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広島・長崎の被爆者の声(1) (7枚目のCDの1から10まで)

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kousei

通常 広島・長崎の被爆者の声(1) (7枚目のCDの1から10まで)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:19
kousei  管理人   投稿数: 2
 
その1 音声を聞く

8月15日無条件降伏を知った広島と長崎


その2 音声を聞く

 朝からおかしいんですよ、そこいらの様子がね。向うの方の山からね、背嚢背負った兵隊さんが、あ、5人10人と一列になってとことことことこ下りて来るんですよ。あっちからも下りて来る。長崎はこうね、四方山ですから、四方って、山ですから。そのうちにね、トラックに乗ったあのぉ憲兵さん、も、メガホンでね、わんわんわんわんなんか喚きながらね、通るんですよ、そいで、何て言ってるかはあの、聞き取れませんので、ただ声だけね、わんわんわんわん言って通るんですよ。

 そうすと、倅と「なんかおかしいねぇ」、「如何したんだろう」、「如何したんだろう」って言ってたんですよ。そしたら町から来た人が、あの、終戦って言うことを知らせてきたわけ、で、私達はもうラジオも持ちませんし、新聞は無論ね見られないし、町から来た人の話を聞くだけでしょう。「終戦ってよって、天皇様がラジオでね、みんなにあの話があった」っていうこと、ことがらだけ分かったわけですよね。

 そいで、主人にねそう言ったんですよ。「日本は負けたのよって、終戦になったのよ」って言ったら、「日本はやりそこなったなぁ」って言いました。それが最後。翌日死にました。


その3 音声を聞く

 「看護婦さんあんたぁ、あの、何処行かれたんですか?」言うんで、「私はね西町まで遺骨をひらいに行って、今から本部へ帰るところですが」、「はぁ、いまなんですのぉ、重大放送がありました、聴かれましたかぁ」。「いいえ私、聴かんかったですが、もうそんな時間でしょうよね、ある言うことでしたが」、「聴きましたがどうもあの雑音がはぁってよう分からんが何でしょうって、戦争もはぁこれまででしょう」って。「ほいじゃぁ勝ったんですか、負けたんですか」言うたら、「よう分かりませんわい」、ってからいうとったんですよね。勝ったのも半信、負けたのも半信。

 で、あたし本部に帰りまして、「今、ただいま帰りました」って言ったら、は、「あんた戻ったんかい、今重大放送があってのぉ、院長以下みんな泣いたとこよぅ」ってね言われたですわ。「あらそうですかぁ」。もう気が抜けたようになって何にもしたくないようになりましてね、「まあそうですかぁ」言うたぎり、もう言葉がなかったです。それが8月の15日の1時か2時頃だったでしょうかね。暑い盛りですよ、かっか、かっか、日が照ってねぇ。


その4 音声を聞く

 ぼろぼろの家の前で、も、聞いた時にはほーんと皆泣きましたね。あれは何と言う涙ですか、くやしいのと、まさか日本が負けわせんとおもっとったのが現実になったからですね、あ、やっぱり最後まで、一億玉砕と言うたでしょう。だからまさっかと思うとったのに悔しかったんですね。もうやっぱり泣きましたですよ、みんな男も女も。

 すと、その在郷軍人の人達は馬に乗って走って廻って、「嘘だ」って、「その知らせは嘘だ」って言うて廻った人もあったでしょう。だからどっちが本当かと言うようなことで迷った、迷ったと言うとおかしいけど、ほんと迷いましたですよ。これはうっかり信ぜられんぞてなことでね。
 いろんなことがこんがらがって、もう本当になんていうか今その当時のこと思っても、も、尋常な気持ちではなかった様に思いますね、当分の間は。


その5 音声を聞く

 直ぐわたしゃ家内のとこへとんでいって、「いよいよ日本も無条件ちゅう降伏することになった」いうて私が言うたら、家内が「もっとはようしてくれりゃ良かったんになぁ」、ひとくち言うたですよ。

 それからしばらくして、家内が私に「鏡を見してくれんかい」、言うたですね。わしは見せん方がええんじゃないかなぁ思うたんですが、たって本人が「見してくれ、見してくれ」言うもんじゃから鏡みしてやった。自分の顔が何とも言えん醜い顔になった。

 あれを見してから本人が非常に力を落としてですね、それから間もなしに死んだんですからね、ここに爆弾が落ちん前にこういうことをしてくれた方が良かったんじゃないかと、少し遅いよぅなぁと思いました。


その6 音声を聞く

 何でもう一週間戦争が早く済まなかったのだろう、そしたらせめて父だけでも生きてくれたのにと思ってね、悔しくて悔しくてね、もう本当にわんわん泣きました。

 だけど皆あの帰ってくるから、家の中はもうそれこそ喜びで一杯ですよね、で海軍の主計大尉なんていうのは、もうそれこそトラック一杯の物資を積んで帰ってきましてね。

 もう本当にこうなんと言っていいんだか、もう一週間早かったら、せめて父だけでも生きてくれたんじゃなかったかなぁと思うと、丁度八幡様の下だったんですけどね、その家から、もう足引きずり引きずり八幡様に登ってね、一人でわんわんわんわん泣きました。二時間位泣いたでしょうね。

 それでまあ、あによめが迎えに来てくれて、「みんなが心配してるから」っていわれてね、、、。


その7 音声を聞く

 「天皇陛下がお気の毒な」言う、言うてね、泣いた人もありますし、「あぁ負けたんかい」って、そしてその中学の先生はわんわん言うて泣かれまして、明けの日に死なれましたですがね。

 もうね、あ、どうでもえぇ言うような状態でしたね。主人はああようなですしね、夜は蚊、昼は蝿に攻められるのじゃからもう、戦争が負きょうが勝とうが、、、いう、まあ気持ちが大部分でした。


その8 音声を聞く

 宮城の前で泣かれたみんな、おんおん泣いちゃった人ばっかりのようですけど、私は全然負けたのがどうとも、そんなこと一つも悔しいとも悲しいとも、何とも思わなかったですね。もう打ちのめされたまんまですからねぇ、そこまで考えられなかったです、はぁ。

 夜寝てましてもねぇ、雨が降ってきたりしたらも、ずぶ濡れになりますからねぇ、あの、周りは何もないですから、ただこの座板と屋根があるだけです。雨がいっぱい漏ってきたり、あの、寝られないですよねぇ。

 まあ、うちの叔父も祖父もねぇ、あの、あれなんです、背中が痛むもんでね、うなるわけなんですよねぇ。まわりも皆そうなんですよ。こう聴こえますよね声、みなバラック建ててますから。

 で、朝鮮の人は「アイゴー、アイゴー」って毎晩泣かれるし、それからまたあの前の若い人なんか「日本刀で殺してくれ」いうて、あんまり痛いもんだから、で、うちのあの祖父もねぇ、「も、殺してくれ」いうんです。あのぉ、そら痛むらしいですよねぇ、あの、天ぷらの衣みたいなるんです。それでうじがたらたらたらたら流れるわけなんです。

 だから、そういう風な毎日ですから、ちょっと、敗戦言うてもぴんと来ないです。はい。


その9 音声を聞く

 そのぅ、敗戦じゃなかったけれど実にその姿がね、もう戦う者の姿じゃないですよね。そのぅ、薬はない、全身火傷で、ね、そして泣き叫ぶ子供、家は焼かれてね、もうすでに敗戦の極ですよ。だからまあ、君らはもう敗戦で悲しいけれど、これ以上苦しむこともないだろうと、ね、人間を苦痛にこれだけですねぇ、火傷をさせてね、これだけ死んでの戦争は勝つも負けるもないという感じはもうしてましたね。


その10 音声を聞く

 兵隊で五年も帰らずにいたもんだからね、このアメリカの、が結局上陸してきた場合に我々が捕虜になんじゃないかね、殺されんじゃないか、そういう、不安なことが、不安な気持ちが真っ先に自分達の頭ん中にありましたね。

 でも、よかったなぁと思ってね、内心はね、そんなこと言いませんよ。まだ、ねぇ、軍隊ん中にいるんだから、あぁよかったなぁなんて言ったらね、脅かされちゃうから、でも自分じゃあ内心ね、あぁこれでやっと生きられたのかなぁ、と思いましたよ、終戦の時。生きて帰れんかなぁと思ってね。

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