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焼夷弾(しょういだん)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2006/4/16 21:22
Kenza  新米   投稿数: 3
第2次大戦末期、日本各地の市街地に密集した木造住宅を焼き払うために、「焼夷弾」《しょういだん》が使われました。焼夷弾は、夜間に、爆撃機から投下されると、一筋の光となってスーッと落ち、花火のようにパッと開いて、そこから何十もの分身となって落ちてきます。

もともと、木造住宅を焼くことを目的とした兵器ですから、落ちてくる焼夷弾を見上げながら逃げることができました。不運にも、逃げる途中で直撃されて、亡くなる人もいましたが、直撃されなければ、そばに落ちても危険はありません。それよりも、一刻も早く、周り一面の火災から逃れる必要がありました。

当時、地方都市に住んでいた私の頭上に落ちてきた焼夷弾は、あとになって見たら、六角形の筒状のものでした。まだ子供でしたから、落ちてくる姿と、残骸《ざんがい》の記憶しかありません。なぜ、花火を逆にしたような光が見えるのかは、いまもって謎です。

調べてみると、これは、「M69油脂焼夷弾」《ゆししょういだん》だったようです。この焼夷弾の構造を紹介した九州科学技術研究所のサイトによると、38発の焼夷弾が、まず一体となって落ちてきて、約700メートル上空でばらまかれ、そのときに尾翼の役目をする麻製のリボンが引き出されて、これに火がつき、火の雨のように見えるとのことです。しかし、頭部には信管があり、着地すると爆発してナパーム剤に着火するようになっていますから、なぜリボンに火を点ける必要があるのか分かりません。

これとは別に、ばらまく時の導火線が、ばらばらになって落ちてくるのではないかと推理しておられる向きもあります。詳しくご存知の方がおられたら、疑問を晴らしていただきたいものです。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2006/4/29 16:35
YKOMA  新米 居住地: 神奈川  投稿数: 6
引用:
しかし、頭部には信管があり、着地すると爆発してナパーム剤に着火するようになっていますから、なぜリボンに火を点ける必要があるのか分かりません。

わたしは見て触《さわ》ったことがあります、ただし翌日ですが。

市街から12km離れた居住地だったので空襲の夜は、花火大会を見るような感じでした。
翌日学校から連絡があり担任の先生が家を焼かれたので材木を届けて欲しい、というのです。友人数名とリヤカーに材木を積んで市街地に入りました。見渡す限りの焼け野原で、まだブスブスいぶっており建っているのはお蔵とビルくらいでした。

デパートの前を通りかかると壊《こわ》れたショウウィンドウの中に、その焼夷弾の燃え殻《がら》がありました。
直径数センチの六角形のパイプ状で暗褐色《あんかっしょく》の鉄製でしたね。下側の頭部に当たるところはどうなっていたか記憶がありません。
おっかなびっくり弄って《いじって》いたので、ひっくり返して検分する度胸がなかったのでしょう。
上側のお尻は六角のまま切れていて、青い布切れがはみだしていました。ところどころに油脂がこびりついてたり端《はし》の方は燃え切れていました。これがリボンですね。綿布だと思ってました。

わたしの想像ですが、夜空から火が降ってくるという恐怖感を与えるための、いわば心理戦の小道具ではなかったのでしょうか。
たとえば当時ナチスドイツはスツーカという急降下爆撃機を持っていましたが、翼下に笛を備えていてダイブすると恐怖の音響が鳴り響く仕掛けがあった、ということからの連想に過ぎませんが。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/4/30 11:52
kozaru  半人前 居住地: 千葉県  投稿数: 37
>わたしの想像ですが、夜空から火が降ってくるという恐怖感を与
>えるための、いわば心理戦の小道具ではなかったのでしょうか。
>たとえば当時ナチスドイツはスツーカという急降下爆撃機を持っ
>ていましたが、翼下に笛を備えていてダイブすると恐怖の音響が
>鳴り響く仕掛けがあった、ということからの連想に過ぎません
>が。

確かに恐怖感を与える心理作戦もあったでしょう。こんな話も聞きました。地方都市の軍設備も無いところをなぜ空襲するのと聞きますと、地上戦をする場合建物があると重車両が進みにくい、建物に敵が隠れることができる、そんなためもあったのではとのことです。近くにあった海軍航空隊の滑走路とそれに通じる900mぐらいの橋は無傷でした。焼野が原を低空でグラマンが2機が飛びましたがこれも地上戦用の航空写真を撮っていたのではとも聞きました。真偽《しんぎ》のほどはわかりません。
kozaru
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2006/5/1 14:58
Kenza  新米   投稿数: 3
引用:
わたしの想像ですが、夜空から火が降ってくるという恐怖感を与えるための、いわば心理戦の小道具ではなかったのでしょうか。
たとえば当時ナチスドイツはスツーカという急降下爆撃機を持っていましたが、翼下に笛を備えていてダイブすると恐怖の音響が鳴り響く仕掛けがあった、ということからの連想に過ぎませんが。
そうかも知れませんね。恐怖心を与えるため、尾翼が笛のような音を出すようになっている爆弾があるそうですから。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2006/5/1 15:13
Kenza  新米   投稿数: 3
引用:
地方都市の軍設備も無いところをなぜ空襲するのと聞きますと、地上戦をする場合建物があると重車両が進みにくい、建物に敵が隠れることができる、そんなためもあったのではとのことです。
米軍は、兵器を使い分けていたようでした。焼夷弾は、明らかに、民家を焼くための兵器でした。戦後、飛行場の跡地へ行ったことがあるのですが、そこにあったのは、焼夷弾の残骸ではなくて、無数の機銃弾《きじゅうだん》の残骸でした。戦時中は、その飛行場に向けて低空で飛ぶ戦闘機の姿を何度も見ましたが、市街地へ向けての機銃掃射はありませんでした。

地上戦をする場合、建物があると重車両が進みにくいということは、日本軍も考えていたようですね。狭い道路が、軍の命令で広げられるのだということで、友人の家が立ち退きを余儀《よぎ》なくされました。広げる理由は、戦車が通れないからだと聞かされました。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/5/4 21:21
小机  新米   投稿数: 4
 モロトフのパン篭《かご》式のは半インチくらいの暗緑色のチューブで組み立てたラックに揮発油ジェル(ゴム糊状)が入った六角形スチール管が多数纏め《まとめ》られていて、高い空中でラックが壊れ、その六角の焼夷弾をばら撒く《まく》タイプ、爆発ボルト方式でラックを壊すのか、高い空中でパ、パ、パッと閃光《せんこう》が光ってました。そして夥《おびただ》しい数の光の点がまるで星座が静かに下りて来るように、ゆっくりと降ってきました。あの星座のような光の点は何だったのか、あれ以来ずっと考えているのですが、いまもって疑問です。

 もう一つの型は直径10インチか12インチくらいの円筒形で尾部に羽根のある、つまり普通の爆弾の形をしていました。松山の郊外4~5キロの農村でしたが、何かの間違いだったのでしょうか、六角のも円筒形のも少し降ってきました。畑や田んぼの軟らかい土ですから、ズボズボと突き刺さって不発になるか、河原で勝手に燃えてしまったのですが、同級生の一人はよほど運が悪かったのか家に直撃、焼けてしまいました。でも誰も怪我も火傷もしなかったのですから、幸運だったのでしょう。
 もう一発、近所の家に落ちましたが、地上に落ちる直前に軒瓦で横腹を打ったらしく、横向きに地面を直撃、ドテン。弾殻がひしゃげ、中身はゴム糊みたいなガソリンのゼリーですから、内圧が上がって尖端《せんたん》に捻《ね》じ込んであった信管が抜けて不発。ドジな爆撃照準手が落とした焼夷弾もドジ。結局風呂の燃料に使われてしまいました。
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