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被爆體驗記 (4)

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harto

通常 被爆體驗記 (4)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/10/29 17:10
harto  新米   投稿数: 0
 兎に角有り難く感じるのは生きていると言うことなのです。もはや死んで世の中に存在しないはずですが、今まで生き残っているのは奇跡と思います。様々な人生の悩みの後,イエスキリスト様を個人の救世主と信じ心の安定を持ち、今はその教えに依って第二の人生と言ってもよいこの命果てるまで、望ましい事をする様に願っています。

 何故,原爆被害を話すとか、またそれを聞かなければならないのでしようか。その訳を話して私の被爆《ひばく=放射能の被害をうける》体験談をまとめようと思います。

 広島は世界で最初の被爆地です。被爆と言う悲劇の歴史は広島で十分です。二度と第二の広島が世界の中、何処にも有ってはいけませんね!「全世界非核化《ひかくか=核兵器の存在を許さない》]とか、「核兵器の無い二十一世紀」と言ったスローガンが掲げられていますが、世界の平和は、即ち,自分の平和なのです。そのために先ず核兵器の恐ろしさと被爆の悲惨な事を世界の人々に話し伝えなければなりません。被爆の体験者は勿論,広島に住んで居る人は、それを果たすアドバンテージがあります。

 だから広島と原爆,また広島の人と被爆の歴史とは切り離す事が出来ないように結ばれて居て、世界の何処に行っても広島の人と分かるとすぐその人から被爆の事を聞きたがるのです。ですから世界の平和の為に私達は「私は被爆の体験者じゃないので話せません」と言わないで、被爆の悲惨なことをよく知って話すようにしていただきたいのです。

 私は一九九八年の八月から二千二年十月まで,ブルガリアの首都ソフィアにあるブルガリア改革派神学院で基督教教理と古代ギリシャ語を教えていました。ブルガリアはユーゴと隣接した国です。車で四十分走ると其の国境に着き、また一時間半ぐらいなら充分にコソボへ到着します。一九九九年の三月からだんだんユーゴの情勢が悪くなる度に、ブルガリアの人達も緊張して二、三人集まっても戦争の事を話して居ました。そして学生達は私が原爆投下の当時,広島に居た事を知って,被爆の体験談を聞きたいと言うのでした。二千四年五月からは南アフリカのバドプラスにあるイムマヌエル バイブル カレヂで同じように基督教教理を教えていますが、やはり学生達は被爆の体験談を聞きたいと言うので,原爆被害のいろんな事実と戦争の恐ろしさを話しました。

 いま北朝鮮で核実験《かくじっけん=核兵器の開発や性能確認のための実験》をして問題になっていますが本当に残念なのです。

                      ー終-

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