広島・長崎の被爆者の声(2) (8枚目のCDの11から20まで)
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広島・長崎の被爆者の声(2) (8枚目のCD) (kousei, 2006/7/14 0:40)
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kousei
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その11 音声を聞く
どこぞで木拾ってこうよういうんで、あっちこっち木を拾いましてねぇ、それで掘っ立て小屋みたいなん建ててくれたんですよ。
ちょうどこの6畳の部屋ぐらいの家建ててくれたんです。それも素人が建てるんですけねぇ。ええ具合になんか建ちゃしません。
ただこう掘っ立て小屋、四角なの、ルンペン小屋みたいなの建ててねぇ。それに寝起きしよったんですよ。
雨は降るし、土砂降りには布団は濡れるしねぇ、下は土ぺたに持っていっておいとるんだから。布団はびっちゃり湿りが回ってくるしねぇ、気持ちのええもんじゃないですよ。
こう幅の狭いの寄せ集めている板でしょう、その間から雨の露がみな上がってね、布団がみなそれを吸うでしょう。だから布団がじっとりしてくるんですよね。
それでも私ゃもう当分起きて座って、あれでもひょっとしたら戻って来やしまいかと思ってね、主人が帰ってきやしないか思って、座って待っとりよったですよ。帰ってきやしないか、もう帰ってきやしないか思ってね、待ちよったですよ。
その12 音声を聞く
火傷をした父にすぐ、その、弟のことが心配だから探しに行こうかって私いうたんですよ。しかし父が反対したんですよ。
「危険だから行ってはいけない」と。
もし父が反対せんかったら私も探しに行っとるでしょうし、探しに行ったら恐らく放射能で命がなかったでしょうね。
まあ、弟のことが気になりましてね、私も。そのことばっかり思うて暮らしとったわけですが。
夢の中へ弟が出てきてね、そして「一体、その、お前は、何処でどうなったんか」と。「兄さん、実は僕は己斐の蓮照寺という寺で死んだ」と。
で、あわてて、その寺を探してみたんですがね、事実、あったわけでね。私、これには、まあ驚いたですよ。字まで教えましたね。
そこで、そのお経あげてもろうたりしたわけですがね。まあ、決してその迷信を信じるとかいうことではないですがね。
その13 音声を聞く
だから結局分からんずく。だからどうも葬式をする気にもなれんしね。そのうちまた、帰ってきはしないかという一縷の望みをもっとるし。
かといってもう探すところは大体まあ周辺のなには、ここいらの人らがあまり行ったという話しは聞かんようなところは、みな探しましたがね。結局見つからん。
最後にちょっと落ち着いてから、市のほうになんですな、いろいろなこの資料をこう集めましたからね。
それを見には行きました。行ったけど、それになにか書いてあるのがねぇ、みなもう当時のザラ紙の変な紙にね、いろいろな、まぁいろんな、まぁ紙に書いてあるのを見て「ま、これじゃあどうも手のつけようがないな、分からんな」思うのだが、なかには「男女不明」って書いてあるのもあるし、「推定何歳くらい、男」っていうようなんでしょう。
それからもう、全然ね「これを見たってしょうがないな」思いながらも、まあ、ずっとめくりましたがねぇ、全部。
その14 音声を聞く
バラックを建てて、そこで食堂、小さい食堂を始めましたの。そうするとねぇ、6時頃になるとねぇ、もう暗いでしょう。
隣いうても見えん、向こうの方の方でしょう。そして死人を焼くのが、学校で焼くのが、前ですからね。臭いはするし、ほいで、ガサガサガサガサ近所をね、人が歩くような、犬が歩くような音がすると、夜っぴいて私、子供を抱いて眠らんと座っていたことが何日でもあります。
それは恐い恐い思いをしました。電気はなし、ただの重油を貰って、あれに生地を少しこうはめて、少しの明かりでしのぎましたがねぇ。真っ暗でしょう。隣いうても声立てても聞こえるようなところじゃなしに、みんな掘っ立て小屋ばっかりでしょう。もうこうしてみると広島じゅうが一面に見えるんですもの。
その15 音声を聞く
雨がふりますと、またそうして雨が多かったものですからね。掘っ立て小屋いっても、ああなんですか、もう材木の、残った材木をたてかけたような。
もうそれこそ人の住むような家じゃなかったもんですから。上からの崖から流れてくる水と、その下水が、もう掘っていませんでしたからね。埋まってしまっていますものですから排水ができなかったです。
とにかく蝙蝠傘一本でおばあちゃんと妹と三人ですね、もう本当にずぶぬれになって夜明かしした日もありました。で、もう夜が明けたら、もう夜具もびしょびしょだし、もう下駄はプカプカ浮いているしですね、もう本当に濡れて死ねるものなら、このまま三人息が切れるといいがな、といって夜を明かした日がありました。
その16 音声を聞く
焚く物がないんです。本当、あの焚き物がないほど辛いことはないですよ。下駄から靴からみな燃やしましたね。おくどさん(かまど)に。汚いもなにも言われない。
で、夜にね、どうしてもその明日焚くものがないから、どっかの木を盗みにいこう言うてね、盗みに三人が行くんですよ。毎晩。あのね、盗りにいかにゃあ、どこかにね、木をとりに、盗みに行くかんきゃいけんけど、昼、どこぞあるか思って見ておくんです。そして夜になるとね、それを盗みに行くんですけどね。
その保母の女の子いうのは、ものすごう利口でしたからね。で「おばちゃん、行こうや」いいますから、で、もう一人の友達と三人で行って、そしてあの風呂屋のね、薪を盗りに行くんですよ。風呂屋に積んでるんです。
そしたところが、私が一番それが下手なんですよ。ほいでね、そろっと盗ろう思うのに大きな音をさしてね、崩れたりしてね、そいで「おばちゃんが一番下手じゃ」いうてからね、その女の子が言うんですよね。
そいでその友達はね、やっぱりその土地をよう慣れているからね、どこからか大きな柱下げてきたりしてね、それを、くどへくべるんです。ほいで私らはないでしょう。じゃけん、どこからか、その盗んでこにゃ本当にないです。
その17 音声を聞く
「こどもが生まれるけ、来てくれ」いうて呼びにきますでしょ。それで、どこでうまれるかいうたら今の鶴見町の焼け跡におるんじゃ、いうていいます。
いうたところが、行くだけのことで消毒薬が一つあるわけじゃございません。鋏一丁あるわけじゃなし、糸が一つあるわけじゃなし、もう何も、綿も何もないんですからね。
風を防ぐために屋根に筵みたいなものがあって、そこでですけんね。どうにもなりませんですよね。まあ、ほんの行って介添えするだけのことです。
ほいで、まあ介助してあげて、そして、バケツのの焼けただれやなんかでお湯沸かして、そいでようよう赤ん坊だけは洗うてあげたんですけど、あとの消毒することもどうすることもできません。そいじゃ人間というのはああいう時は病気も起こらないもんですね。
その18 音声を聞く
喜んでくれる人は、みな亡くなったし、女ばっかしだしねぇ。どうしてまあ祝おてやることもできませんし。それで出産しても、ちょっと一時間ぐらいは置いていたんですよ、産婆さんが間に合わないんで。
私、長男が出産したいうたら喜ばにゃいけなかったんでしょうけどねぇ。あの時にゃ本当に、嬉しい、喜んでいいのか悲しんでいいのかねぇ、子供に対しては悪いんですけどねぇ。
その19 音声を聞く
そいでもあのう、何とか一命を取り留めるようになりまして「鏡を見せて欲しい」って言っても「壊れて無い!」って言うんですよね。
それでまあだんだん良くなりまして、あのう、家族の隙を見て起き上がってみたんですけどねぇあのう、そのね、鏡台なんか壊れて無いって言うのにでんとあの姿見ですから割と大きいんですよね。座ってるんですよねぇ、きちんと鏡台掛けも掛ってるんです。
「な~んだ有るのに」って思って私その、這って、その鏡台掛けを剥ぐったんですよね。そうしますと、なるほど三分の一ぐらい残ってるんです。
で、私を写すのには充分残ってますのでねぇ、初めてあのう、自分を写してみたんですけど。まあ、当分信じられませんでした。で、まあいくら見つめていましてもねぇ、昭和20年の8月6日の8時15分までのほんとの姿を再び見出せることは出来ませんでした。
国の為に善かれと、みんなが尽くしたその結果がですねぇ、現実の自分になろうとは、疑ってもいませんでしたのでね、ほんとに大きなショックでした。で、ましてあのう、女から美を奪われるっていうことは死にも等しいものだと言う事を、少女時代から青春代を迎える頃に非常にあのう、苦悩しました。
その20 音声を聞く
鏡を見たがっても、母も妹もどうしても見せてくれないんです。どうして見せてくれないんだろうかと思って。
一度歩けるようになった時に、洗面所の所に行って自分の姿を見た時に、これが自分と思わなくて、誰か後に男の方がいらして、映ってるんだろうかと振り向いたら自分だけだったもんですから、もう吃驚して気絶した、と言うようなこともございました。
もう髪はもう、剥げてしまって全部抜けてしまって。顔はもう赤くなってしまって引きつって、ケロイドがもうできまして、もう、それこそ見られる姿じゃなかったんですね。
もう。その時はやっぱり、言葉でこう言い表すことが出来ないようなショックを受けたんですけど。
今になって考えると、よくあの時自殺しなかったなあ、と言うような気が致します。こうあんまり小さい事ですけど、やっぱり。女性って言うのは顔を、あ、こう、可笑しくなると言うことは辛いことでございます。