成瀬孫仁日記(十)昭和十八年十月~昭和十八年十一月
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成瀬孫仁日記(十)昭和十八年十月~昭和十八年十一月 (あんみつ姫, 2009/3/30 13:34)
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投稿日時 2009/3/30 13:34
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
十月
一日(金)
今日より例年の通り学校時間が変更になる予定の所、江口教授が一人頑張って来週に延期する。このことについて先生の授業時間で学生と話し合う。先生の態度に誠意なく、しかも学生のこのことに対する反感頗る強し。
図書室より本を借りて読む。
「帝国主義と資本の蓄積」ブハーリン
「世界経済の新段階」 ミリユーチン
二日(土)
昨夜より阿城における兵団演習に、三年生、二年生が参加する。臨時徴兵検査が十月二十五日から十一月五日の間に行われ、十二月一日入営《注1》と発表さる。学生緊張す。これにつき明日四年生全員を持ち、学校を督励して簡明なる処置を要求することにする。
三日(日)
快晴、蒲団に日光浴させる。
馬家溝の池田パン店前の古本屋弘文堂に学生が押しかける。学院生の売った本が山と積まれている。オヤジさん金がなくなり、悲鳴を挙げていた。今日だけで七百円支払ったと。
五日(火)快晴
徴兵検査まで授業を行い、試験は行わないと決まる。入隊も満洲か朝鮮か不明。これならもう一度日本へ帰れる可能性はある。
六日(水)
故郷へ在留地徴兵検査の旨電報を打つ。午後、院長の話あり。内地へは特別の事情がない限り帰さないと言う。墓参りもさせず、親にも会わせず死なそうというのか。これも国のためだと喜べと言うのか。
今度の件で一年生が一人捕まり、「豚箱」に入り、院長が行って貰い下げをして来たとか。
青木(鮮系)が学校内のことをいろいろ刑事に聞かれたと。学校にまで刑事が入り込んでいると噂あり。学校へは行かない。
七日(木)
学校へは行かない。朝から、ミッチェル女史の「風と共に去りぬ」を読む。
八日(全)
大詔奉戴日。朝二十分起床を早め、馳足で哈爾浜神社参拝。皇国の武運長久を祈る。
神社建立の議興る。寄付せよと。一蹴せらる。
関釜連絡船、崑崙(コンロン)丸米潜水艦に撃沈さる。沖ノ島付近。午前二時頃。数分にして沈む。五日のことなり。乗客六百名、生存者七十名。
九日(土)
授業、朝一時間のみ出席し、街に出る。午後は教練。日曜日から授業は午前中のみ。午後はすべて教練。その中に学監の国防学四時間。
十日(日)快晴
ショッセの楡の葉が黄葉もせず枯れたようになって落ち、路上に散る。北満哈爾浜のあわただしい冬の訪れか。
補記
一日 この日、学校の図書室からブハーリンの「帝国主義と資本の蓄積」という原書を借りて読んだことが書かれているが、読むことは読めても内容が理解出来たのだろうか今考えてもゾッとする。
六日 青木は朝鮮人である。北寮の寮委員になる時、川辺(英男)に頼んで青木にも残って貰った。南寮に移ってからも特別に親しかった同級生の中の一人だった。卒業アルバムの写真もスンガリー湖畔のヨットクラブで二人で写った。彼は頭は良かったが、別に朝鮮民族の誇りとか何とかを口にするではなし、またそれのために卑屈になるようなことはなかった。彼は奉天一中の出身だと聞いていたので二十期の柴田(息蔵)さんに聞き合わせても知らないとの返事が来た。姓は「李」と行っていたが、名は日本名も朝鮮名もいくら調べても出て来ない。乙組にいたので乙組の人は知っている人があるかも知れない。知らせて欲しい。勿論二十一期生の名簿にもない。
八日 神社建立の議興る。寄付せよと。一蹴せらる。と書いているが資料は探しても見つからない。この文字を見ていると頭の片隅に「哈爾浜学院神社」?の事ではないかとのかすかな記憶があるような気がする。記憶のある方は教えて欲しい。
注1:軍隊に入る
一日(金)
今日より例年の通り学校時間が変更になる予定の所、江口教授が一人頑張って来週に延期する。このことについて先生の授業時間で学生と話し合う。先生の態度に誠意なく、しかも学生のこのことに対する反感頗る強し。
図書室より本を借りて読む。
「帝国主義と資本の蓄積」ブハーリン
「世界経済の新段階」 ミリユーチン
二日(土)
昨夜より阿城における兵団演習に、三年生、二年生が参加する。臨時徴兵検査が十月二十五日から十一月五日の間に行われ、十二月一日入営《注1》と発表さる。学生緊張す。これにつき明日四年生全員を持ち、学校を督励して簡明なる処置を要求することにする。
三日(日)
快晴、蒲団に日光浴させる。
馬家溝の池田パン店前の古本屋弘文堂に学生が押しかける。学院生の売った本が山と積まれている。オヤジさん金がなくなり、悲鳴を挙げていた。今日だけで七百円支払ったと。
五日(火)快晴
徴兵検査まで授業を行い、試験は行わないと決まる。入隊も満洲か朝鮮か不明。これならもう一度日本へ帰れる可能性はある。
六日(水)
故郷へ在留地徴兵検査の旨電報を打つ。午後、院長の話あり。内地へは特別の事情がない限り帰さないと言う。墓参りもさせず、親にも会わせず死なそうというのか。これも国のためだと喜べと言うのか。
今度の件で一年生が一人捕まり、「豚箱」に入り、院長が行って貰い下げをして来たとか。
青木(鮮系)が学校内のことをいろいろ刑事に聞かれたと。学校にまで刑事が入り込んでいると噂あり。学校へは行かない。
七日(木)
学校へは行かない。朝から、ミッチェル女史の「風と共に去りぬ」を読む。
八日(全)
大詔奉戴日。朝二十分起床を早め、馳足で哈爾浜神社参拝。皇国の武運長久を祈る。
神社建立の議興る。寄付せよと。一蹴せらる。
関釜連絡船、崑崙(コンロン)丸米潜水艦に撃沈さる。沖ノ島付近。午前二時頃。数分にして沈む。五日のことなり。乗客六百名、生存者七十名。
九日(土)
授業、朝一時間のみ出席し、街に出る。午後は教練。日曜日から授業は午前中のみ。午後はすべて教練。その中に学監の国防学四時間。
十日(日)快晴
ショッセの楡の葉が黄葉もせず枯れたようになって落ち、路上に散る。北満哈爾浜のあわただしい冬の訪れか。
補記
一日 この日、学校の図書室からブハーリンの「帝国主義と資本の蓄積」という原書を借りて読んだことが書かれているが、読むことは読めても内容が理解出来たのだろうか今考えてもゾッとする。
六日 青木は朝鮮人である。北寮の寮委員になる時、川辺(英男)に頼んで青木にも残って貰った。南寮に移ってからも特別に親しかった同級生の中の一人だった。卒業アルバムの写真もスンガリー湖畔のヨットクラブで二人で写った。彼は頭は良かったが、別に朝鮮民族の誇りとか何とかを口にするではなし、またそれのために卑屈になるようなことはなかった。彼は奉天一中の出身だと聞いていたので二十期の柴田(息蔵)さんに聞き合わせても知らないとの返事が来た。姓は「李」と行っていたが、名は日本名も朝鮮名もいくら調べても出て来ない。乙組にいたので乙組の人は知っている人があるかも知れない。知らせて欲しい。勿論二十一期生の名簿にもない。
八日 神社建立の議興る。寄付せよと。一蹴せらる。と書いているが資料は探しても見つからない。この文字を見ていると頭の片隅に「哈爾浜学院神社」?の事ではないかとのかすかな記憶があるような気がする。記憶のある方は教えて欲しい。
注1:軍隊に入る
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あんみつ姫