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広島・長崎の被爆者の声(1) (7枚目のCDの31から36まで)

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kousei

通常 広島・長崎の被爆者の声(1) (7枚目のCDの31から36まで)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:24
kousei  管理人   投稿数: 4
その31 音声を聞く

 そしてね、「起してくれー、寝かしてくれ!」って言うの、とても大変なの、辛かったんでしょう。「寝てるのが辛いから起してくれ」って。でも、この辺みな、あのう、火傷されてますので持つところが無いわけ、で、頭の先をちょっとこう持ってね。あのう、起こしてあげるの。背中は全部焼けてらっしゃるの、グシャグシャだから。それで、あのう、起してあげましたらねぇ、ものの1分も経たない内に「寝かしてくれー」って。ほいで起してあげたり、寝かしてあげたりね。

 そんな、あのう、重傷者が亡くなられるっていうのは、まあ、私も、あれでしたけどねぇ。そこに3人兄弟の坊やがね、昼は、あのう、あのう、撃剣ごっこをやって遊んでどんどんしてたのがね、夕方パタッとおとなしくなっちゃったんですよねぇ。して見たら、それがね、あのう、死んでいるって。あら、どうしたの今坊やは大騒動をしてたのにねって。

 なんかこん度の爆弾に遭った人はね、こういう状態でみな死ぬみたいですよって言ってまして。で、みんながみな怖がりますしねぇ、いつ自分の番になるかと・・・。


その32 音声を聞く

 「痛いよ、痛いよ、痛いよ、痛いよ」言うて、暑いとか痛いとか言われてみなさん寝ていらしたんですけど、介抱の方もですね、色青ざめて、患者さんも亡くなられ、今度また付き添いをしていらっしゃる方も倒れられる。

 「おかしいね、この、お母さん、病気がおかしいね、付き添いした方がねぇ、患者さんより早く亡くなったらね、患者さんはどんななるんのやろうね、お母さん!」って言うてたら、お隣のお爺ちゃんがですねぇ、目からと耳からと鼻からと、あのう蛆が出てくるんですよね。あんまり可哀想だからピンセットでこうしてあたし取ってあげてたんですよね、「痛い!」って言うてあったから。

 ほたらもう、お母さんが「隣の人もいいけどねぇ、おまえ、お母さんにも蛆がね、えー、付いてるよ」って言いますもんですから、私、ひょっと腕を見ましたら、やはり火傷、ケロイドですかぁ。ああいう風な火傷、こうしてるのにですねぇ、やはり蝿を生んでるんですよね。その蝿をピンセットでもう、こんなして1つ1つ取ってあげてですねぇ、腕を扇いでやったりですねぇ。

 もう、そうこうしてる内に私も、自分の、身がですねぇ、もたなくなりまして具合が悪くなりましたけどねぇ。みなさん、やはり全部、全員て言う程、亡くなられましたんですよね、300人が。

 そのうちに、母と私だけが生き残ったんですよ。で、あ、もう、二人だけ生き残ったけどぅ、もう明日死ぬんじゃなかろうか、明後日死ぬんじゃなかろうか言うて。


その33 音声を聞く

 バケツでね、消毒液を浸してね、ガーゼを貼っていくんですよ。もうそれこそ廊下もトイレも全部患者が寝とるんですよ。でけ、それ全部、あのうリバガーゼを作ってね、貼って行くんですよ。それで一日掛るわけ。明くる日はそれを取っていくわけ、取っていった端からまた貼り替えるわけ。

 それから蛆が湧いて、傷から黴菌が入るでしょう。切断ですよ、こんだあ、手や足を。もうほんとに重症はね、もうほったらかしやったですよ。もう、蝿がいっぱいもぶれてねぇ、私ら通ったらパアー蝿がパアーと立ってね。ほいで、もう、通り過ぎたら蝿がまたシャーと寄って来る、蝿むぐれ。だから蛆がなんぼでも湧くんですよ。

 原爆症、が出るとね、あのう、下痢するでしょ。ほで、あのう、出血するんですよ。ほいで、もう赤痢じゃないか思うてね、隔離したんですよ。私らも赤痢なっても困るしねぇ、手、みなさんの手、あのう、世話が出来ないから。ほいけ、隔離してもそのままなるでしょう、気の毒でしたよねぇ、そんなのはねえ。原爆症でそうなっとんのにね、分らんからね、まだそういう時は。


その34 音声を聞く

 ううん、そらぁ、その日から治療ばっかりですよ、治療言いましてもあなた、衛生材料が、そう、充分に有りませんからねぇ。赤チン塗ったり、食用油を塗ったりする程度ですよねぇ。

 来て直ぐ亡くなる方もありますしねぇ、ほしてもう、どう言うてええか、狂騒状ですか?、あのう、おらんで、おらんだり叫んだりする人も有るし、ほいから、ただ黙って寝よっていつ死んだか分らんよな人も有りますしねぇ。もう全身火傷で手の付けようの無い人も有りますしねぇ。

 むしろ、中支の生活言うたらひどう、まあ、作戦が有れば、患者もドンドン帰って来よりましたけど。後先はひどう、そう、原爆みたいなこと無かったですから。内地の方が酷くて、あのう、野戦病院とか兵站病院の方が、そりゃあ、よっぽど、あのう、平穏でした。もう、そりゃあ、お話になりませんよね。ええ、地獄の絵巻ですよね。


その35 音声を聞く

 コロコロコロコロ死んでいくんですねぇ、みんなねぇ、黒板にね毎日、死亡者の数を書き入れるのにね、もう5人、6人て書き込むんですよね。ほいで、もう、一教室に3列か4列ぐらいにずーと布団並べて寝てますけどね、看護婦さんを呼びに行くんですよ、したら看護婦さんはね、ガーゼを1枚握って駆けて来るんですよ。そしてもうね「良い所行きなさいね!」ってぽっと掛けてやって、そいでお仕舞ですよね。

そうしている時に、妹も、とうとうそこで死にました。取りに来るのがねあのう、塵取車なんですね。一間丁度畳1枚ぐらいの、大きな、あのう、箱がこう上に付いた車なんですよね。して、あのう、おじさんこう引っ張ってね、そして、そういう塵取車が死体を運んでたんですね。空箱に妹がコトンと落とされた音をねぇ、あのう今でもほんと悲しいです。

 したら、もう、1回に十何人ぐらい、死体が有るんですよね、だからそれをポンポンポンポン積んで行って。したら最後にね、あのう、2才ぐらいかな、赤ちゃんがね、死んだんですね、そいで、その赤ちゃんが、一番上にもう山盛りなんですよ、だからもう積まなくていいなぁと思うのに、上にチョンと載せたんですよ。そしたら、綱も何も掛けないで行くもんだからね、動きだしたら落ちるんですね、赤ちゃんが。そしたらね、ほんと、あのう、今、お人形の頭を掴んで上げるような格好でポイとこう上げるんですね。あぁ、あの赤ちゃん、ほんとねぇ、着くまで何回落ちるかしらと思ってね、悲しかったですね。


その36 音声を聞く

 傷口、がまぁ、あのう、塞がらないお方がですねぇ、その「痛い!痛い!」と言うことを盛んにそのう、訴えられる、ね。おかしいなあ、おかしいなあと言うことでそのう、よく、まあ、みんなと見ましたところがですね、何か動いている物があるわけなんですね、それがあのう、やっと蛆だと言う事が分りましてですねぇ。

 まあ、最初のうちはあのう、お箸でピンセットを作って、1匹1匹出していたわけなんですけども。とてもそのう、お箸でそのう、取ってる間が、もう無くなって手に負えなくなったんですねぇ。そこでそのう、患者をそのう、抱きましてですねぇ、水道の蛇口の所まで連れて行って、そしてあのう、傷口にですねぇ、ホースの水をピューっと飛ばすわけです。そしてそのう蛆虫をですねぇ、吹っ飛ばす。

 まあ蛆虫はですね、単に傷口だけでなしにですね、瞼の裏に入ってしまうんですねぇ。こういう時はまああのう、瞼を裏返しにしまして、ホースを絞って、蛆虫を飛ばす、ということもあのう、もう何回となく有りましたですね。

 金沢のあのう、ですね、第四高等学校の数学の教授をしとられた、みやこしなんとか先生て言う方がですねぇ、あのう、当時一等兵星二つでですね、お入りになっとられたんですよ。で、私共は星三つでですねぇ、そのう、幹部候補生であのう、おりまして、私共のそのう、雑用をその、みやこし先生がやって下さったわけですねぇ。まあ、ところが私共はそのみやこし先生にですね、夜ですね、数学をあのう、好きな者が集まってですねぇ、教えて頂いたわけなんですよ。

 そのみやこし先生が、まあ、あのう、被爆されて、私達のそのう、中にお出でなったわけなんですけども。同僚がですね、夜中に回って居りました時に、みやこし先生がそのう、「候補生殿、候補生殿、水をください!」て言ってそのう、手を合わされたそうです。であのう、看病に当った候補生がですねぇ、先生に水を差し上げたんです。そすと「候補生殿、ありがとうございました!」と、いうことを言われたそうです。そしてまあ、あのう翌朝はですねぇ、あのう鬼籍に入って居られた、と。まあ言うこと・・・


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