紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--
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- 紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--妻は・6 (編集者, 2009/1/20 7:49)
- 紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--妻は・7 (編集者, 2009/1/21 8:28)
- 紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--妻は・8 (編集者, 2009/1/22 9:28)
- 紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--妻は・9 (編集者, 2009/1/25 8:13)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
心悸高進もなんとか落ち着いたむつみは、久しぶりに差し入れに行った。特高主任の高見沢は転勤していた。
応対してくれた松尾巡査がそっと、「ご主人に会わせてあげましょう。ちょっとですよ」と言った。「お願いします」と、夢中でたのんだ。報告したいことが山ほどあった。松尾巡査は、政一のいる部屋の前にむつみを連れていった。扉がそっと開けられた。
高い窓から日が差しこみ窓の真下を暗くしていたが、会えるとは思ってもいなかった夫がそこにいた。とっさに、子どもたちのことを話した。
目をこらすと見える夫は別人のようだった。「何をしているんですか~」と思わず訊(き)いた。「黙想しているんだ」。松尾巡査はすばやく扉を閉めてしまった。聞けたのは、その二言だけだった。
翌日上諏訪の信者が訪ねてきて、池田先生はもう上諏訪署にはいない、と知らせてくれた。
「差し入れに伺ったら、『松代に移ったから家族に知らせてやれ』 と言われた」との話であった。
松尾巡査の情けをありがたいと思った。
病後の礼子の体力がなかなか回復しないまま、今度はハシカにかかった。その上腸が冒された。
むつみの体力も精神力も限界だった。夫が諏訪にいる、身近にいると思っていたから、気力があったのだった。このままでは親子共倒れになるのはあきらかだった。佐久の平賀(ひらか)にある実家に移る決心をした。もう両親は亡くなり空き家になっていたが、姉の和代が子どもたちと住んでいた。婚家は山奥の大石にあったが、夫の西沢益市は船乗りで航海に出ていることが多く、和代はなにかと便利な実家に移っていた。
大作はまだ一学期が終わっていなかったので下諏訪に残した。母方の本家を継ぐ叔父にたのみ、嫁入り前の従妹に大作の世話にきてもらうことにした。
むつみは、妊娠八か月の身で重体の礼子を抱き、三歳の祐子を連れ、下諏訪駅から汽車に乗った。小海線に乗りついで佐久まで四時間あまりだった。
平賀につくと、むつみは寝込んだ。祐子は、望月の三枝の実家にあずけられた。姉の和代や弟の保芳やその妻の三枝が、代わるがわる礼子の看病をしてくれた。本家の人たちも顔を出してくれた。兄の誠一も、ブドウ糖その他の注射をリュックサックに一杯詰め、東京からかけつけてきてくれた。一族の人びとの網に包まれ、むつみはやっと悲壮感から抜けでた。
礼子が小さなジャガイモを一つ食べてもうれしさがこみあげた。しかし二、三時間もすると下痢をした。片時も母を離さなかった礼子だったが、布団を並べているむつみが床を離れても、泣かなくなった。看護婦だった姉の和代は、一喜一憂するのではなく、もう神にすべてをゆだねるように、とむつみに言った。しかし、夫不在のゆえにことさら子どもの健やかであることを願っていたのに、こんな事態になってしまったと思うと、むつみの気持ちはまた荒波に翻弄《ほんろう=もてあそばれる》されるのだった。
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編集者 (代理投稿)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
八月一四日、小さな灯火がふっと消えるように、礼子の息がとまった。安らかな死であった。
三日後家族だけの葬儀を終え、本家の了解を得て土屋家の墓に埋葬した。
松代警察署の政一には、三枝が報告に行ってくれた。会ってじかに伝えてほしいと思ったが、それは許可されなかった。
望月に預けてあった祐子を、葬儀の二日後に連れもどした。祐子は脇目もふらず、礼子の寝かされていた部屋にタッタッタッと入って行った。寝ているはずの妹がいなかった。布団もなかった。立ったまましばらく見ていたが、黙って家中をさがしはじめた。元気になってどこかで遊んでいるのだと思ったようだった。見つからなかった。
「礼ちゃんはどこ~ どこにいるの」
「礼子はね、東京のおじちゃんの家に薬がたくさんあるから、預けたのよ」
さりげなく、むつみはそう言った。父親は病院に入院している、妹は死んだというのでは、幼い心にあまりに悲しみが重なるからだった。
それからは何も言わなかった祐子が、半年ほどたって伯母の和代と道を歩いているとき、手をつないだまま突然言った。
「おばちゃん。礼ちゃん、なかなか帰ってこないね」
忘れたと思っていたら、鮮明に記憶したまま、ずっと帰りを待っていたのだった。
「礼子ちゃんはね、神さまのところへ行ったのよ」
もう本当のことを言うしかなかった。祐子は立ち止まって和代を見上げ、唇をぎゆつと曲げ、ひどく怒った。
「東京のおじちゃんは、どうして、礼ちゃんを治してくれなかったの」
死ということ、もう会えないということを、幼いなりに理解しているとしか思えなかった。手を強く握る祐子を、和代は不憫(ふびん)に思った。単に最も年の近い肉親というだけでなく、下諏訪では、礼子は祐子の唯一の友だちだった。
むつみは、祐子を連れて下諏訪にもどった。礼子の訃報を知らせに松代署まで出かけた三枝が、松代警察では衣類の差し入れが許可されていると教えてくれたからだ。諏訪で許されたのは食料のみだった。ずっと同じ物を着たままに違いなかった。早く、差し入れの荷物を作りたかった。
ところが、浴衣や褌(ふんどし)など身の回りのものを梱包したら、もうそれだけで力を使い果たしてしまった。荷のなかに入れる手紙どころか宛名も書けなかった。台所の板の間に座りこんで、せりだした腹部に手を当て、目の前の荷を茫然《ぼうぜん》と見つめるしかなかった。どれぐらい経っただろうか。
明日にしようとあきらめたとき、「ごめんください」と、表で声がした。やっと腰をあげて戸を開けると、若い女性が立っていた。
「妹とけんかをしたので、今晩泊めてください」
思いつめた顔だった。
「まあ。どうぞ、お入りになって」と招じいれて、話を聞いてみると、岡谷の教会に通っていたとのことだった。本屋の娘だった。泊まっていっていいのよと言うと、心底ほっとしたように顔をほころばせた。
台所の様子をみて、荷物の宛先も書けないでいることがわかると、お役に立てることが見つかったと喜んで、達筆でさっさと書いてくれた。一晩泊まって、駅へ荷物を持っていき、もう一晩泊まって家事も助けてくれた。不思議な訪れだった。
特高課の刑事はしばしばやってきた。
奥さん、教会を売りなさい。佐久の実家に帰りなさい。
信者のなかには、特高以上に教会の売却をすすめる人がいた。
「奥さん、わたしたちが生きている間には、教会は再び立つことはないでしょう。ご主人も、もう、いつ戻られることか」
「主人不在のうちに、わたしがこの教会を売るなど、どうしてできますか。死んだって、できません。クリスチャンなら、おわかりでしょうに」
牧師夫人の激しい言葉は、信者であった者にきつく響いたにちがいなかった。かろうじてなごやかにつながっていた関係が、目に見えて壊れていった。ああ、夫がいてくれたら。なぜ、わたしがこんなことを言う事態になったの。
そんなとき、政一と聖書学院で同期だった金井直治牧師が見舞ってくれた。他県では、長野県ほど取り締りが厳しくなかったところもあり、時折ホーリネス系牧師の見舞いを受けることがあったのだった。政一が検挙されてからの一部始終を、むつみは堰(せき)を切ったように話した。
金井牧師はじっくりむつみの話を聞き、しつかりと支え、ともに祈りを捧げてくれた。
「奥さん、日本は負けますよ。神の子らを、あなたも信者たちも、こんなに苦しめるような国は負けます」
誰にも聞かれてはならない言葉であった。
三日後家族だけの葬儀を終え、本家の了解を得て土屋家の墓に埋葬した。
松代警察署の政一には、三枝が報告に行ってくれた。会ってじかに伝えてほしいと思ったが、それは許可されなかった。
望月に預けてあった祐子を、葬儀の二日後に連れもどした。祐子は脇目もふらず、礼子の寝かされていた部屋にタッタッタッと入って行った。寝ているはずの妹がいなかった。布団もなかった。立ったまましばらく見ていたが、黙って家中をさがしはじめた。元気になってどこかで遊んでいるのだと思ったようだった。見つからなかった。
「礼ちゃんはどこ~ どこにいるの」
「礼子はね、東京のおじちゃんの家に薬がたくさんあるから、預けたのよ」
さりげなく、むつみはそう言った。父親は病院に入院している、妹は死んだというのでは、幼い心にあまりに悲しみが重なるからだった。
それからは何も言わなかった祐子が、半年ほどたって伯母の和代と道を歩いているとき、手をつないだまま突然言った。
「おばちゃん。礼ちゃん、なかなか帰ってこないね」
忘れたと思っていたら、鮮明に記憶したまま、ずっと帰りを待っていたのだった。
「礼子ちゃんはね、神さまのところへ行ったのよ」
もう本当のことを言うしかなかった。祐子は立ち止まって和代を見上げ、唇をぎゆつと曲げ、ひどく怒った。
「東京のおじちゃんは、どうして、礼ちゃんを治してくれなかったの」
死ということ、もう会えないということを、幼いなりに理解しているとしか思えなかった。手を強く握る祐子を、和代は不憫(ふびん)に思った。単に最も年の近い肉親というだけでなく、下諏訪では、礼子は祐子の唯一の友だちだった。
むつみは、祐子を連れて下諏訪にもどった。礼子の訃報を知らせに松代署まで出かけた三枝が、松代警察では衣類の差し入れが許可されていると教えてくれたからだ。諏訪で許されたのは食料のみだった。ずっと同じ物を着たままに違いなかった。早く、差し入れの荷物を作りたかった。
ところが、浴衣や褌(ふんどし)など身の回りのものを梱包したら、もうそれだけで力を使い果たしてしまった。荷のなかに入れる手紙どころか宛名も書けなかった。台所の板の間に座りこんで、せりだした腹部に手を当て、目の前の荷を茫然《ぼうぜん》と見つめるしかなかった。どれぐらい経っただろうか。
明日にしようとあきらめたとき、「ごめんください」と、表で声がした。やっと腰をあげて戸を開けると、若い女性が立っていた。
「妹とけんかをしたので、今晩泊めてください」
思いつめた顔だった。
「まあ。どうぞ、お入りになって」と招じいれて、話を聞いてみると、岡谷の教会に通っていたとのことだった。本屋の娘だった。泊まっていっていいのよと言うと、心底ほっとしたように顔をほころばせた。
台所の様子をみて、荷物の宛先も書けないでいることがわかると、お役に立てることが見つかったと喜んで、達筆でさっさと書いてくれた。一晩泊まって、駅へ荷物を持っていき、もう一晩泊まって家事も助けてくれた。不思議な訪れだった。
特高課の刑事はしばしばやってきた。
奥さん、教会を売りなさい。佐久の実家に帰りなさい。
信者のなかには、特高以上に教会の売却をすすめる人がいた。
「奥さん、わたしたちが生きている間には、教会は再び立つことはないでしょう。ご主人も、もう、いつ戻られることか」
「主人不在のうちに、わたしがこの教会を売るなど、どうしてできますか。死んだって、できません。クリスチャンなら、おわかりでしょうに」
牧師夫人の激しい言葉は、信者であった者にきつく響いたにちがいなかった。かろうじてなごやかにつながっていた関係が、目に見えて壊れていった。ああ、夫がいてくれたら。なぜ、わたしがこんなことを言う事態になったの。
そんなとき、政一と聖書学院で同期だった金井直治牧師が見舞ってくれた。他県では、長野県ほど取り締りが厳しくなかったところもあり、時折ホーリネス系牧師の見舞いを受けることがあったのだった。政一が検挙されてからの一部始終を、むつみは堰(せき)を切ったように話した。
金井牧師はじっくりむつみの話を聞き、しつかりと支え、ともに祈りを捧げてくれた。
「奥さん、日本は負けますよ。神の子らを、あなたも信者たちも、こんなに苦しめるような国は負けます」
誰にも聞かれてはならない言葉であった。
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編集者 (代理投稿)
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投稿数: 4298
礼子の死後二か月後の10月、三女が生まれた。安産だった。
手伝ってくれた岡谷教会の本屋の娘と佐久の従妹が帰ったあとは、産後の肥立ちがもうひとつおもわしくないまま、家事と育児をこなさねばならなかった。気力が湧かない日々で、わけてもつらいのはおむつの洗濯だった。諏訪の一〇月の水は、すでに背骨にまで染みるようだった。一通り汚れを落としたあと、しやがんで洗濯板でゴシゴシと二〇枚も洗っていると指は芯まで冷え、冷たさは脳髄まで上ってきた。豪雪地に比べれば雪こそ少ない諏訪だったが、結氷した諏訪湖の湖面に大音響をあげて亀裂を生じる「御神渡」(おみわたり)で知られたように、冬場の寒さ冷たさは厳しく、それも早くから始まった。
ある日、家の外でたらいに水を張っていつものように洗濯をしていると、隣組の組長が通りかかった。そのまま通りすぎるだろうと思っていたら、足をとめ、
「奥さん、産後の体を冷やさないようにね」
と声をかけてくれた。そのやさしい一言を発するのに、彼は勇気がいったにちがいなかった。
温かいおもいやりの声は、水の冷たさを忘れさせた。
陽子。これが政一が送ってきた葉書に書いてあった名前だった。葉書は長野から来た。「義の陽」という意味の陽子なのだと書いてあった。
その葉書を見た瞬間、むつみは、頭のなかが一瞬真っ白になった。すでに泰子(たいこ)と命名し、役場に届けてあったのだ。夫に誕生報告の葉書を出したのに、いっこうに返事はこず、役場に届ける期限がきた。知り合いの牧師に相談してむつみ自身が決め、最後の日に大作に役場に届けてもらった。長野から葉書が来たのは、その二日あとだった。長野への移送の直後だったので、葉書が松代から長野に転送されるのに時間がかかっていたのだ。
夫が長野にいることを知ったのも、この葉書によってだった。夫はだんだん遠くに運び去られていた。万一のことがあったら、生まれた子どもとのつながりはこの命名しかなかった。どうしても名前を変更しなければならない。
たまたま伊那の箕輪(みのわ)から、手塚という老婦人が手伝いに来てくれていた。箕輪の彼女の家に政一が不定期ではあったが泊まりがけで出かけ、特別に家庭集会を持っていた。彼女が葉書持参で役場に交渉に行ってくれた。幸運だった。事情をきいた役人の好意によって変更された。
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編集者 (代理投稿)
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投稿数: 4298
出産を待っていたかのように、長野の警察本部から特高刑事が来た。
縁側で、というむつみに、外ではなんだから、と刑事は家の中に入ることを求めた。むつみは、背中におぶっていた陽子を降ろして膝に抱き、居間で応対した。むつみを取り調べるためだったのだ。しかし調べるもなにも、初めからむつみの語りもしない文章を書いたものを持参していた。
読むようにと言うので、むつみは読んだ。一通り目を通したら、あとは「池田」 の印鑑を押せばいい、と言った。
「押しません」
声が上ずらないように気をつけて、むつみは突っぱねた。
「わたしは、こんなことを話したこともないし、書いたこともありません」
気合いをこめて、書類を返した。
「何言っているんだ。調べはついているんだ!」
罵声(ばせい)が飛んできた。あまりの怒鳴り声に、眠っていた陽子が泣きだした。刑事はさすがに声を落としたが、高飛車だった。
「わが国には、天照大神直系の現人神、天皇陛下が居られるんだ。キリストはその上に立つんか。あんたらの言っていることは、そういうことだろ、え」
目の前の紙をにらんだまま、むつみはだんまりを通した。何か話せば、言葉尻をつかまれそうだった。脅しに負けてはいけない。心のなかで恐怖と戦った。
乳飲み子の陽子を連れて自分が引っ張られるということはよもやあるまいが、背後になにか夫を引っ掛けるワナが仕掛けてありそうな気がした。この戦争が始まるまでよく思想事件があった。思想犯が転向させられるときに、妻が先に「時局認識」を深めさせられ、懐柔(かいじゅう)され、「家族のために考えを変えてください」と夫に懇願させる話を聞いたことがあった。これもまた、そういうワナなのかもしれなかった。
夫のために戦っているのではなく、まさしくむつみ自身の戦いだった。
むつみはネンネコのなかに手をいれて、陽子の紅葉のような掌(てのひら)を人指し指で触った。すると握り返す反応があり、そこから温もりがむつみの指へと流れてきた。物言えぬ陽子が、おかあさん、がんばって、と励ましているようだった。
根くらべの末、刑事は帰った。
刑事の足音が遠ざかっていった。むつみは腰が抜けたようでしばらくは立ち上がれなかった。
---終わりーーー
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編集者 (代理投稿)