もう生きるっちゅ望みはもう無かったですもん。こいでもう、人生は終わるっと言う様な感じ方でなかったっでしょうか、その時は。
 えぇ、やっぱりあの、カトリック的な教育もあり、もありますから、はぁ、もう、こいで、行く所に行けるんじゃなかかーちゅうような、ほんとにもう、その、おじの悲惨な姿して、帰りがけにチラッと見たその記憶の中に残ったような、その無残な姿を見てですね、世の終わりって言う様な感じ方ですね。

 普通は祈りもします。まあ毎日朝晩の祈りね。そりゃあ、しますけれども、その時は祈りする気力もありませんでした。もう祈りもなんにも忘れました。

 父が「祈りばしゅうでーっ」て言うてくれたです。はい。
で、「天にましまーす」、までは言うわけですね、もうその先は、なんじゃあ、「あそかぁ燃えよった」とか***祈りにならんです。なりませんでした。ほんとに。
 人間じゃなかったですね、ほんとに。牛や馬と一緒、と私は。


その35 音声を聞く
 
 その防空壕に入ろうとした時にね、ひょっと見るとほとんどのね、人達がね火傷してる、ねえ。背中がべらっと剥げた外国人、肩のところ火傷した 外国人、腕 火傷した外国人、もう水泡がね、ばあっとでてるのねぇ、どうしてこんな火傷したとやろかなんてね、思ったりして、うちにどんどん中に「ドーゾ」「ドーゾ」、日本語知ってるんですよ。

 「ドーゾ」「ドーゾ」って言われましてね。防空壕に入っていきますとね、ずーっと両脇に、あのう捕虜達は座り、怪我した捕虜達は表に居たんですねぇ。で、中に居た捕虜達も何人か火傷していたみたいですね。

 防空壕の入り口の所に真っ黒焦げになった人が蹲ってて、「うんうん水がほしか、水がほしか」って言ってる、「あれっ、魚屋のおばちゃんじゃなかと」って言ったら、「ふぅーん」、「ああっ、僕はわたなべのつかさよ」ったら、「ああ、つかちゃんか、あの 水のほしかとさね」
 「水はなかばい」、ああそう、友達が持ってくれていたあの冬瓜をね、割って小さく割ってから、「おばちゃん、こうこれをしゃぶってごらん」、口に持っていってやった。

 そしたらちゅちゅちゅって吸ってたんですね、「はあ、美味しかったー」 で、それで終わりだったですね。
「おばちゃん、おばちゃん」と言ったけれど、もうあとは何も言ってくれませんでした。


その36 音声を聞く

 女の人が、あのう、よろよろ倒れながら来ました。
 どぶ川にですね。どぶ川に来てですね、その方がちょうどあのう 口のここからですね、耳のここまでこう、もう柘榴のように割れてるんですよね。そしてもうなんかもうグドグド、グドグド血が出ていますからですね。
 だけども私達も何にも持たないしですね、それをこう介抱するっていうことも出来ないし。
そしたら、「赤ちゃんを忘れた」とおっしゃるわけですよね、その方が。

 「今から」その「見つけに行く」っておっしゃったわけです。それであの、もう燃えてるからですね、あの、「行っても駄目」て言うてでも、やっぱり、あのう「行く」ていうてきかれないわけですよね。
 そいでもうどぶ川につかってるし、足はぬかってるしですね、身体はそんなふうだし、もう随分お止めしましたけども、よろよろよろよろしながらですね、あのう行かれましたけどですね。

 結局、もう、その時もうほんともう、誰が可愛いてゆっても、もう、自分っていうことだけだなあーと思ってですね。
 もう人間のもう孤独て言うのか、もう嫌って言うほどですね、そこでもうあのー、考えさせられました。
 結局、自分っていうことが一番で、二番目に子供ていう風になるんだな~っていうこと。


その37 音声を聞く

 防空壕の中はもう焼け爛れた人が、い~っぱいですよね。そんでもう、目は飛び出ているは、舌は出てるは、はらわたはもう、ぐしゃぐしゃになってね、飛び出てるわ、腸は出てるわの人たちが、沢山入っているわけ。
 「たー坊、たー坊」ちゅう探すのですけど、たー坊はいないわけです。
 ほしたら、うんうんうなっているわけですね、畳の下敷きになって。そのうえにもう大きな人たちがみんな座ってるわけですよ。

 「わあっ、この下に、子供が居るからのけてください、のけてください」と言って頼むんですけどね、もうその人達ももう全然動ききらないわけね。
 もう火傷した人とか、目は飛び出てるわ、髪の毛はもう全然ない人たちばっかりですから。んでもう、のけきらないのを、やっと もうのけてもらって、引っ張り出した時、もう死んでいるんじゃあないかーと思うぐらいですね。

 その子はもうぺっちゃんこになってたわけですよ。それでその防空壕の中はもうその死骸と、それから焼け爛れた人達と、もう男か女か全然分かんないですね、真っ裸になっている人達なんか、へしあいひしあい、身動き出来ないわけですよ。
 そうすると日が暮れてくる。その防空壕の中も真っ暗 すみですよね、分かんない誰が誰やら。
 兎に角外に出なきゃ、も、なんか焼け焦げた臭いと、もうその生くさい血と、の臭いでですね、防空壕の中はもうむんむんしているわけ。
 それでやっと兎に角外に出なきゃ、新しい空気を吸わなきゃいけんので、一人づつみんな抱えてもらってですね、外に出してもらった。

 いったん外に出ると、もう、商業学校がぼんぼん燃えているわけですよ、昼間みたいに。ほんで燃えてるもんだから、この灯かりであたし達の様子がよく分かるんですよね。
 あのう大きな音たてて飛行機がもう頭すれすれに下りてくるわけですよ。で、バラバラバラバラって撃っていくものだから、今度は死骸の下に入り込むわけですよ。
 死体の、死骸の下に入り込んでもう息を殺してじーっとしとくわけですね。ほいで飛行機の音がなくなるとまた、その死体からのこのこ這い出してくるわけ。


その38 音声を聞く

 その間にですね、もうまあ、あらゆるその死体が転がってるんですね。女の人と小さい子供を連れたりなんかした人がね、山となしてこう、列をなしてですね、皆死んでます。
 そうゆう姿とか、半焼けになってですね、下半分は骨になって、上半分だけ焼け爛れて残ってる、姿とか、上半分がのけて下だけが残ってる人もあるしですね、もうそうゆう姿を見たらですね、もういよいよ私の頭の中、変になってしまってですね、もう涙一滴でる感じはなかったですね。

 その8月あれは9日の晩だったと、夕方だと思いますね、兎に角、出来るだけ火葬しようと、その辺の学校の倒れたようなあのう柱なんか皆集めまして、井桁と言うて井の字型にづっと並べてですね、で、ぼろに油をしめしてですね、それに火をつけて点火すると、火葬する、一番人間の身体で燃えにくいのはね、この胸の肋骨の中ですね、それから頭蓋骨、ここが一番燃えにくいですね。
 少なくとも2時間以上かかるですね。


その39 音声を聞く

 皆もう、座り込んで、おじさん水くれ、水くれって言うけれども、えー医者に水やったらどうですかって、言うたら、水やったら駄目。絶対死ぬるから、水やんなって、こう言うけえまあ、まあよし、後から水やるから、頑張っときなさいと言うて、まあ激励はしておるけれども、手を合わして、もうおじさん死んでもいいから、あの水くれとこう言うもんじゃから、で、医者にどうしましょうか?ていうて、もうそんならやんなさいと。

 何にもその入れもんがないもんやけ、手にすくうて来て、そいで飲ますと、ごろごろと言うては、もう、かたっと死ぬるですね。もう、一人一人がもうその飲ましたら、もう死んでしまうんです。
 そいけ飲んだら死ぬるから、今このように死ぬるから、飲みなさんなと言うても、もう焼ける様にあると、喉がですね。もう死んでもいいから水下さいと、もう堪えきらんと。
 こう言うもんじゃから私もいちいち医者に聞くちゅうのもあれやもんやからもう、可哀そうなと思うてですね、えー、手のはらへ、こうすくうて来ちゃ飲ましてやる。ほしたらごろごろと言うてもうひっくり返ったらもうそれまで。

 もうそれがもうえーも何十人やら分からんすよ。そいけその今の横穴の防空壕に50人か入れんやつが50人や100人じゃないですよ。みんな、その、積み重なって入っとるわけですたいね、そいけあいにゃもう殺してくれとおらぶものもありゃあ、悲壮な声を上げてですね、医者にそのなんとかその注射でもしちゃってくれ言うけれども、おら応急手当の処置がないちゅうですもんね、もうあくる朝起きてみりゃあ、ほとんどが死んしもうとるんですね。


その40 音声を聞く

 ほとんどの人が火傷と、それからあの小石とかねガラスが突き刺さったりね、木の枝が刺さったりした人達がほとんどでしたね。
 一番多いのはもちろん火傷が一番多かったんですが、そうしてたまにですね、あっちこっちから水、水、水を下さい、ちゅうような声が聞こえてくる。その頃はねまだ放射能の障害とか、放射能でやられてるということは全く誰も知らなかった時の話です。何故にそういう無気力状態になっておったのかという理由は、ああ全然私達は分かりませんでしたね。

 先ず救急手当てだけを次々しましてね、ところがまあ、なかに看護婦さんがね、どの人が死んでて、どの人が生きとるか分かりませんよと言うんですよ。
 だからそいじゃもう一応ね、こう目をね見て瞳孔が開いておったらもう亡くなっている人だから、瞳孔反応がある人はもう兎に角出来るだけの手当てを治療をしてあげよう、と言うことで、応急手当をいたしましてね。


その41 音声を聞く

 夜もずっとアメリカの飛行機が来て、照明弾を落とすんです。 そしたらもう焼け跡がもう、ばーっと明るくなって火の海が見えるわけですねぇ。浦上天主堂もめらめら燃えてるし、今焼けてるんだろうかねぇて思ったり、家族がですね。


その42 音声を聞く

 そこで駅前に来たところがもうそれこそ自分の子を、その頃の中等学校、高校はですね、高校はこっちの浦上の方にあったのは、今の西高の前身の瓊浦高校、鎮西(学院)高校、商業、工業、純心、なんだかんだと沢山ありましたもんね。で、そこにその子供をやってる子供の親がですね、自分の子供の安否を気遣ってもう長崎辺、駅の向うは行けんもんだからそこにもう、もう何千人という自分の子を探してくる親が一杯あって、泣いたり、わめいたり、しょる訳ですたい。

 また、そこに行けば同じ年代ですから、もう、自分の子の名前をいって飛びつく訳ですね、私達に。あそこに恐らく、2000人や3000人は居ったんでしょうよ。その子供を、自分の子供を浦上方面の学校にやっていた、または学徒動員で三菱製鋼所とか「兵器」とか、そういうふうな所へ学徒動員で自分の子をやっていた親が自分の子の安否を気遣って、兎に角もう、もう自分は火傷して血はだらだら出たり、真っ裸で、あっちもこっちもしとっとに、自分の子供の名前をぴーぴーぴーぴーおめてですね、もう気違いみたいになってたですね。

 もう駅前で死んだ人がうようよおって、それを踏んだり、蹴ったりして、そのなんともなくして、も、群がったですもんね。私達の年代の人が通りますと、もうわーっと来っとですもん。その自分の子供の名前を呼んでですね、、、


その43 音声を聞く

 下をすぐ砲台山は中腹にありますからね、づっと見渡すと、どんどんどんどん火が燃え移ってきて、どんどんどんどん、どんどんどんどんとあっちもこっちも、あっちもこっちも燃えてしまう。銭座小学校からはもうコンクリートの建物だったですけれども、教室がどんどん焼けて燃えて、その赤い火が窓からずっとこのあたり一面を照らすような形で燃えてしまう。ええ、周囲はもうほとんどの所はもう、そういう火で燃えてしまう。丁度もう、浦上一帯がその釜の下でこの薪を燃やしとるようなですね。

 そうゆう状況ですね、あっちもこっちも、あっちもこっちも、そして一斉に、だーっともう浦上一帯が焼けていると、こうゆう状況の様でしたですね。

 夜中になるに従って、どんどんどんどんあっちも、竹の久保も、浦上も、山里も、城山もちゅうようにですね、え、どんどんもう燃えてしまうと。あと、残っているのは所謂、浦上川をはさんだですね、三菱製鋼とかあの辺の近くの工場がですね、燃えずにそのまま残ってると。

 砲台山に来る、来た人達は兵隊さん達も居りましたし、一般の人達も居られましたけれども、ほとんどがもう傷を負いましてね、もう、うんうんうんうん、うなっておられると。生き残っている者はこれだけじゃないかと、そういう気持ちですね。
 もう日本全部がもうなくなってしまったのではないかと。


その44 音声を聞く

 そうですね、6人か7人と思います。もうその時はもう、ぶんぶんぶんぶん音がしますもんですから、もう、そのたんびにもう、軒の方に片寄ったり、も、防空壕の中に入ったりしてですね、もう焼ける長崎を見てもう、も、ずっと泣きどうしで帰りましたとですよね、もう。

 ずっと育った所ですからね。それがもう異様な臭いでですね。馬が焼ける、人が焼けるねぇ。もうほんと今思い出したらほんとあの、食事もしたくないような、まだわかります、情景が。真っ赤にねぇ、あの焼ける長崎を見ても振り返り振り返り、ずっと母の居る所に帰った・・・・
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