Re: 成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月
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成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月 (あんみつ姫, 2009/3/23 13:27)
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Re: 成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月 (あんみつ姫, 2009/3/25 21:26)
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Re: 成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月 (あんみつ姫, 2009/3/25 21:36)
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Re: 成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月 (あんみつ姫, 2009/3/25 21:26)
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
四月
二十日(火) 晴
校庭の草が僅かに芽をふく。
夜街へ出て帰りに、赤味がかった月がくろぐろとした街を照らしていて、ソフィスキー寺院の黒が影と照り映えて凄いくらい美しかった。蒙古風が吹き始めると黄砂は月を血のように赤く染める。
二十二日(木)
最近たびたび北寮の自給農場の農作業が日課に入るようになる。
二十四日(土)
今宵はパスハ。《注1》十二時過ぎると各教会、寺院で一斉に鐘が鳴り出し「キリストは蘇り給えり」と唱えながら二時頃キッスして終わる。明日の晩までパスハは続く
二十九日(木)
午前九時、天長節拝賀式。
手塚前院長の四十分余りも長々と続く話に比べて、渋谷新院長の五分ほどで終わる話が簡潔で清々しい。
五月
二日(月)
訪日宣詔記念日。経偉国民学校にて武道大会あり。同期の蒙古(蒙古ブリヤート族)学生の退学事件には、米内(徳太郎)先生は蒙古人をあまやかし過ぎたと反省しておられた。
三日(月)雨
大雨沛然《はいぜん=注2》として至る。蒙古風はこれで抑えられるだろう。泥柳が一斉に芽をふく。切り倒された枝まで何を間違えたのか芽を出している。間もなく葉も出ないのに茎だけ二十センチも伸びて、黄色い花を咲かせるタンポポが見られるだろう。
五日(水)
楡はもう新緑、泥柳はすっかり緑が濃くなった。今年は蒙古風の黄塵少ない。
十六日(日)
第一回哈爾浜大学武道大会あり。柔道、剣道は厚生会館、銃剣術は工業大学で行う。柔道完勝、剣道、柔剣術惨敗。
二十四日(月)
哈爾浜神社宵祭。チフスの予防注射あり。
二十五日(火)
斉藤医院にて血沈をはかる。江上艦隊《注3》の軍医だったとか、変な所が面白い人。
二十六日(水)
露細亜経済史(ボクダーノフ教授)を二時間さぼり、五十銭借りて散髪に行く。
二十七日(木)
海軍記念日《注4》。過日山本五十六大将戦死のニュースあり。青木と卒業記念アルバムをとりにスンガリーに出る。ヨットクラブで写す。
二十八日(金)
哈爾浜海軍武官府の前田大佐の記念講演あること昨年の如し。今年の勤労奉仕に私は行かないことになる。行かないといっても北寮で農事作業。
三十一日(月)
週番なるが故に北寮に農場の勤労奉仕に行く。四年甲組点呼を取って見ると居た者僅か三名。驚く。
甲組の田北三市君が哈爾浜市民病院で亡くなった。大分県竹田の産。瀧廉太郎は竹田城を心に「荒城の月」を作曲したと誇らしげに話していた姿が眼に浮かぶ。せめての慰めは郷里から父上、母上が来られて最後を看守られたことである。入学当時二号室にいた十二名のうち川瀬勝美(満鉄派遣生)橋本照天(青森県)目である。特に田北が窓際、次が私、その隣が橋本、で生活を共にした学友を二人とも亡くした。
アツツ島の日本軍二十九日玉砕す。
(成瀬孫仁日記(九)につづく)
注1:ロシア正教の復活祭
注2:雨が盛んに降るさま
注3:揚子江や長江で作戦する艦隊
注4:1905年日本海で ロシアバルチック艦隊を全滅した記念日
二十日(火) 晴
校庭の草が僅かに芽をふく。
夜街へ出て帰りに、赤味がかった月がくろぐろとした街を照らしていて、ソフィスキー寺院の黒が影と照り映えて凄いくらい美しかった。蒙古風が吹き始めると黄砂は月を血のように赤く染める。
二十二日(木)
最近たびたび北寮の自給農場の農作業が日課に入るようになる。
二十四日(土)
今宵はパスハ。《注1》十二時過ぎると各教会、寺院で一斉に鐘が鳴り出し「キリストは蘇り給えり」と唱えながら二時頃キッスして終わる。明日の晩までパスハは続く
二十九日(木)
午前九時、天長節拝賀式。
手塚前院長の四十分余りも長々と続く話に比べて、渋谷新院長の五分ほどで終わる話が簡潔で清々しい。
五月
二日(月)
訪日宣詔記念日。経偉国民学校にて武道大会あり。同期の蒙古(蒙古ブリヤート族)学生の退学事件には、米内(徳太郎)先生は蒙古人をあまやかし過ぎたと反省しておられた。
三日(月)雨
大雨沛然《はいぜん=注2》として至る。蒙古風はこれで抑えられるだろう。泥柳が一斉に芽をふく。切り倒された枝まで何を間違えたのか芽を出している。間もなく葉も出ないのに茎だけ二十センチも伸びて、黄色い花を咲かせるタンポポが見られるだろう。
五日(水)
楡はもう新緑、泥柳はすっかり緑が濃くなった。今年は蒙古風の黄塵少ない。
十六日(日)
第一回哈爾浜大学武道大会あり。柔道、剣道は厚生会館、銃剣術は工業大学で行う。柔道完勝、剣道、柔剣術惨敗。
二十四日(月)
哈爾浜神社宵祭。チフスの予防注射あり。
二十五日(火)
斉藤医院にて血沈をはかる。江上艦隊《注3》の軍医だったとか、変な所が面白い人。
二十六日(水)
露細亜経済史(ボクダーノフ教授)を二時間さぼり、五十銭借りて散髪に行く。
二十七日(木)
海軍記念日《注4》。過日山本五十六大将戦死のニュースあり。青木と卒業記念アルバムをとりにスンガリーに出る。ヨットクラブで写す。
二十八日(金)
哈爾浜海軍武官府の前田大佐の記念講演あること昨年の如し。今年の勤労奉仕に私は行かないことになる。行かないといっても北寮で農事作業。
三十一日(月)
週番なるが故に北寮に農場の勤労奉仕に行く。四年甲組点呼を取って見ると居た者僅か三名。驚く。
甲組の田北三市君が哈爾浜市民病院で亡くなった。大分県竹田の産。瀧廉太郎は竹田城を心に「荒城の月」を作曲したと誇らしげに話していた姿が眼に浮かぶ。せめての慰めは郷里から父上、母上が来られて最後を看守られたことである。入学当時二号室にいた十二名のうち川瀬勝美(満鉄派遣生)橋本照天(青森県)目である。特に田北が窓際、次が私、その隣が橋本、で生活を共にした学友を二人とも亡くした。
アツツ島の日本軍二十九日玉砕す。
(成瀬孫仁日記(九)につづく)
注1:ロシア正教の復活祭
注2:雨が盛んに降るさま
注3:揚子江や長江で作戦する艦隊
注4:1905年日本海で ロシアバルチック艦隊を全滅した記念日
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あんみつ姫