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広島・長崎の被爆者の声(2) (8枚目のCDの31から37まで)

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kousei

通常 広島・長崎の被爆者の声(2) (8枚目のCDの31から37まで)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:32
kousei  管理人   投稿数: 4
 
その31 音声を聞く

 おじと二人で夜道歩きながら、その、おじが、も、これから先、ここから向こうは自分の田んぼだから、とか、もし父にもしものことがあっても心配することないとか、そんなこといろいろ言うんですよね。
 それでも、そんなに父がもう危篤の状態だちゅうことには思い当たりませんで。そいで、おじのうちまで行きましたら、もう、それこそ特有のなんですか、斑点と、もう、髪の毛が抜けるしですね、も食事は喉通らないし。

 そしてもう伯母が、とにかく自分達がやっても、も食事受け付けないから、も、お前がやったら少しは喉が通るだろうちゅうこと。
 それで食事をさせようと思っても、もう、なんちゅうますか喉から次々に、ちょうど言えば、肝臓みたいなですね、塊みたいなのが、もう次々上がって来るんですよ。そいでもうしまいにはとうとう箸でつまみ出そうとしても、もう出てこないわけですよね。

 そんな状態でもう苦しみまして。で、九月の三日、とうとう息を引き取りましたもんですからね


その32 音声を聞く

 そうこうしているうち九月の四日の朝が来て、そいで私は鏡に向かっていつものように、こう頭を梳かすんですけれど、ま試みに、ほんとにふっと試みに、あの、髪の毛をこう掴んでみたらば、掴んだだけこう取れたんです。
 それで私は、はっとする、もう一度こっちで掴んでみたら、また取れたんですね。そいでその時に、やっぱし来るべきものが来てしまった。

 こう、お髭の真っ白い、あの、お医者様が、最善は尽くすけれども、あの、最悪のことを覚悟なさいと、いう風に、あの、言われたわけで、さて、一週間に、十日の命としたら、私は何をしなきゃならないかしら。そいであの、娘を呼んでもらいました。

 で、只一言も、しっかり生きて行きなさいよということだけしか、まぁ彼女には言いませんで、言うことがなかったわけで。
そして彼女と別れて、だけど気持ちがもう、とっても動揺してましてねぇ。

 だから古代の名僧や、あの高僧という人達が従容として死に就いた、ああゆう人達は、もうなんて素晴らしいだろう、私はこのまんま逝ってしまうのかな、私なんにも、なんにも私は、あの、残らないじゃないかっていう思いでね


その33 音声を聞く

 四日の夕方に、風呂へ入りなさい言うから、入らしてもろうて、もう上がろう思うてね、体を拭きよって、せなをこう拭こ思うて、タオルをこう、せなをこう後ろへ、こう掛けた思うたら、こう、後ろがどうかね、なったようにしたん。

 それぎりもう動かれんようになって、そいでほかのも来てから、抱えてもろうて、そいで母屋の方へ連れて、寝さして貰ろうたぎりす。
 隣の間で、ぼそぼそぼそぼそ、ね、まぁ、あたし、ここ寝とると、あっち、襖ひとつ向こう。小声で言いよるじゃろうけど、あたしゃまだ意識はしっかりしとるし、耳やてまだ、ぼやっとしとっても聞こえるんですよね。はぁ、もう死相に変わってきたし、脈も、はぁ、止まってから、あれするすけ。今晩何時じゃろう、ようもてても12時くらいじゃろ---まで持てんでって、言いよるけん。 隣で話をするんでしょ。

 そいで私はね、その時ね、あぁーっ、死ぬのが恐ろしいとも、死にとないとも思わんです、その時に・・こゆよなとこは来とうなかった。ここへ来て死ぬるんじゃったらね、
 みんなが死んだ広島で死にたかったのう、
 みんなが死んだ広島で死にたかったのう。


その34 音声を聞く

 九月の五日の晩でした。その時に、これはもう最期だなという覚悟をしたんです。と言うのは、もう意識が朦朧となるのが、自分で分かるんですね。
 深い・・・ ずーっと底知れんとこへ落ちて行くという実感ですね。これは、明日の朝まで、もてるか、もてんか分からんという覚悟をしたんです。

 それで夜の夜中ですが、うーん、一言(ひとこと)工場の人にお礼を伝えて欲しいという気持ちがあったもんですからね、誰か呼べというようなこと。来ましてね、「しぇんしぇい、どうされたんですか?」言よるから、「いやぁ、残念ながら、もう最後じゃ、意識が朦朧となるのが今日は分かる、はっきり分かる。
 で、明日の朝になって口が利けるかどうか分からんから、利けるうちに、一言お伝えを願いたい。他ではないが、ただ長いあいだ皆さんにお世話になりました」ということの一言、それだけ。


その35 音声を聞く

 長女は九月の六日に亡くなりました。もう、そりゃあもう非常な苦しみかた、白血病というのは、ああいう風に苦しむんだと、後になって聞きましたけれども。もう殺して頂戴、殺して頂戴と、言うぐらい苦しみました。

 そいでもう、体中に蚊が刺したようなねぇ、斑点が無数に出ましてね。亡くなった時には、涙まで血の色をして、40度を越える熱と、血便とで、もーぅ、ずいぶん苦しんで亡くなりました。

(しばらく無言)そのうちに突然手を振り上げてね、どうしてこの呪いの光線を知らしてくれんかったか、って、一声言いました。


その36 音声を聞く

 すぐ主人は、その、新興善の病院《小学校に設けられた救護病院の一つ》に行ったんですよね。
 ほしたら新興善の病院ではですね、も斑点が出て髪の毛が抜けかかったら、もう治療の方法はありましぇんよちゅうて追い返されとっとですよね。

 ほいでもうしゅーんとして帰って来るでしょ、ほいてからもう、一月経った日に、あの、和尚さんを呼んでですね、母や子供達のあのぅお経を上げてもらいよったんですよ。
 自分もですね、阿弥陀経を口の中で、ずーっと言よったんですけどね、「お婆ちゃんや、たかしが迎えに来たよ」と言ぅ、もう言うた時は終いだったんですね。

 もう主人が死んだときは、もう生きる気持ちはぜんぜんありましぇんでした。四人の子供が死んでも主人がおればですね、何とかなるだろうと思って、それだけで気が張っとったんですけど、その後はもう一緒に死にたいという気持ちだけがいっぱい。


その37 音声を聞く

 被爆してから、ちょっとした空き地があったら、こう穴を掘って土饅頭ができてるんですよ。結局死体を埋めてるわけなんですよね。埋めて土をかぶしてるから、こう土饅頭になってるわけ。

 ほすとその土饅頭のうえに月見草が咲いてるのがねぇ、丈は伸びてねぇ、ほしてこんな大輪なんですよ、花が。それがねぇ夕方になったら、こう土饅頭の形にこーうなって月見草が咲いてるんですよね。それ見たら、もうぞーっとなってね、あんなに好きだった月見草がいやになりましたね。

 あの下に死体があって、その死体をね、死体の栄養吸い上げてあんなに大きな大輪が咲いてるんだなぁ思ったら、なんかその月見草が。
 可憐な月見草なんて面影ぜんぜんないんですよ。こんな大きなね、大輪の月見草が咲いてるんですよねぇ。

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