Re: 成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月
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成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月 (あんみつ姫, 2009/3/23 13:27)
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Re: 成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月 (あんみつ姫, 2009/3/25 21:26)
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Re: 成瀬孫仁日記(八)昭和十八年一月~昭和十八年五月 (あんみつ姫, 2009/3/25 21:26)
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
二十三日(火)
朝七時起床。朝食も採らずに直ちに大干屯に向かう。昨夜から凍っていた天地は寒気凛烈たり。大車(ターチョ)の上でも寒さに震う。脚の方から次第に昇って来る寒さに克てず、遂に車を降りて走る。約二十分走りて又暖まるを待って車上の人となる。一時間半ほどを要して大干屯に着く。屯長等出迎えあり。朝食後、屯公署に於て調査開始。一日で全部終わる。夕食後読書す。哈爾浜と故郷が恋しく想い出される。
二十四日(水)
昨夜は疲労のためか熟睡す。報告書の一部の下書をする。朝食後、小松君が税金の事を調べていたが、それも終り大車(ターチョ)で出発す。鉄砲を持った騎乗の護衛警官が二人付く。その中の一人の馬を借り、もう一人の警官と二人で先に行く。北満の沃野を馬上から見下して馬を馳る。右手遥か南の方に松花江が凍結のまま銀蛇の如く横たわり、陽光燦々として大地に注いでいる。約二時間の後、閔家村に着く。極めて快適な馬上の旅であったが、鉄砲を持った護衛兵と二人きりで人家のない平原の一本路を進む時、若し彼が一発ポンとこちらに向けてやれば可惜、二十の春を大地を血に染めて散らすのだと思うと聊か気味悪くもあった。大車(ターチョ)は四時間余りも要して後から着いた。
村公署の待遇すこぶる悪し。到着しても出迎えもなし。村長は病気にて五裸樹に帰って居り不在の由。五人のみ調査、残りは明日にする。夕食の後直ちに宿舎に入る。百貨店(雑貨屋)らしい所が臨時宿舎だ。汚いこと今迄の宿舎の比に非ず。八時就寝。臭いにおいに耐え、寝衣に着替え、無理に油と汗に煮染められたような布団にもぐり込む。顎のあたりに毛布を当てて寝る。三十分もすると虱と南京虫が活躍し始めた。たまらないので起き上がり、服を着、靴下をはき、ゲートルを巻いて、外套をかむって布団の上に寝た。少し寒かったが、虱と南京虫の襲撃と布団の臭いから逃れられた。夜中、十二時頃と三時頃二回眠が覚めた。変な支那人が一晩中じっと監視していた気味悪い一夜だった。ここの主人は回教で回教徒以外の者は使わないそうだ。宗教の人間社会に及ぼす影響の大なるに一驚した。
最初に比べて待遇が段々落ち、遂に待望(?)かつ恐れていた虱と南京虫様にお目にかかり面目をほどこし、参った。併しこれで一般農民の生活の実状を経験し得たのかも知れないので感謝することにしようと語り合った。早く哈爾浜に帰りたい。
二十五日(木)
朝食を料理店で採り、五軒調査を済ますともう誰も来なくなったので閔家村で調査したのは十軒のみであった。
協和会の人達とフットボールをして遊び後国民学校をも見学した。
午後三時頃、楡樹へ出発す。途中、二時間余を要し、楡樹県城を南門より入り県公署に達す。早速、庶務課長に帰還の挨拶をし、寮に帰る。夜楡樹会館に行き獨身寮の人達と交歓す。
鮮系学校長柳澤氏の話をすると「彼の毒気に当てられましたね」と皆大笑いだった。秀水村は単なる農村調査を特別の何か意図があってしていると勘違いして良い報告をして貰いたさに歓待したんではないかなとも話していた。また大都会の官庁に居る人よりこの田舎で働いている人達こそ本当の日本人だとも考えた。
遅く土橋子班(第二班の木山君、鈴木君、川口君)帰る。
三月
二十六日(金)
床を蹴って起きてみると八時半。朝食をすまし、県公署に行き副県長に挨拶。
昼は楡樹会館で副県長と会食。会食後街へ生菓子を買いに行き後、種馬場に行って馬に乗らんとせしも果さず。
長戸君等第三班も帰る。中台先生も御一緒。全員そろって嬉しい。夜独身寮で種々話を聞く。
二十七日(土)
起床、八時半。朝礼にも出ず朝食不充分。
県公署へ行き提出する調査表を作成する。土曜日にて午前中のみで皆退庁。午後寒さに震えながら大部分片付ける。
夜、副県長宅を訪問。種々御話を伺う。
働かざる者は食うべからず。戦わざる者は生きるべからず。大東亜戦争完遂に協力する事が正義であり、之を妨害する者は悪である。と極めて明快なる論理で意気軒昂たるものがある。また俺は四十万石の領主だと。蓋し、楡樹県穀物生産高が四十万石と言う意味か。
三十日(火)
昨夜、独身寮の人達が別れの茶話会を開いてくれ、つい夜ふかしをする。さすが大陸に来た人達だけあって〝夢物語″みたいな話が咲いた。彼等は社会人として先輩、謹んで聞く側に廻った。
朝早く暗いうちに起き、県公暑が出してくれたトラックにて三盆河に向う。さらば橡樹よ。お世話になりました。
朝五時二十三分三岔河発牡丹江行列車に切符も買わずに飛び乗る。列車内で哈爾浜までの切符を官見う。八時頃、哈爾浜着。街も人も懐かしい。
朝七時起床。朝食も採らずに直ちに大干屯に向かう。昨夜から凍っていた天地は寒気凛烈たり。大車(ターチョ)の上でも寒さに震う。脚の方から次第に昇って来る寒さに克てず、遂に車を降りて走る。約二十分走りて又暖まるを待って車上の人となる。一時間半ほどを要して大干屯に着く。屯長等出迎えあり。朝食後、屯公署に於て調査開始。一日で全部終わる。夕食後読書す。哈爾浜と故郷が恋しく想い出される。
二十四日(水)
昨夜は疲労のためか熟睡す。報告書の一部の下書をする。朝食後、小松君が税金の事を調べていたが、それも終り大車(ターチョ)で出発す。鉄砲を持った騎乗の護衛警官が二人付く。その中の一人の馬を借り、もう一人の警官と二人で先に行く。北満の沃野を馬上から見下して馬を馳る。右手遥か南の方に松花江が凍結のまま銀蛇の如く横たわり、陽光燦々として大地に注いでいる。約二時間の後、閔家村に着く。極めて快適な馬上の旅であったが、鉄砲を持った護衛兵と二人きりで人家のない平原の一本路を進む時、若し彼が一発ポンとこちらに向けてやれば可惜、二十の春を大地を血に染めて散らすのだと思うと聊か気味悪くもあった。大車(ターチョ)は四時間余りも要して後から着いた。
村公署の待遇すこぶる悪し。到着しても出迎えもなし。村長は病気にて五裸樹に帰って居り不在の由。五人のみ調査、残りは明日にする。夕食の後直ちに宿舎に入る。百貨店(雑貨屋)らしい所が臨時宿舎だ。汚いこと今迄の宿舎の比に非ず。八時就寝。臭いにおいに耐え、寝衣に着替え、無理に油と汗に煮染められたような布団にもぐり込む。顎のあたりに毛布を当てて寝る。三十分もすると虱と南京虫が活躍し始めた。たまらないので起き上がり、服を着、靴下をはき、ゲートルを巻いて、外套をかむって布団の上に寝た。少し寒かったが、虱と南京虫の襲撃と布団の臭いから逃れられた。夜中、十二時頃と三時頃二回眠が覚めた。変な支那人が一晩中じっと監視していた気味悪い一夜だった。ここの主人は回教で回教徒以外の者は使わないそうだ。宗教の人間社会に及ぼす影響の大なるに一驚した。
最初に比べて待遇が段々落ち、遂に待望(?)かつ恐れていた虱と南京虫様にお目にかかり面目をほどこし、参った。併しこれで一般農民の生活の実状を経験し得たのかも知れないので感謝することにしようと語り合った。早く哈爾浜に帰りたい。
二十五日(木)
朝食を料理店で採り、五軒調査を済ますともう誰も来なくなったので閔家村で調査したのは十軒のみであった。
協和会の人達とフットボールをして遊び後国民学校をも見学した。
午後三時頃、楡樹へ出発す。途中、二時間余を要し、楡樹県城を南門より入り県公署に達す。早速、庶務課長に帰還の挨拶をし、寮に帰る。夜楡樹会館に行き獨身寮の人達と交歓す。
鮮系学校長柳澤氏の話をすると「彼の毒気に当てられましたね」と皆大笑いだった。秀水村は単なる農村調査を特別の何か意図があってしていると勘違いして良い報告をして貰いたさに歓待したんではないかなとも話していた。また大都会の官庁に居る人よりこの田舎で働いている人達こそ本当の日本人だとも考えた。
遅く土橋子班(第二班の木山君、鈴木君、川口君)帰る。
三月
二十六日(金)
床を蹴って起きてみると八時半。朝食をすまし、県公署に行き副県長に挨拶。
昼は楡樹会館で副県長と会食。会食後街へ生菓子を買いに行き後、種馬場に行って馬に乗らんとせしも果さず。
長戸君等第三班も帰る。中台先生も御一緒。全員そろって嬉しい。夜独身寮で種々話を聞く。
二十七日(土)
起床、八時半。朝礼にも出ず朝食不充分。
県公署へ行き提出する調査表を作成する。土曜日にて午前中のみで皆退庁。午後寒さに震えながら大部分片付ける。
夜、副県長宅を訪問。種々御話を伺う。
働かざる者は食うべからず。戦わざる者は生きるべからず。大東亜戦争完遂に協力する事が正義であり、之を妨害する者は悪である。と極めて明快なる論理で意気軒昂たるものがある。また俺は四十万石の領主だと。蓋し、楡樹県穀物生産高が四十万石と言う意味か。
三十日(火)
昨夜、独身寮の人達が別れの茶話会を開いてくれ、つい夜ふかしをする。さすが大陸に来た人達だけあって〝夢物語″みたいな話が咲いた。彼等は社会人として先輩、謹んで聞く側に廻った。
朝早く暗いうちに起き、県公暑が出してくれたトラックにて三盆河に向う。さらば橡樹よ。お世話になりました。
朝五時二十三分三岔河発牡丹江行列車に切符も買わずに飛び乗る。列車内で哈爾浜までの切符を官見う。八時頃、哈爾浜着。街も人も懐かしい。
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あんみつ姫