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燭台(しょくだい)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/11/10 22:00
ハム  新米 居住地: 岡山県  投稿数: 18
戦後の数年間はよく停電した。
私の家では、停電対策として台所兼食堂には石油ランプを、居間にはこの燭台を準備していた。燭台にはいつも百目蝋燭(ひゃくめろうそく=一本の重さが約375グラムある大ろうそく)が立ててあり、決まって床の間の近くに置いてあった。
急に停電しても困らないように位置を決めてあったのである。
また、風呂場にはろうそく立てと小振りなろうそくが用意してあったが、真っ暗な中で、しかもぬれた手でマッチをすって火をつけるのには苦労したものである。
当時の電化製品と呼べるものといえば、ラジオだけであったから、消費電力は今とは比べものにならないほど少なかったのだが、発電施設や送電設備が貧弱であったり戦禍(戦争によって生じる被害)のために痛んでいたりしたのであろう。
家族は、小さな明かりの下に集まって停電が復旧するのを待っていた。
物資は不足し、生活は不便であったが、人と人との結びつきは強かったように思う。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/11/11 23:12
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
ハムさん  こんばんは!

引用:
戦後の数年間はよく停電した。

そう言えば、私も幼稚園の頃、良く停電したのを覚えて
います。もう終戦から暫く経った昭和23年(1948年)ころ
でしたが、停電になると世の中真っ暗闇《くらやみ》になったものです。

私が覚えているのはハムさんのところのような立派な蜀台
ではなく、手燭(てしょく)という、お皿に持ち手の付いた
ような形の小さなもので、蝋燭《ろうそく》も直径2センチ位のものだ
ったと思います。

ヒューズが飛んで停電になることもありました。
あの頃のヒューズは銅線をS字型に曲げたものだったよう
な気がしますが・・・銅線かどうか定かでありません。

今ならブレーカーを上げれば済むのに、あの頃はネジ回しでヒューズを取り付けなければならず、一仕事でした。

懐中電灯などという便利なものが出始めたのは昭和27~
8年(1952~3年)だったでしょうか?


--
あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/11/15 13:11
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
ハムさん  みなさん こんにちは!

毎度粗忽者の私メ、間違った情報を掲載してしまったようで
以下のところ、修正いたします。

引用:
ヒューズが飛んで停電になることもありました。
あの頃のヒューズは銅線をS字型に曲げたものだったよう
な気がしますが・・・銅線かどうか定かでありません。

ヒューズは銅線ではなく、錫《すず》や鉛《なまり》や亜鉛《あえん》といった融点《ゆうてん》の低い
金属(またはそれらの合金)で作られていて、異常電流が流
れると、それが融《と》けて切れることで、安全装置の役目を果た
していたようです。

下手な絵ですが、こんな形状だったと思います。



--
あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/11/16 9:32
ハム  新米 居住地: 岡山県  投稿数: 18
あんみつ姫さん、コメントありがとうございます。
確かにヒューズ切れによる停電もよくありましたね。
近所の家の様子を確かめ、自分の家だけが暗かったら、
これはヒューズ切れです。

ヒューズには色々な太さのものがあり、太いもの程大きな
電流に耐《た》えることができました。
私の家では、かなりの長さのものを準備しており、
切れるたびに必要な長さに切断してつかっていました。
材質はあんみつ姫さんが書いておられるようなもので、
柔らかくて簡単に切れてしまうので、取り付ける時には
S字状にカーブをさせることでねじの締め付け時に起こり
やすい切断を防《ふせ》いだものです。

このヒューズは、かなり長期間使われており、私が小学校の
高学年になった頃(昭和27年)からは、ヒューズの取り替えは
私の役目になっていました。
この頃にも時々ヒューズ切れは起こっていました。

--
ハム(把夢)

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