Re: 成瀬孫仁日記(十)昭和十八年十月~昭和十八年十一月
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成瀬孫仁日記(十)昭和十八年十月~昭和十八年十一月 (あんみつ姫, 2009/3/30 13:34)
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あんみつ姫
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十月
十二日(火)快晴
朝から道外(フーチャテン) へ福岡(人四郎)、野崎(秀雄)と連れ立って小遣稼ぎに行く。福岡が持って来た学生服を路上に並べて頭に鉢巻をし「チャガマイマイ!!」と叫んだ。野崎と私も服を地面に並べたが、彼のようにはいかない。学生服を着た闇の露天商。日本人は一人もいない。周囲には満人が同じように品物を並べているが、叫んでいるのは福岡ばかり。立止ってジロジロながめているが、なかなか買ってくれない。二十一銭の煙草「千山」を五十銭で売っていた。戦果なし。二時からの教練に登校す。
十三日(水)快晴
日下(正道)が突然日本から帰って来た。病いは良くなったか。
午後敬礼演習、執銃各個教練。
十四日(木) 曇 寒し
寒い日がしだいに訪れて来た。朝夕全く震えるような寒気が流れる。英霊見送りに駅へ行く。バス十四台、約三百の声なき勇士は故里の母のもとに帰って行く。総て病死者か。
十五日(全)晴
夜、哈爾浜書房へ翻訳を届ける。これが最後。社主、原好一氏には長い間御世話になった。原氏は「君はもう卒業だな」と前置きして次のように諭された。
一 出来るだけ求めを少なくして、出来るだけ積極的に働け。人から言われぬ先に、その先を洞察して前進せよ。
二 困難は自ら進んで突破せよ。避けても必ず次々と現われる。第二、第三の困難は必ずより大きいものとなる。最初の困難を突破しておけば、以後の困難は容易に克服出来る。これに耐えられない者は世の中から淘汰される。
三 困難に直面した時は躊躇することなく突進せよ。熟慮と躊躇とは決して同じでない。
四 今でこそあまり役に立たない者でもポストを与えられて働いているが、世の中が平常になると積極的で有能な者だけが残る。このような人にならなくてはならない。最大の条件は努力である。餞別か卒業祝金か包みの中に金二百円あり。
十九日(火) 曇後雨、寒し
朝から道外へ夏の勤労奉仕に着た服を集めて売りに行く。急に変った天候は随分と冷たく身にしみる。服は良い価がついたが、多くの満人が群り来り、喧嘩腰で奪い合うので恐ろしくなって急いで逃げ出した。矢張り道外は無気味である。
傍でじいっと見ていた支那服の男が私達が帰りかけると、近寄って来て「学院さん、ここは危いからあまり来ない方が良いよ」と。
「はい解りました」と言って早々に退散した。憲兵か、特務機関か。
補記
十二日 「盲蛇におぢず」と言う諺の通り、フーチャテンの街頭で良くこんな事をしたもんだ。無事だったのは満洲国は法治国家だったためか。
十四日 英霊見送りは毎月あった。今考えて見ると戦争もないのに良くこれだけの人間が死んで行ったものと思う。
十二日(火)快晴
朝から道外(フーチャテン) へ福岡(人四郎)、野崎(秀雄)と連れ立って小遣稼ぎに行く。福岡が持って来た学生服を路上に並べて頭に鉢巻をし「チャガマイマイ!!」と叫んだ。野崎と私も服を地面に並べたが、彼のようにはいかない。学生服を着た闇の露天商。日本人は一人もいない。周囲には満人が同じように品物を並べているが、叫んでいるのは福岡ばかり。立止ってジロジロながめているが、なかなか買ってくれない。二十一銭の煙草「千山」を五十銭で売っていた。戦果なし。二時からの教練に登校す。
十三日(水)快晴
日下(正道)が突然日本から帰って来た。病いは良くなったか。
午後敬礼演習、執銃各個教練。
十四日(木) 曇 寒し
寒い日がしだいに訪れて来た。朝夕全く震えるような寒気が流れる。英霊見送りに駅へ行く。バス十四台、約三百の声なき勇士は故里の母のもとに帰って行く。総て病死者か。
十五日(全)晴
夜、哈爾浜書房へ翻訳を届ける。これが最後。社主、原好一氏には長い間御世話になった。原氏は「君はもう卒業だな」と前置きして次のように諭された。
一 出来るだけ求めを少なくして、出来るだけ積極的に働け。人から言われぬ先に、その先を洞察して前進せよ。
二 困難は自ら進んで突破せよ。避けても必ず次々と現われる。第二、第三の困難は必ずより大きいものとなる。最初の困難を突破しておけば、以後の困難は容易に克服出来る。これに耐えられない者は世の中から淘汰される。
三 困難に直面した時は躊躇することなく突進せよ。熟慮と躊躇とは決して同じでない。
四 今でこそあまり役に立たない者でもポストを与えられて働いているが、世の中が平常になると積極的で有能な者だけが残る。このような人にならなくてはならない。最大の条件は努力である。餞別か卒業祝金か包みの中に金二百円あり。
十九日(火) 曇後雨、寒し
朝から道外へ夏の勤労奉仕に着た服を集めて売りに行く。急に変った天候は随分と冷たく身にしみる。服は良い価がついたが、多くの満人が群り来り、喧嘩腰で奪い合うので恐ろしくなって急いで逃げ出した。矢張り道外は無気味である。
傍でじいっと見ていた支那服の男が私達が帰りかけると、近寄って来て「学院さん、ここは危いからあまり来ない方が良いよ」と。
「はい解りました」と言って早々に退散した。憲兵か、特務機関か。
補記
十二日 「盲蛇におぢず」と言う諺の通り、フーチャテンの街頭で良くこんな事をしたもんだ。無事だったのは満洲国は法治国家だったためか。
十四日 英霊見送りは毎月あった。今考えて見ると戦争もないのに良くこれだけの人間が死んで行ったものと思う。
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あんみつ姫