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Re: 「特集」私が小学生だった頃(かれい)

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通常 Re: 「特集」私が小学生だった頃(かれい)

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2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/3/7 16:32
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
マーチャン

引用:
  それから「肝油」と「ジミ錠」というクスリが毎日支給されました。栄養剤だったのでしょうか。将来の兵士の体位向上のためだったのでしょうね。

「マクリ」《=海人草を主剤とする回虫駆除薬》とかいう虫下しを飲まされませんでしたか。
それから、頭をDDT《=防疫殺虫剤》で真っ白にされたり。

「ジミ錠」は知りませんが、2度目の転校先の小学校(5年生)では、希望者には有料で給食の時に「肝油」《=ビタミンA・Dを多量に含む油》を。おまけでドロップが一粒ついてました。

引用:
  音楽の授業も、劇的に変わりました。
  「ドレミ」に変わって「ハニホ」になったのです。
  教科書の歌も「工場だ 機械だ 鉄だよ 音だよ」「おとうさんは出征 おかあさんと四人で」などというあまり情緒のない歌が増えました。


「鉄だよ 音だよ ドドドン ドドドン」は私も知ってます。きっと兄弟がうたってたんでしょうね。

戦後の唱歌は、そういうのから見ると、また、様変わりしてますね。

「どーこかの時計が5時を打つ もうじきお帰りおとうさま・・・
 どーこかの時計が6時打つ  おかばん持ちましょ おとうさま・・」
という歌を覚えていますが、時代を反映していない、平和な歌詞だったなぁと思います。

かれい

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編集者 (代理投稿)

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