Re: 成瀬孫仁日記(十)昭和十八年十月~昭和十八年十一月
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成瀬孫仁日記(十)昭和十八年十月~昭和十八年十一月 (あんみつ姫, 2009/3/30 13:34)
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Re: 成瀬孫仁日記(十)昭和十八年十月~昭和十八年十一月 (あんみつ姫, 2009/3/30 13:39)
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Re: 成瀬孫仁日記(十)昭和十八年十月~昭和十八年十一月 (あんみつ姫, 2009/3/30 13:39)
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
十一月
一日(月)
朝九時、特務機関へ出頭。
五時まで本部の三島大尉、稲毛中佐、高級参謀の蓄あり。軍に就職する者の反軍的思想に対する対策の為か。
夜小原君と街へ出る。淋しい。
二日(火)
最後の授業に出る。四年問の授業今日で終りぬ。午後の教練、どうしたことか帽子がいくら探してもないので出ない。
晩、川村先生宅。点呼に間に合わなかったので罰として明日不寝番。
三日(水)曇
明治の佳節。日本なら日本晴れ。満洲の野は曇り。
哈爾浜市の学徒出陣壮行会あり。女学生が拍手で送ってくれた。 市民も皆集まっている。「八区」の野に学徒出陣《注1》の意気高し。
晩、上原中枚宅へ。かわいい女学生の娘さんが酌をしてくれた。しかも恩賜《注2》の盃で。中枚先生日く「おい娘、来て酌をしろ。かわいい学生の出陣だ。酌をしないと嫁に貰い手がないぞ」と。
四日(木) 曇
午前中卒業式予行。午後青木と「イベリア」へ。あと「グロート」でロシヤ料理。鈴木(淳栄)がお母さんと一緒に入ってこられ、挨拶。
スンガリーを最後の見学。ヨットクラブに寄る。静かだった。青木に結婚の感想を聞く。彼こともなげに「例のあんなことをしただけだ」と。
晩、学徒出陣壮行演劇大会。盛会なり。
五日(金) 曇
朝南崗のビヤホールで紅茶と「ブーロチカ」で朝食。帰寮、下着類を新しいのと着替え登校。
卒業式十時三十分に始まる。式後旧食堂にて来賓、職員、卒業生立食会。記念撮影。青木と川村先生宅へ。
日満会館で卒業生の離散会。帰寮七時半、静かに寝る。
六日(土) 曇
午前中就職。丸林、福岡、野崎と共に江口先生宅へ。点呼もなく、門限もなし。飯は食わしてくれる。これに越したことはない。
七日(日) 雪
春日と街へ出る。ビヤホールでビール六杯、マルスでウオッカ一本、中央飯店でコニャック一本、各人宛。ベロベロになって帰る。
八日以後
朝眠が覚めると体が動かない。看護婦さんに注射をして貰って楽になった。彼女日く「急性アルコホル中毒ですよ」と。
(毎日酒ばかり飲んで寝ている記事が続く)
十一日(水)晴
日下就職のため離哈。
十四日(日)
「丸商」で美濃紙と奉書を買って帰る。夜遺書を書く。
十五日(月)
春日、明日離哈、皇新へ帰る予定。二人で哈爾浜の夜景を見る。
南崗マルス、地段街マルス、名古屋グリル、キタイスカヤマルス、最後支那料理。
月日不明
書くに耐えなくなった日記は恐ろしい。酒、酒、酒、あまりの無軌道な生活をそのまま書くのが怖くなった。体重は十数キロ減って四十五キロになっていた。入隊まであと約十日。
補記
十一月八日「急性アルコホル中毒」入隊前の生活を象徴しているような良い言葉だ。
(おわり)
注1:第二次大戦末期1943年兵力不足を補う為 高等教育機関に在学中の20歳以上の文科系学生を在学途中で徴兵し出征させた
注2:天皇から下賜された
一日(月)
朝九時、特務機関へ出頭。
五時まで本部の三島大尉、稲毛中佐、高級参謀の蓄あり。軍に就職する者の反軍的思想に対する対策の為か。
夜小原君と街へ出る。淋しい。
二日(火)
最後の授業に出る。四年問の授業今日で終りぬ。午後の教練、どうしたことか帽子がいくら探してもないので出ない。
晩、川村先生宅。点呼に間に合わなかったので罰として明日不寝番。
三日(水)曇
明治の佳節。日本なら日本晴れ。満洲の野は曇り。
哈爾浜市の学徒出陣壮行会あり。女学生が拍手で送ってくれた。 市民も皆集まっている。「八区」の野に学徒出陣《注1》の意気高し。
晩、上原中枚宅へ。かわいい女学生の娘さんが酌をしてくれた。しかも恩賜《注2》の盃で。中枚先生日く「おい娘、来て酌をしろ。かわいい学生の出陣だ。酌をしないと嫁に貰い手がないぞ」と。
四日(木) 曇
午前中卒業式予行。午後青木と「イベリア」へ。あと「グロート」でロシヤ料理。鈴木(淳栄)がお母さんと一緒に入ってこられ、挨拶。
スンガリーを最後の見学。ヨットクラブに寄る。静かだった。青木に結婚の感想を聞く。彼こともなげに「例のあんなことをしただけだ」と。
晩、学徒出陣壮行演劇大会。盛会なり。
五日(金) 曇
朝南崗のビヤホールで紅茶と「ブーロチカ」で朝食。帰寮、下着類を新しいのと着替え登校。
卒業式十時三十分に始まる。式後旧食堂にて来賓、職員、卒業生立食会。記念撮影。青木と川村先生宅へ。
日満会館で卒業生の離散会。帰寮七時半、静かに寝る。
六日(土) 曇
午前中就職。丸林、福岡、野崎と共に江口先生宅へ。点呼もなく、門限もなし。飯は食わしてくれる。これに越したことはない。
七日(日) 雪
春日と街へ出る。ビヤホールでビール六杯、マルスでウオッカ一本、中央飯店でコニャック一本、各人宛。ベロベロになって帰る。
八日以後
朝眠が覚めると体が動かない。看護婦さんに注射をして貰って楽になった。彼女日く「急性アルコホル中毒ですよ」と。
(毎日酒ばかり飲んで寝ている記事が続く)
十一日(水)晴
日下就職のため離哈。
十四日(日)
「丸商」で美濃紙と奉書を買って帰る。夜遺書を書く。
十五日(月)
春日、明日離哈、皇新へ帰る予定。二人で哈爾浜の夜景を見る。
南崗マルス、地段街マルス、名古屋グリル、キタイスカヤマルス、最後支那料理。
月日不明
書くに耐えなくなった日記は恐ろしい。酒、酒、酒、あまりの無軌道な生活をそのまま書くのが怖くなった。体重は十数キロ減って四十五キロになっていた。入隊まであと約十日。
補記
十一月八日「急性アルコホル中毒」入隊前の生活を象徴しているような良い言葉だ。
(おわり)
注1:第二次大戦末期1943年兵力不足を補う為 高等教育機関に在学中の20歳以上の文科系学生を在学途中で徴兵し出征させた
注2:天皇から下賜された
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あんみつ姫