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Re: 成瀬孫仁日記(十)昭和十八年十月~昭和十八年十一月

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あんみつ姫

通常 Re: 成瀬孫仁日記(十)昭和十八年十月~昭和十八年十一月

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2009/3/30 13:44
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
十月
ニ十二日(金) 晴
 青木が結婚式のため奉天に帰り、卒業式まで帰って来ないという。結婚式に来ないかと誘われた。毎日一週間ほど祝宴が続くそうだ。お祝いが要るが、それは俺が作って、お前の名前を書いて準備するからとまで言われた。行って見たいという心の中とうらはらに断った。学院の学則に「結婚したる者は退学を命ず。」とある。戸籍の届出しなければ結婚にならないと彼はこともなげに言った。いずれにしろ後一ケ月もない。

 別れに二人で街へ出た。最初「共栄圏」でウオッカ一本、寮に帰ると室にビールがあったのでまた飲む。点呼後、福岡(人四郎)、高取(保夫)とまた一緒に出かける。日本酒。「清茂」、「秀吉」「一助」と回る。チャンポンがたたったのか帰ると吐く。

 二十三日(土) 曇後雨   
 学院学徒出征練成大会。小原(秀道)の送別会。日清会館、ほてい、たぬき、鈴蘭食堂と回る。

 二十四日(日) 曇
 昼から本を売りに行く。五円入る。夕食後日満会館。丸林(四郎)、福岡(人四郎)、野崎(秀雄)、中村(博)、喜崎(亮治)等同室八人のうち七人まで酔って帰る。

 二十五日(月) 曇 甚寒
 寒さ極めてきびしく冬の到来を感ず。
 最後の家庭教師に行く。生徒の藤岡佳和君極めて優秀な生徒だったので助かった。餞別を貰う。開けてみると百円あった。
 卒業します。兵隊に行きます。

 二十六日(火)  晴
十一時昼食後、徴兵検査場である第七部隊(哈爾浜陸軍病院)へ行く。レントゲン、血沈、咳痰等検査、夜海軍予備学生の願書を書く。

 二十七日(水)
 本日本検。身長、胸囲、体重、視力、眼、鼻、関節、内臓、M検、あとで甲種合格の申渡しあり。
 関東軍は海軍は駄目。陸軍特別操縦見習士官の志願書を出す。これも満洲国の学生は駄目。

 小原との検査を待っている間の私語がたたり、反軍思想の持主ということで二人は検査を受ける人の中に潜り込んでいた憲兵につかまりビンタを三つ宛、そのあと腕立て伏せを約十五分やらされているのを学監が通りかかり救ってくれた。

 晩ニューハルビンで宴会。酒を一人当り五合集めるのに苦労する。駅へ高取と送りに行くためニューハルビンを出る。それから 「エデン」「甲子園」等を回り帰寮一時半。

 二十八日(木)晴
 朝から南崗に出張。ビヤホールでコーヒーとパンを食べて帰る。昼食後にニューハルビンへ昨夜の整理のため一升瓶を取りに行き、途中、丸林が一升瓶を下げて来るのに会う。秋林から自動車を飛ばして川崎教授宅へ。先生不在。新婚の奥様一人居るのに上り込む。
先生間もなり帰られる。種々に話を伺いながら飲む。酒二本、コニャック一本、ビール二本、四人して空ける。福岡(人)先ず簡単に伸びる。点呼前十五分帰寮。

 二十九日(金)
 朝から甫崗のビヤホールに行き、晩の精力をつけるため砂糖の「多々的」入った紅茶を喫す。
 晩に柔道の岩戸先生宅を訪問。柔道部の者四人と先生で酒三升、ウオッカ中瓶二本、その後二人で白葡萄酒一本、コニャック一瓶を空けて遂にのびる。人事不省。先生は学校の宿舎に居られた。大道館は鮮系の国民高等学校。便所に行くとニンニクの臭いがプンプン
していた。付近の公園で脚が立たず、自動車で漸く帰寮。

 三十日(土)
 オリエント劇場で「花子ちゃん」「我等は日本小国民」「ニュース映画」。マルスで食事をして、春日(信也)、福永(佳夫)と剛崎先生宅へ。近くだ。最初茶が出たので、これは失敗したと膝がちぢこまった。後ウオッカが出たので人事不省。福永の肩を借り帰寮。哈爾浜医大へ行って居られる息子さんと話をしたことだけは覚えている。翌朝眠が覚めると服を着たまま寝ていた。

 三十一日(日)
 朝から道外に「売買(マイマイ)」に行く。福岡(人)、丸林、福永と一緒。福永には昨夜の礼をしなければならない。上衣一着二十円。道外からキタイスカヤの「グロート」にマシンを乗り着ける。昼食後マシンでキタイスカヤから帰寮。寝る。今日は酒が入っていない。道外で二十円儲け、ロシヤ料理で十五円使用。

補記

二十七日 小原君と二人徴兵検査場でえらい災難にぶつかった。小原君の兄さんが海軍中尉で潜水艦に乗っていたのか南太平洋で戦死した公報が数日前に入っていた。そのためか戦争に行けば生命はないぞと言う様な事を話したと思う。之は当り前の事だ。之が憲兵には反軍思想と映ったらしい。学監により救出?された時憲兵氏日く「お前等二人は入隊先を調べて反軍思想の持ち主であることを部隊長に報告して絶対に将校にはなれない様にしてやる」と。

恐ろしく執念深い男だった。満洲国の学校の学生は日本の学生と違い「差別」された。この原因は蔑視である。海軍予備学生を志願させなかった。(之については暇ができたら一度調べて見ようと思う、法律違反の疑いがある。)特別操縦見習士官の志願を拒否した。之は入隊してから後十九年一月に志願者を集め、哈爾浜の陸軍病院(徴兵検査のあった所) で検査したが一名も採らなかった。名目的行為か?

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あんみつ姫

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