Re: 成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月
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成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月 (あんみつ姫, 2009/3/23 13:27)
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Re: 成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月 (あんみつ姫, 2009/3/25 21:26)
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Re: 成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月 (あんみつ姫, 2009/3/25 21:36)
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Re: 成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月 (あんみつ姫, 2009/3/25 21:26)
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
十八日(木)
朝八時起床。国旗掲揚。朝食。昼食後、街の様子を見に出る。支那街にしては案外小綺麗な街だ。
午後五時頃中台先生来る。種々調査の打合せをした後就寝、十二時半。四畳半の部屋に中台先生と共に三人。
十九日(金)
班に分つこと三。第一班 成瀬、小松、蓑田、第二班 鈴木、川口、木山、第三班 長戸、中司、中野。午前中、調査表の印刷、打合せ。昼食(スープ、饅頭)後、第一班、第二班は自動車にて目的地に出発、第三班は大車(ターチョ)《注1》にて出発、中台先生は第三班について行かれる。
第一班出発時間、一時半。貨物自動車は楡樹県城南門を抜け砂塵をあげて南に走る。風漸く強く、寒さ酷し。秀水村(秀水旬子、楡樹南西十二里)公署着三時半。第一班下車、第二班は一途目的地に東進。吾々は村公署《注2》へ行く。此処は秀水村秀水東屯と云う。
村公署へ行くと思わずギクッとした。吾々は学生三名である。それに、
秀水村村長 劉乃棋
秀水警察署長 警佐 高永純
秀水村助役 理邊固
視学兼秀水村中心学校校長 劉国風
村公立秀徳国民優級学校校長 柳澤徳蔵
等々村の要人の歴々が皆集まっている。私は農民の実態調査に来た旨を述べ、これから御世話になりますと挨拶した。晩は支那料理店に行き大歓迎を受けた。散会の後柳澤氏の宅に行き、又御馳走になり、県に於ける朝鮮人の問題を種々聞いた。
(1)楡樹県秀水村の朝鮮人は約二百人。一般に生活程度、文化程度低くして満系農民と比較にならない。水田を主とする。
(2)内鮮一体の件
(3)民族協和の件
翌朝八時半出発を約して村公署寮の家屋に投宿する。警察署長も仲々人望あり愉快な人。村長又然り。民族協和は実践にあり。心と心がふれあった所に成立する。
二十日(土)
昨夜村公署宿舎に宿る。南京虫も出ず幸なり。朝八時起床、八時半朝食終わる。朝から牌酒を添えて支那料理を頂く。九時半頃秀水村公署を出発して田家屯に向かう。途は大車(ターチョ)なり。広漠たる野に鳥一羽けたたましく飛び、砂塵漸く激しく、風身に稍寒なり。一時間半にして田家屯公署着、前の広場に沢山出迎えあり。
十時半頃より調査開始。早く終わったので昼食をと思ったが出ない。五時頃になって漸くありつく。どうやら二食らしい。晩又牌酒と支那料理。こんな片田舎へ来て毎日御馳走攻めとは思わざりき。
通訳の梁さんには大変な御苦労を願った。彼満州建国につき一席辯ず。又此処の村長、屯長等も皆家族と離れ太々(タァタァ)とも別れ公署に一人で住み込んでいる。彼等は日本人も及ばない努力をしている、と。
調査家族の戸主《注3》が集まってくれたので大変助かった。早く終わる。
付ききりの村長、鮮系校長も帰った。
二十一日(日)
朝から六軒ばかり調査して十二時頃終わる。朝食は支那料理、又牌酒。朝から晩まで酒びたりで暮らす気持も又悪くない。
屯長《注4》に金一封宿泊料を包んで、秀水村公署に向かう。本日は風無く、天気晴朗にして又暖かなり。天地正大の気 正に満洲の平原に満つ。十二時四十分頃村公署着。村公署宿舎に旅装を解き、直ちに酒房を見学す。酒房は郵便局其の他種々の事業を兼ねて行っている。
外観はどっしりして壮大なのにくらべ内容は至って貧弱なり。酒の香気と言いたいが臭気紛々たり。一日中酒づめで嗅ぐのも又いとわし。宿舎に帰り少時昼寝する。
三時頃、国民優級学校の宴に招待せらる。村長、警察署長、学校長、及びその他代表集まり、学校建築のことで会議ありたる由。十万円支出の件満場一致で可決せしと。その協力は民族協和の理想的境地であり、満洲建国精神の実現なりと思う。
夜、八時半頃まで警察署長宅を訪問。署長は大同学院の卒業生らしく、奥さんも良い人であった。田舎に入って女らしい女を見なかった眼には俄然美人に見えた。写真ではすばらしい美人だが実物はそうでもなかった。署長氏日く「大東亜戦争下重要なことは物資の増産と国民の増産だ。併るに子供ができない。(結婚して七年になるらしい)だからその方法を研究して改善せねばならない」と。
小松君、牌酒飲みすぎて気持が悪いらしい。早く良くなるよう念ず。朝から飲みすぎたのがいけなかった。
明日の予定。午前中、秀水村内の鮮系農家(七十七戸有り)三軒調査。午後直ちに大干屯に発つ。大干屯に於ける準備は一切村長に通告して頂く。うまく調査もはかどり、予定よりも二日位早く帰れそうである。
二十二日(月)
朝食後、秀水村鮮系部落に向かう。戸数七十七戸、人約召七十人、村公署より約七町ばかりの所に在り。昨夜の雨は雪に変り、満天雪々たり。大車(ターチョ)に揺られて雪にまみれつつ鮮系部落に行く。鮮系部落を三戸調査終り、昼食後帰る。途中寒し。護衛の警察官も震えている。晩、鮮系国民優級学校長柳澤氏宅訪問。久し振りに日本的な料理にありつく。彼の日本語の上手なのは大阪生まれで天王寺中学の中退生と。十一時頃まで内鮮問題につき論ず。はしたなくも此の片田舎に来て、かくまで深く日鮮融合を考えている人があるとは知らなかった。
彼の理想は日鮮一体と云うことを歴史の彼方に追いやることで、新しい皇国日本人として朝鮮人が生きることである。その具体的な方策としては日鮮人の結婚である。血は水より濃いと言った先人の言葉は朝鮮人を日本人として生き返らせるであろうと。
併し現実に自分自身の身の上のこととなると幾多支障あるを免がれず、又遲疑逡巡せざるを得ざるに至らざるや。
注1:村役場
注2:大きな車輪が二つ(一輪)だけの荷馬車
注3:旧戸籍法で一家には必ず戸主がおり 祖先の祭祀や家の財産を継承し 家族の婚姻等に対する同意権 居所指定権を持っていた
注4:村の中に幾つかの集まり(屯)があり その集団の代表者をいう
朝八時起床。国旗掲揚。朝食。昼食後、街の様子を見に出る。支那街にしては案外小綺麗な街だ。
午後五時頃中台先生来る。種々調査の打合せをした後就寝、十二時半。四畳半の部屋に中台先生と共に三人。
十九日(金)
班に分つこと三。第一班 成瀬、小松、蓑田、第二班 鈴木、川口、木山、第三班 長戸、中司、中野。午前中、調査表の印刷、打合せ。昼食(スープ、饅頭)後、第一班、第二班は自動車にて目的地に出発、第三班は大車(ターチョ)《注1》にて出発、中台先生は第三班について行かれる。
第一班出発時間、一時半。貨物自動車は楡樹県城南門を抜け砂塵をあげて南に走る。風漸く強く、寒さ酷し。秀水村(秀水旬子、楡樹南西十二里)公署着三時半。第一班下車、第二班は一途目的地に東進。吾々は村公署《注2》へ行く。此処は秀水村秀水東屯と云う。
村公署へ行くと思わずギクッとした。吾々は学生三名である。それに、
秀水村村長 劉乃棋
秀水警察署長 警佐 高永純
秀水村助役 理邊固
視学兼秀水村中心学校校長 劉国風
村公立秀徳国民優級学校校長 柳澤徳蔵
等々村の要人の歴々が皆集まっている。私は農民の実態調査に来た旨を述べ、これから御世話になりますと挨拶した。晩は支那料理店に行き大歓迎を受けた。散会の後柳澤氏の宅に行き、又御馳走になり、県に於ける朝鮮人の問題を種々聞いた。
(1)楡樹県秀水村の朝鮮人は約二百人。一般に生活程度、文化程度低くして満系農民と比較にならない。水田を主とする。
(2)内鮮一体の件
(3)民族協和の件
翌朝八時半出発を約して村公署寮の家屋に投宿する。警察署長も仲々人望あり愉快な人。村長又然り。民族協和は実践にあり。心と心がふれあった所に成立する。
二十日(土)
昨夜村公署宿舎に宿る。南京虫も出ず幸なり。朝八時起床、八時半朝食終わる。朝から牌酒を添えて支那料理を頂く。九時半頃秀水村公署を出発して田家屯に向かう。途は大車(ターチョ)なり。広漠たる野に鳥一羽けたたましく飛び、砂塵漸く激しく、風身に稍寒なり。一時間半にして田家屯公署着、前の広場に沢山出迎えあり。
十時半頃より調査開始。早く終わったので昼食をと思ったが出ない。五時頃になって漸くありつく。どうやら二食らしい。晩又牌酒と支那料理。こんな片田舎へ来て毎日御馳走攻めとは思わざりき。
通訳の梁さんには大変な御苦労を願った。彼満州建国につき一席辯ず。又此処の村長、屯長等も皆家族と離れ太々(タァタァ)とも別れ公署に一人で住み込んでいる。彼等は日本人も及ばない努力をしている、と。
調査家族の戸主《注3》が集まってくれたので大変助かった。早く終わる。
付ききりの村長、鮮系校長も帰った。
二十一日(日)
朝から六軒ばかり調査して十二時頃終わる。朝食は支那料理、又牌酒。朝から晩まで酒びたりで暮らす気持も又悪くない。
屯長《注4》に金一封宿泊料を包んで、秀水村公署に向かう。本日は風無く、天気晴朗にして又暖かなり。天地正大の気 正に満洲の平原に満つ。十二時四十分頃村公署着。村公署宿舎に旅装を解き、直ちに酒房を見学す。酒房は郵便局其の他種々の事業を兼ねて行っている。
外観はどっしりして壮大なのにくらべ内容は至って貧弱なり。酒の香気と言いたいが臭気紛々たり。一日中酒づめで嗅ぐのも又いとわし。宿舎に帰り少時昼寝する。
三時頃、国民優級学校の宴に招待せらる。村長、警察署長、学校長、及びその他代表集まり、学校建築のことで会議ありたる由。十万円支出の件満場一致で可決せしと。その協力は民族協和の理想的境地であり、満洲建国精神の実現なりと思う。
夜、八時半頃まで警察署長宅を訪問。署長は大同学院の卒業生らしく、奥さんも良い人であった。田舎に入って女らしい女を見なかった眼には俄然美人に見えた。写真ではすばらしい美人だが実物はそうでもなかった。署長氏日く「大東亜戦争下重要なことは物資の増産と国民の増産だ。併るに子供ができない。(結婚して七年になるらしい)だからその方法を研究して改善せねばならない」と。
小松君、牌酒飲みすぎて気持が悪いらしい。早く良くなるよう念ず。朝から飲みすぎたのがいけなかった。
明日の予定。午前中、秀水村内の鮮系農家(七十七戸有り)三軒調査。午後直ちに大干屯に発つ。大干屯に於ける準備は一切村長に通告して頂く。うまく調査もはかどり、予定よりも二日位早く帰れそうである。
二十二日(月)
朝食後、秀水村鮮系部落に向かう。戸数七十七戸、人約召七十人、村公署より約七町ばかりの所に在り。昨夜の雨は雪に変り、満天雪々たり。大車(ターチョ)に揺られて雪にまみれつつ鮮系部落に行く。鮮系部落を三戸調査終り、昼食後帰る。途中寒し。護衛の警察官も震えている。晩、鮮系国民優級学校長柳澤氏宅訪問。久し振りに日本的な料理にありつく。彼の日本語の上手なのは大阪生まれで天王寺中学の中退生と。十一時頃まで内鮮問題につき論ず。はしたなくも此の片田舎に来て、かくまで深く日鮮融合を考えている人があるとは知らなかった。
彼の理想は日鮮一体と云うことを歴史の彼方に追いやることで、新しい皇国日本人として朝鮮人が生きることである。その具体的な方策としては日鮮人の結婚である。血は水より濃いと言った先人の言葉は朝鮮人を日本人として生き返らせるであろうと。
併し現実に自分自身の身の上のこととなると幾多支障あるを免がれず、又遲疑逡巡せざるを得ざるに至らざるや。
注1:村役場
注2:大きな車輪が二つ(一輪)だけの荷馬車
注3:旧戸籍法で一家には必ず戸主がおり 祖先の祭祀や家の財産を継承し 家族の婚姻等に対する同意権 居所指定権を持っていた
注4:村の中に幾つかの集まり(屯)があり その集団の代表者をいう
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あんみつ姫