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広島・長崎の被爆者の声(2) (8枚目のCD)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2006/7/14 0:40
kousei  管理人   投稿数: 2
 
このCDは9枚組の8枚目で、広島・長崎の被爆者の声(2)が記録されています。これには37の音声記録が収められていて、それらのテキスト化されたものがここにはアップされています(便宜上10記録毎に分割されてアップされています)。各記録の音声は「音声を聞く」をクリックすれば聞けるようになっています。もしテキストに脱落や誤りを発見された場合は、「感想の部屋」からお知らせいただくと幸甚です。
  

なお、テキスト化された記録を読むには、

1)CD1枚分の全てを一望するには、「フラット表示」で読むことをお奨めします。見ている画面の左上の「フラット表示」をクリックすると「スレッド表示」から「フラット表示」に変わります。

2)記録のスレッド(コメントツリー)は時間的に降順になっています(下から上です)。これを昇順(上から下)にして読みたい場合は、「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」のメインメニューの下部の「ソート順」で「降順」を「昇順」に変更して送信を押してください。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:27
kousei  管理人   投稿数: 2
 
その1 音声を聞く

 私のいとこの子がね、純心の二年生でしたかね、そこに挺身隊でいっていたんです。
 その子はね、髪がね、きれいにとれてしまうのね。そしてね、自分の死を予言しましたよ。
 私にね「おねえちゃん、私の髪をね、きれいに三つ組みしてくれ」っていうの。 できないですよね。ただ少し残ったのがチロチロってしているだけ、丸坊主ですものね。

 「どうして」っていったらね。「わたし、(わたしたちカトリックでしょ)、わたしね、マリアさまのところへ行くの、あした・・いや、あさって」って云いましたね。

 「だからね、マリア様のところに行くから髪をきれいにさばいてね、三つ組みにして行きたい」っていうんですよ。「だって、あんたの髪はないよ」って言えませんしね。「そうね、きれいにしてあげよう」っていって、まあ櫛でね。櫛でこうすると少し残っていたのも抜けてしまうんですよ。もう本当に髪をこうするでしょう。しただけ、ぽそっと抜けてくるんだから。

 そして、やっぱり自分が言ったとおり、あさっての日がきたら亡くなりました。マリア様の歌を歌って。そして静かに息を引き取ったんですよ。だからあの子は本当にそのまま天国のね、マリア様のこところに行っていると思います。
 「あらぁ、この子は自分が天国に帰る日を予言したね」って私たちは・・・・。


その2  音声を聞く

 今になって思いますと、まあ浦上地区の方が大半だったせいなのか知りませんけれども、騒いだり、暴れたり、というような患者の方は、ほとんどおられなかったですね。
 やはり、朝夕、必ず食事の前には敬虔な祈りを捧げるとか。原爆の洗礼を受けたこと自身を、やはり自分に対する試練という風にお考えになっていて、もう非常に敬虔な静かな闘病生活といいますか、そういうことをやっている方のほうが多かったんじゃないかと。

 それで夜回りに回りましても何か気味が悪いくらい静かな病室でしたねぇ。もちろん、あのうめき声といいますか、苦しさのために泣くとか、呻くという声はありますけども。
 それもその、耐えて、耐えて、耐えているんだけれども、どうしても声が出るという風な感じの声ですね。

 従順で医者の言うこと、看護婦のいうこと、非常に忠実に、非常に大人しく、言われたとおり聞いてくださった患者の方が大半だったようですねぇ。


その3 音声を聞く

 私の隣には、田川福松さんのお嬢さんのメリコさんというのが寝ていたんですね。ところがメリちゃんがですね、もう夜通しお祈りです。あの人うちの生徒で一年生だったんですね。小さなまだ13でございますよ。

 そのお嬢さんがですね。もうマリア様への「めでたし聖寵満ち満ちているマリア 罪人なる我等の為に、今も臨終の時も祈り給え」って、もうそればかり夜通しです。
 そして、あのこの血を吐くんでございますね。その血がまるっきり黒い綿です、血綿なんでございますね。それをギョッ、ギョッ、ギッヨッと吐いては「めでたし聖寵満ち満ちているマリア」って夜通し祈りです。

 それで電灯はございませんしね。それから光が一つもない真っ暗な中なんです。真っ暗ななかで祈りしてそして、あの死んでいかれましたけどね。
 苦しみを訴える人じゃなくて、みんな祈りの声なんですね。38名みんなそこで亡くなりましたけどね、その人達の最後のきれいなこと、まるっきり聖歌を歌いながら子供たちは死んでいくんですね。

 それをおとうさんやおかあさんが見るんでございますね。それで「ああ、娘は非常にきれいな最後を致しましてありがとうございます」という言葉を聞くんでございますね。

 私はもうとにかく長崎の信者のすばらしさには本当にあの、これはあの私の10年間の教育方針が間違っていなかった、これならばこそ、余計私たちは、それこそ、光を輝かしてあの・・・・


その4 音声を聞く

 トラックで顕微鏡積みましてね、それで衛生兵や看護婦さん連れて行って。そしてあっちこっちの防空壕の中にまだたくさん患者さん残っているわけですね。
 そういう人集まってきますから白血球数えてあげて、それで重そうな人は連れて行くと。まあ、そういうことをやっていましたけれどね。

 私が一番こう印象に残っていますのはね、あの浦上の天主堂ですね、あそこへ行きまして、20代前半くらいの女性だろうと思うんですけども、家族は全部死んだような話でしたけどねぇ。
 その人自身もう出血斑もう顔に出ているしね、もうそうは持つまいと思われるような人でしたけども、入院勧めたんですけどもねぇ、家族が死んだここで自分も死ぬんだと、どうしても離れないんですね。

 まあ、一般にあの辺の丘は、まあキリスト教信者の方が多くて、まあ丘に居る限りはイエス様が守ってくれるけども、出ちまうとだめだと、まあそういうような考え方が相当根強くあったように思いますけれども。
 その人は、まあいわゆる迷信とかねぇ、そういう風な感じじゃなくてですねぇ、父も母もここで死んだんだと、私も死ぬならここにいますと、ご好意ありがたいけども結構ですからと、実にはっきりしていましたね。それで泣いたりわめいたりするような人は一人もいませんしね、見事なもんでしたね。

 やっぱり宗教というものは強いものだなと痛感しましたね。あの当時の入院患者、外来すべての人がですね、死に際きれいだったということですね。嘆き悲しむっていうような光景は全然なかったですね。不平をいう人もいなかったなぁ。見ててね、非常に崇高っていう感じでしたね、みんな。

 これはもう長崎市の人がね、後々に至るまでね、誇っていい事実だと思いますね、私は。


その5 音声を聞く

 どんどんどんどん傷口が膿んでくるわけですね。で、あの表面だけでなくて、あの中身までこう膿んできて血膿がどくどくどくどく出るわけです。
 で、あのう首がもう動かせない、手も動かせない。で、足もちょっとやけどしています。で、仰向けに寝たままですね、手を胸の上にこう当てて、首も寝返りも打てない、足をちょっとこうひざを曲げて寝たっきりですね。

 で、夏ですし膿んでこうドロドロドロドロ流れ出す、だから包帯を日にして三度も四度も換えなければいけない。それが非常にまあ、父と妹が換えてくれたわけですが、あの非常に臭いんだそうですね。
 それから、あのう、換えるのに包帯をはがすのが、もう痛くてですね、しばらく、もう痛むわけです。で、夜も痛んで呻いて寝なかった。父が「男だろう、我慢すれ」ってもう叱り飛ばしながら包帯換えたりしてくれていましたがね。

 で、毎日その川原で死体を焼くんですよね。その煙が上がっているいう話が聞こえてくるわけです。で、自分もいつそういうことになるかなあーー思って心細い思いでしたがね。で、その心細いと同時に、それよりも、まずあの傷が痛む、走る、それがもう一番の苦痛でしたね。


その6 音声を聞く

 もう、そのときの治療は、今でも忘れません。
あの、このケロイドの上に薄皮が張るんですね。その薄皮が張ったら大体痛みが、まあ痛いことは痛いけど、その薄皮が張っているものだから黙って。痛いっていえば痛くないわけですよ。
 ところがその薄皮を病院にいったら「バッ」と剥ぐんですね。薄皮を剥がれるときがね、も、本当、この世の地獄でしたね、生き地獄。

 ああもう戸板にかつがれるときはいいけども、降ろされたまではいいけども、お医者さんがあの、ピンセットっていいますの、あれ見たら、いきなりまあ、ああ、何んと言うていいかね、もう本当、この世の地獄だねって。
 これを何時までこの痛みはあるんだろうかって、泣かないけどね、悲鳴を上げていましたよ。「ぎゃあ」とね。痛いんですよ。「バァ」と剥ぐんだから。みんな。先生が鬼みたい。


その7 音声を聞く

 座敷に蚊帳を釣って、寝せてもらったまんまでした。もう、足は腐るし、蛆はわくしですねぇ。
 私のすぐの妹になるのが5才か6才だったですけど「アンチは臭か、アンチは臭か」といって座敷にもぜんぜん来なかったんですよね。自分ではあまり臭いはせんとですけどね。

 それで私がやっぱり治ったのは、はじめまだ馬の油がよかとかいうんて、馬の油をつけてくれたりなんかしてたんですけど、そんなのも、もう範囲が広いもんだからですねぇ、間に合わんし。それからビワの腐れがいいだろう、茂木ビワ 俗にいう、あれの腐ったのがいいことも聞いてそれもしましたねぇ。
 柿の葉っぱとスルメと煎じて飲んだり、柚子とスルメと煎じて飲んだり、いろいろしました。

 しかし、一番飲みにくかったのは山桃の皮が一番飲みにくかったですよ。私は飲みきれなかったですなぁ。もう苦かうえに、イリイリイリイリ、口がいらつくわけですよね。
 これだけは私は飲みきらず吐き出したですけどね。
それから「酢」。酢も、もう、でもそのおばさんが荒療治ばかりしてくれてからもう、そうガーゼを、こうしてですね。薬をつけて。
 そうするとそのバリッと剥ぐんですよね。「あ、痛っ」で泣くでしょう。「なんが痛かっ」ってなんて怒られて、みてみるともう真っ黒に膿のようになるのがこってり出たですねぇ。


その8 音声を聞く

 麻酔もありませんで。そして「やめてぇ」「やめてぇ」「もう痛いからやめてぇ」っていって。
 もう軍医さんは「やめたらお前は死ぬぞっ」って。「もう、死んでもいいからやめてっ」。
 それほど辛い痛い思いをして。もうガーゼも不足していた時代でしたんで。使ったガーゼを洗濯して、土鍋で煮沸さして、それを私の傷口に、もう薬がないもんだから、食用油に浸して、割り箸で父が、その傷口に詰め込みました。
 
 それで昨日入れたガーゼを抜き出すときの爛れた肉がついてきて、もう皮をむしられる思いで、朝の来るのが辛かった、そういう思い、今も身震いします。


その9 音声を聞く

 「こんな苦しければ殺してくれ」っていうようなことをですね、いっておったです。
 全然その動けることできなかったわけですから。咳が出ていても、それを喉に痰が詰まって、それを自分の力で吐き出すことは出来ないっていうようなことで。
 2回ほど息が止まってですね。なんですか、もうあの世まで行ったっていうようなこともあるわけですね。

 その当時おられた、その病院の先生とか看護婦さんですね。また身内のものまでもいっていたけど、私が助かるというようことは誰一人としていっていなかったし、私自身ももう苦しくてですね、もう「殺してくれ」って言うようなことも盛んにわめいておったわけですから。
 ま、その間の苦しみっていうのは、本当に実際にそれにですね。あったことがない人は本当に知らないと思うんですね。
 その私の傷っていうのも、後ろから行って背中の方が全部、腰がバンドしていただけ残っただけで焼けているしですね、うつぶせに寝たっきりだったから胸のほうが全部床ずれでですね、傷だらけになっているし・・・・・


その10 音声を聞く

 早く言えば倉庫みたいなところでしょ。ただ、だから屋根があって柱がたっとるいうだけのとこですよね。
 それで私のおばあさんがねぇ、なにいうことなしに蚊帳もってでとったんですよ。蚊帳をおね。そしてその蚊帳が結局家でしてね。そして、あの薮蚊にも刺されませんしね。それで私も怪我しとりましても、蛆もわかんと済んだんじゃろう思うんですよね。

着るものいってもないですね。
 まあ背中が焼けとりますからね、着られもしませんしね。で、鍋釜ないですからね。で、何処からか缶拾ってきて、それで芋の茎やらね、なんかこう焚きましてね、昔のその、それこそ原始時代の生活ですよね。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:29
kousei  管理人   投稿数: 2
 
その11 音声を聞く

 どこぞで木拾ってこうよういうんで、あっちこっち木を拾いましてねぇ、それで掘っ立て小屋みたいなん建ててくれたんですよ。
 ちょうどこの6畳の部屋ぐらいの家建ててくれたんです。それも素人が建てるんですけねぇ。ええ具合になんか建ちゃしません。
 ただこう掘っ立て小屋、四角なの、ルンペン小屋みたいなの建ててねぇ。それに寝起きしよったんですよ。

 雨は降るし、土砂降りには布団は濡れるしねぇ、下は土ぺたに持っていっておいとるんだから。布団はびっちゃり湿りが回ってくるしねぇ、気持ちのええもんじゃないですよ。
 こう幅の狭いの寄せ集めている板でしょう、その間から雨の露がみな上がってね、布団がみなそれを吸うでしょう。だから布団がじっとりしてくるんですよね。

 それでも私ゃもう当分起きて座って、あれでもひょっとしたら戻って来やしまいかと思ってね、主人が帰ってきやしないか思って、座って待っとりよったですよ。帰ってきやしないか、もう帰ってきやしないか思ってね、待ちよったですよ。


その12 音声を聞く

 火傷をした父にすぐ、その、弟のことが心配だから探しに行こうかって私いうたんですよ。しかし父が反対したんですよ。
 「危険だから行ってはいけない」と。
もし父が反対せんかったら私も探しに行っとるでしょうし、探しに行ったら恐らく放射能で命がなかったでしょうね。

 まあ、弟のことが気になりましてね、私も。そのことばっかり思うて暮らしとったわけですが。
 夢の中へ弟が出てきてね、そして「一体、その、お前は、何処でどうなったんか」と。「兄さん、実は僕は己斐の蓮照寺という寺で死んだ」と。
 で、あわてて、その寺を探してみたんですがね、事実、あったわけでね。私、これには、まあ驚いたですよ。字まで教えましたね。

 そこで、そのお経あげてもろうたりしたわけですがね。まあ、決してその迷信を信じるとかいうことではないですがね。


その13 音声を聞く

 だから結局分からんずく。だからどうも葬式をする気にもなれんしね。そのうちまた、帰ってきはしないかという一縷の望みをもっとるし。
 かといってもう探すところは大体まあ周辺のなには、ここいらの人らがあまり行ったという話しは聞かんようなところは、みな探しましたがね。結局見つからん。

 最後にちょっと落ち着いてから、市のほうになんですな、いろいろなこの資料をこう集めましたからね。
 それを見には行きました。行ったけど、それになにか書いてあるのがねぇ、みなもう当時のザラ紙の変な紙にね、いろいろな、まぁいろんな、まぁ紙に書いてあるのを見て「ま、これじゃあどうも手のつけようがないな、分からんな」思うのだが、なかには「男女不明」って書いてあるのもあるし、「推定何歳くらい、男」っていうようなんでしょう。
 それからもう、全然ね「これを見たってしょうがないな」思いながらも、まあ、ずっとめくりましたがねぇ、全部。


その14 音声を聞く

 バラックを建てて、そこで食堂、小さい食堂を始めましたの。そうするとねぇ、6時頃になるとねぇ、もう暗いでしょう。
 隣いうても見えん、向こうの方の方でしょう。そして死人を焼くのが、学校で焼くのが、前ですからね。臭いはするし、ほいで、ガサガサガサガサ近所をね、人が歩くような、犬が歩くような音がすると、夜っぴいて私、子供を抱いて眠らんと座っていたことが何日でもあります。

 それは恐い恐い思いをしました。電気はなし、ただの重油を貰って、あれに生地を少しこうはめて、少しの明かりでしのぎましたがねぇ。真っ暗でしょう。隣いうても声立てても聞こえるようなところじゃなしに、みんな掘っ立て小屋ばっかりでしょう。もうこうしてみると広島じゅうが一面に見えるんですもの。


その15 音声を聞く

 雨がふりますと、またそうして雨が多かったものですからね。掘っ立て小屋いっても、ああなんですか、もう材木の、残った材木をたてかけたような。
 もうそれこそ人の住むような家じゃなかったもんですから。上からの崖から流れてくる水と、その下水が、もう掘っていませんでしたからね。埋まってしまっていますものですから排水ができなかったです。

 とにかく蝙蝠傘一本でおばあちゃんと妹と三人ですね、もう本当にずぶぬれになって夜明かしした日もありました。で、もう夜が明けたら、もう夜具もびしょびしょだし、もう下駄はプカプカ浮いているしですね、もう本当に濡れて死ねるものなら、このまま三人息が切れるといいがな、といって夜を明かした日がありました。


その16 音声を聞く

 焚く物がないんです。本当、あの焚き物がないほど辛いことはないですよ。下駄から靴からみな燃やしましたね。おくどさん(かまど)に。汚いもなにも言われない。

 で、夜にね、どうしてもその明日焚くものがないから、どっかの木を盗みにいこう言うてね、盗みに三人が行くんですよ。毎晩。あのね、盗りにいかにゃあ、どこかにね、木をとりに、盗みに行くかんきゃいけんけど、昼、どこぞあるか思って見ておくんです。そして夜になるとね、それを盗みに行くんですけどね。

 その保母の女の子いうのは、ものすごう利口でしたからね。で「おばちゃん、行こうや」いいますから、で、もう一人の友達と三人で行って、そしてあの風呂屋のね、薪を盗りに行くんですよ。風呂屋に積んでるんです。
 そしたところが、私が一番それが下手なんですよ。ほいでね、そろっと盗ろう思うのに大きな音をさしてね、崩れたりしてね、そいで「おばちゃんが一番下手じゃ」いうてからね、その女の子が言うんですよね。
 そいでその友達はね、やっぱりその土地をよう慣れているからね、どこからか大きな柱下げてきたりしてね、それを、くどへくべるんです。ほいで私らはないでしょう。じゃけん、どこからか、その盗んでこにゃ本当にないです。


その17 音声を聞く

 「こどもが生まれるけ、来てくれ」いうて呼びにきますでしょ。それで、どこでうまれるかいうたら今の鶴見町の焼け跡におるんじゃ、いうていいます。

 いうたところが、行くだけのことで消毒薬が一つあるわけじゃございません。鋏一丁あるわけじゃなし、糸が一つあるわけじゃなし、もう何も、綿も何もないんですからね。
 風を防ぐために屋根に筵みたいなものがあって、そこでですけんね。どうにもなりませんですよね。まあ、ほんの行って介添えするだけのことです。

 ほいで、まあ介助してあげて、そして、バケツのの焼けただれやなんかでお湯沸かして、そいでようよう赤ん坊だけは洗うてあげたんですけど、あとの消毒することもどうすることもできません。そいじゃ人間というのはああいう時は病気も起こらないもんですね。


その18 音声を聞く
 
 喜んでくれる人は、みな亡くなったし、女ばっかしだしねぇ。どうしてまあ祝おてやることもできませんし。それで出産しても、ちょっと一時間ぐらいは置いていたんですよ、産婆さんが間に合わないんで。
 私、長男が出産したいうたら喜ばにゃいけなかったんでしょうけどねぇ。あの時にゃ本当に、嬉しい、喜んでいいのか悲しんでいいのかねぇ、子供に対しては悪いんですけどねぇ。

その19 音声を聞く

 そいでもあのう、何とか一命を取り留めるようになりまして「鏡を見せて欲しい」って言っても「壊れて無い!」って言うんですよね。
 それでまあだんだん良くなりまして、あのう、家族の隙を見て起き上がってみたんですけどねぇあのう、そのね、鏡台なんか壊れて無いって言うのにでんとあの姿見ですから割と大きいんですよね。座ってるんですよねぇ、きちんと鏡台掛けも掛ってるんです。
 
 「な~んだ有るのに」って思って私その、這って、その鏡台掛けを剥ぐったんですよね。そうしますと、なるほど三分の一ぐらい残ってるんです。

 で、私を写すのには充分残ってますのでねぇ、初めてあのう、自分を写してみたんですけど。まあ、当分信じられませんでした。で、まあいくら見つめていましてもねぇ、昭和20年の8月6日の8時15分までのほんとの姿を再び見出せることは出来ませんでした。
 
 国の為に善かれと、みんなが尽くしたその結果がですねぇ、現実の自分になろうとは、疑ってもいませんでしたのでね、ほんとに大きなショックでした。で、ましてあのう、女から美を奪われるっていうことは死にも等しいものだと言う事を、少女時代から青春代を迎える頃に非常にあのう、苦悩しました。


その20 音声を聞く

 鏡を見たがっても、母も妹もどうしても見せてくれないんです。どうして見せてくれないんだろうかと思って。
 一度歩けるようになった時に、洗面所の所に行って自分の姿を見た時に、これが自分と思わなくて、誰か後に男の方がいらして、映ってるんだろうかと振り向いたら自分だけだったもんですから、もう吃驚して気絶した、と言うようなこともございました。

 もう髪はもう、剥げてしまって全部抜けてしまって。顔はもう赤くなってしまって引きつって、ケロイドがもうできまして、もう、それこそ見られる姿じゃなかったんですね。
 もう。その時はやっぱり、言葉でこう言い表すことが出来ないようなショックを受けたんですけど。

 今になって考えると、よくあの時自殺しなかったなあ、と言うような気が致します。こうあんまり小さい事ですけど、やっぱり。女性って言うのは顔を、あ、こう、可笑しくなると言うことは辛いことでございます。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:30
kousei  管理人   投稿数: 2
 
その21 音声を聞く

 母が気い利かしてですね、ベットの傍に全然鏡を置いて無かったんですね。自分でその姿を見たらつまらんと思ったんでしょう、気遣ってですね。
 そいで、雨の降る時なんかは、雨戸を閉めるようになっていたんですね。で雨の日でしたけど、起きて、座って何となくこう横向いたんですね。そしたらそのガラス戸で映ったんです、自分の姿がですね。でも、その時のほんとにショックですね。

 私はあのう、カトリックですから信仰の精神て言うんですか、もう与えられた使命だと思ってですね。どうせこれがあのう、私に与えられたね、神様の十字架だから忍んで行かんばつまらんなあ、と思ってですね。


その22 音声を聞く

 鏡をですね、あのう、拾って見た瞬間が絶望的なんですね、もう目が両方こう下の方に下がっているんですよ、瞼が。
 まあね狐みたいな顔になってしまいましてね、それでですね、見た瞬間私、鏡の、あのう切りっぱなしをポーンと捨てたんですよ。

 まあ誰もそうだったでしょうけどねぇ。自分がこれだけ傷を負ってこの顔の傷をねぇ、世の中にこれから先ほんと晒して行かんばならんって、絶望感ですね。
 24歳で原爆受けた当時はまあ花の盛りだったもんですからねぇ。まあ人並みの、人並みであったかはまあ分りませんけど、自分ではまあ人並みにあったろうって、まあ誇りを持って居ったんですよ。

 それがもう一瞬にしてそんなしてもう、まあ不具者になった訳でねぇもう、うすい信仰でありながらもですね、ああほんとねぇ、もうこれを捧げなければね、な~んかのやっぱし自分にも償いがあったのじゃないかね、これを耐えて行かねばならん自分の、まあ神の摂理やら思し召しだったということもありましてですね。まあ、捧げるもののですねやっぱり人間の弱さ、やっぱし、夜になればしくしく泣くことも何回かありました。


その23 音声を聞く

 その頃からボツボツあのう外へ出て、散歩しだしたんです。もう空襲も無いって安心感もあったでしょう。
 で少しずつ目をね、こう押し開けながら、外の空気をつけて歩く習慣もつけなければ、あのういつまで経ってもね、元気出さなければいけないって言う事もあったんです。で散歩してました。

 そのある日ねぇ、殆どねえ元気が出て歩いても目もフラフラするん言うことも幾らか少なくなってねぇ、やや元気が出た訳なんです。
 そいでね、井戸端をね一生懸命こう井戸の水を覗き込んでたら、今日はもう物凄くねぇ、はっきり見えるんです、顔が。そいでねぇその顔がね、あのう顔かたちが綺麗に見えるんですねぇ、お化けになったような顔が。

 ほんでその時のねぇ、あのもうほんとにその時こそね、もう絶対にこれからね毎日毎日良くなるんだって自信を取り戻しましたね。
 もうほんとに絶対に死なないっていうような気がしましてね、その時に何だか自分でねぇ嬉しかったですねぇ。


その24 音声を聞く

 医務室から帰って来る時に初めて、薄目を開けたら目が見えるんですねぇ、私の目が。
 そいでなんのことはない、その学校の廊下をずうと歩いたところが、学校の廊下に鏡が有った訳ですよ。それ鏡ということが気が付かないでですね、随分向こうからですねひどい人が来るなーと私も見たわけなんです。
 したらその向こうから来るんじゃなくて自分なんですね、それが。それでね吃驚してですねぇ、これが自分かと。

 いやもう眉毛は無くなっちゃってるし、それから耳からですねぇ、この耳の柔らかいところから全部もう、真ん丸なっちゃってるんですから、パンパンなってるんです。それでそれにかさぶたを取って、それに油を塗ってるもんですから。その赤膚の出たですね、いやもうほんとにねぇ、見られない状態でしたね。

 それで、その時にまあ私達よりも傷の軽い人達がですねぇ起きて、まああのその食事の世話だとか、その辺掃いたり片付けたりしてくれたまあ、戦友が何人か居るわけですよ。

 そうしますとねぇ、そういう世話をしてくれた人がですねぇ、その翌日になると、その毛布が起きないんです。もう、この世の人じゃないんですよ。その傷の軽い人ほどそういう、結局見るに見かねて自分達でそのそういう世話をして呉れたんですけども。

 それが、結果的にはその翌日は亡くなっとる、と。それが一人だけなら、あの人はっていう風に言いましたけれども。それがもう日を追ってですね、今日もだ、今日もだと言って。それでもう、私も・・・。


その25 音声を聞く

 どっこも怪我しとらん、ほいから焼けてもおらんが、髪やぁこう抜けたわうちんとこ来たら「母ちゃん髪こうやっとると引き抜けるんじゃろうか?」言うて。
 「こうやったら坊主になる」言うて。ほいで、あんた可笑しいなぁ、あんたはどっこも焼けとらんのにこうやったら髪が抜けるんが不思議ななぁ。

 それよりもまあ血をえっと吐いたわ。3合ぐらい吐いたろうよ。綺麗な血よ、その血が。始め、鼻血が出るようけど、ほいでこう紙をこう栓をしちみち、栓をしたら今度ぁ口い出るけん、どうしようかいうけん、あ、とうとうしようが無いけんの、ここ金だらい置いてあげるけんの、金だらいこうやっとりんさい。

 そしたら口からでも鼻からでも出るけん、出るときゃ出たら止まるけ。「ほいじゃがのう、うちは血が出るんじゃけん、どしても死ぬるかも分らんしなぁ」「死にゃせんやぁまぁ、血を出るだけ出しんさい!」言うて。出すんと死ぬるんと同じ…。6時なんぼかに死んだ。


その26 音声を聞く

 いわおは火傷しとったけどですね、あきらの方はまあ傷は脇の下にちょっとこの辺、傷があって。
 耳のところのちょっと切れとっただけだったですもんね。死ぬちょっと前にどんどん下痢してですね、あのう頭の毛も抜けてしまってですねぇ、弟の方はもう元気もんだったですからね。

 痛かては言わなかったですよ。でもひどう堪えてですねぇ、22日の日にですね、亡くなったんです。それから一週間後の27日にあきらが亡くなったですもんね。

 して、あきらはあのう言ってたですよ「具合の悪か時にはもうきちがいになるごとある」て。そしてひどうもう苦しがってですね「な~んて言われんとよ、もう僕はもう苦しか時はもう神経になるごとある」って言うてひどう苦しがりよったです。して歯茎なんかからも血が出てですねぇ。でこういう風な皮膚なんかもこう膨れてですねぇ、こう大きく膨れるんですよ、そこから血がこうもうね、噴き出すんですよねぇ。


その27 音声を聞く

 そういう風でそのう血がそうして出ますでしょう、二人とも。だからあのう上の子供はお尻からも出てましたですもんね。
 「むくむ」いうことは無かったんですけどね。なんしろ、この肌の色がもう、なんだか変な色になりましてね。そして食べ物も思うように食べられないんですよ、そういう風ですから。ほんだから痩せ細ってしまいました。

 そして私がそんなのを、洗いに下が川だったもんですから。川にその27日の日ですけどね、それを下に川に洗いに行って、あがって来たら、上の子が亡くなっていたんです。
 27日の午後1時頃でした。そしたら翌日にその弟の方がまたすぐ亡くなりました。妹も28日に亡くなったんですけども。そしたら長男が亡くなって、小さい子だけ助かった。


その28 音声を聞く

 「お母さん、鏡見せてちょうだいや!」言うて。ほんで「鏡はね、何処いったかわからんのですよ」言うて見せたら自分で恐れるからねぇ、ほいで見せんように「鏡が無いんですよ、原爆で何処へ飛んだんかわからんのですよ」「ほうねぇ」言うてからね。

 ほいでまあ、そのなりーその次のじゃから29日の朝ね、あのう「お母さんね、あのう今日だけじゃけんね今日限りじゃからねぇ、私しゃ先にね、参らしてもらいますから。お父さんもお母さんもね、後から参ってちょうだいよ」言うて。言葉はものすごうはっきりしとんです、ええ。
 そいでねあのう、ほいであのう今日限りじゃ、今日限りじゃ言うてからあのう、さあ、自分に分るんか知りませんがね。

 で、そういう風にこう言うた思いましたらね「お母さ~ん、嬉しいね~~~」言うてね。あのう「仏様が迎えに来てくれちゃったよ」言うて「嬉しいね~~~さよなら!」して言うてから死んでいきました。


その29 音声を聞く

 5人の子供でもふたりは行方不明になったし、2人の子供死んでも遺骨を1人も拾わんし、七つなるの女の子が最後まで患うとったんですけども。
 あれが8月末なったか9月初めなったか知りません、はっきり。死んで箱が無いで裏の方の家、潰れた所を箪笥の引き出し、拾ってその中で入れて学校の運動場のへりで焼いたけども。

 やっぱりね、木が足らないし雨は降ったし半焼けしたのの骨、やあ、これどがんしようか私が朝早う行って、歩かれんのぶんのちんば足して歩いてみたら、骨が半焼けで子供が棒でこう突付きまわりようてから、この、そしたころが、今に考えると胸がちぎれるようにね、何処の国に行ったら我が子を会おうかなと思って。

 いつまでも忘れよう思っても忘れられんし。行方不明のなって帰らんこともやっぱり死骸見んからあきらめることが出来ない訳ですよ。兵隊も何年経っても帰ってきたのこと聞くと。私の子供でも何処迷って居るんじゃないか、と。


その30 音声を聞く

 8月の31日の夜ねぇ、もうこんだ、凄う嘔吐しだしたんですよ、兄貴のほうが。
 ほいでもう、苦しい苦しいっていって七転八倒ですよね。そうこうするうちに、もうなんかひきつけみたいになっちゃって、朝方。それでもう死んじゃったんですよ。

 ほで その死ぬるちょっと前に姉のほうもね、「傷が痛いよ、傷が痛いよ」言ってて、姉がちょうど1時間ぐらい前に死んで、そいで兄貴は、原爆症ですか、そいでもってあの、死んだんですよね。その死んだ時に、ま、黒いあれがいっぱい、こう体じゅうにあったんですよ。

 ほいでこんだ親父も結局寝込んじゃったんですよ、体がだるいからちゅぅて。トイレ行きたいからちゅんで。ほぃでやっと歩いて、そこまで行ってトイレ・・するかしないかのうちに倒れて、親父が二日の日に死んじゃったんですよ。

 こりゃ大変だ、もうみんな、ほら三人も死んで行くし、僕一人になっちゃうから、お袋だけでも生きて貰わなきゃ困るからと思ってね。まぁ、その頃になったらね、だいぶそうゆうあの黒い斑点が出たら死ぬるってゆうのが分かってきたわけですよ。
 で、あの黒い斑点が出てるんじゃないのちゅて、こう見たらね、もうこのへんにこ(ぅ)黒い斑点、こうあるんですよね。

 ま、僕も気が気じゃないわけですよ。そぇで、結局、まぁ六日の日に亡くなったんですよね、六日の夕方。で、そん時もやっぱりこういう黒い斑点がいっぱい出てて

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:32
kousei  管理人   投稿数: 2
 
その31 音声を聞く

 おじと二人で夜道歩きながら、その、おじが、も、これから先、ここから向こうは自分の田んぼだから、とか、もし父にもしものことがあっても心配することないとか、そんなこといろいろ言うんですよね。
 それでも、そんなに父がもう危篤の状態だちゅうことには思い当たりませんで。そいで、おじのうちまで行きましたら、もう、それこそ特有のなんですか、斑点と、もう、髪の毛が抜けるしですね、も食事は喉通らないし。

 そしてもう伯母が、とにかく自分達がやっても、も食事受け付けないから、も、お前がやったら少しは喉が通るだろうちゅうこと。
 それで食事をさせようと思っても、もう、なんちゅうますか喉から次々に、ちょうど言えば、肝臓みたいなですね、塊みたいなのが、もう次々上がって来るんですよ。そいでもうしまいにはとうとう箸でつまみ出そうとしても、もう出てこないわけですよね。

 そんな状態でもう苦しみまして。で、九月の三日、とうとう息を引き取りましたもんですからね


その32 音声を聞く

 そうこうしているうち九月の四日の朝が来て、そいで私は鏡に向かっていつものように、こう頭を梳かすんですけれど、ま試みに、ほんとにふっと試みに、あの、髪の毛をこう掴んでみたらば、掴んだだけこう取れたんです。
 それで私は、はっとする、もう一度こっちで掴んでみたら、また取れたんですね。そいでその時に、やっぱし来るべきものが来てしまった。

 こう、お髭の真っ白い、あの、お医者様が、最善は尽くすけれども、あの、最悪のことを覚悟なさいと、いう風に、あの、言われたわけで、さて、一週間に、十日の命としたら、私は何をしなきゃならないかしら。そいであの、娘を呼んでもらいました。

 で、只一言も、しっかり生きて行きなさいよということだけしか、まぁ彼女には言いませんで、言うことがなかったわけで。
そして彼女と別れて、だけど気持ちがもう、とっても動揺してましてねぇ。

 だから古代の名僧や、あの高僧という人達が従容として死に就いた、ああゆう人達は、もうなんて素晴らしいだろう、私はこのまんま逝ってしまうのかな、私なんにも、なんにも私は、あの、残らないじゃないかっていう思いでね


その33 音声を聞く

 四日の夕方に、風呂へ入りなさい言うから、入らしてもろうて、もう上がろう思うてね、体を拭きよって、せなをこう拭こ思うて、タオルをこう、せなをこう後ろへ、こう掛けた思うたら、こう、後ろがどうかね、なったようにしたん。

 それぎりもう動かれんようになって、そいでほかのも来てから、抱えてもろうて、そいで母屋の方へ連れて、寝さして貰ろうたぎりす。
 隣の間で、ぼそぼそぼそぼそ、ね、まぁ、あたし、ここ寝とると、あっち、襖ひとつ向こう。小声で言いよるじゃろうけど、あたしゃまだ意識はしっかりしとるし、耳やてまだ、ぼやっとしとっても聞こえるんですよね。はぁ、もう死相に変わってきたし、脈も、はぁ、止まってから、あれするすけ。今晩何時じゃろう、ようもてても12時くらいじゃろ---まで持てんでって、言いよるけん。 隣で話をするんでしょ。

 そいで私はね、その時ね、あぁーっ、死ぬのが恐ろしいとも、死にとないとも思わんです、その時に・・こゆよなとこは来とうなかった。ここへ来て死ぬるんじゃったらね、
 みんなが死んだ広島で死にたかったのう、
 みんなが死んだ広島で死にたかったのう。


その34 音声を聞く

 九月の五日の晩でした。その時に、これはもう最期だなという覚悟をしたんです。と言うのは、もう意識が朦朧となるのが、自分で分かるんですね。
 深い・・・ ずーっと底知れんとこへ落ちて行くという実感ですね。これは、明日の朝まで、もてるか、もてんか分からんという覚悟をしたんです。

 それで夜の夜中ですが、うーん、一言(ひとこと)工場の人にお礼を伝えて欲しいという気持ちがあったもんですからね、誰か呼べというようなこと。来ましてね、「しぇんしぇい、どうされたんですか?」言よるから、「いやぁ、残念ながら、もう最後じゃ、意識が朦朧となるのが今日は分かる、はっきり分かる。
 で、明日の朝になって口が利けるかどうか分からんから、利けるうちに、一言お伝えを願いたい。他ではないが、ただ長いあいだ皆さんにお世話になりました」ということの一言、それだけ。


その35 音声を聞く

 長女は九月の六日に亡くなりました。もう、そりゃあもう非常な苦しみかた、白血病というのは、ああいう風に苦しむんだと、後になって聞きましたけれども。もう殺して頂戴、殺して頂戴と、言うぐらい苦しみました。

 そいでもう、体中に蚊が刺したようなねぇ、斑点が無数に出ましてね。亡くなった時には、涙まで血の色をして、40度を越える熱と、血便とで、もーぅ、ずいぶん苦しんで亡くなりました。

(しばらく無言)そのうちに突然手を振り上げてね、どうしてこの呪いの光線を知らしてくれんかったか、って、一声言いました。


その36 音声を聞く

 すぐ主人は、その、新興善の病院《小学校に設けられた救護病院の一つ》に行ったんですよね。
 ほしたら新興善の病院ではですね、も斑点が出て髪の毛が抜けかかったら、もう治療の方法はありましぇんよちゅうて追い返されとっとですよね。

 ほいでもうしゅーんとして帰って来るでしょ、ほいてからもう、一月経った日に、あの、和尚さんを呼んでですね、母や子供達のあのぅお経を上げてもらいよったんですよ。
 自分もですね、阿弥陀経を口の中で、ずーっと言よったんですけどね、「お婆ちゃんや、たかしが迎えに来たよ」と言ぅ、もう言うた時は終いだったんですね。

 もう主人が死んだときは、もう生きる気持ちはぜんぜんありましぇんでした。四人の子供が死んでも主人がおればですね、何とかなるだろうと思って、それだけで気が張っとったんですけど、その後はもう一緒に死にたいという気持ちだけがいっぱい。


その37 音声を聞く

 被爆してから、ちょっとした空き地があったら、こう穴を掘って土饅頭ができてるんですよ。結局死体を埋めてるわけなんですよね。埋めて土をかぶしてるから、こう土饅頭になってるわけ。

 ほすとその土饅頭のうえに月見草が咲いてるのがねぇ、丈は伸びてねぇ、ほしてこんな大輪なんですよ、花が。それがねぇ夕方になったら、こう土饅頭の形にこーうなって月見草が咲いてるんですよね。それ見たら、もうぞーっとなってね、あんなに好きだった月見草がいやになりましたね。

 あの下に死体があって、その死体をね、死体の栄養吸い上げてあんなに大きな大輪が咲いてるんだなぁ思ったら、なんかその月見草が。
 可憐な月見草なんて面影ぜんぜんないんですよ。こんな大きなね、大輪の月見草が咲いてるんですよねぇ。

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